卑弥呼と比売許曽(ひめこそ)


「卑弥呼は公孫氏なり」との記述から、公孫淵の末裔赤染氏が祭る香春神社と卑弥呼の関係について、以前にも書いた。(記 事

最近、香春神社近くの田川郡赤村に、前方後円墳らしき巨大な丘陵が見つかり、卑弥呼の墓かもとの新説があることを知った。

香春神社に祭られていた女神は、もともと朝鮮から来た比売許曽(ひめこそ)で、後に神功皇后と同一視されるようになったらしい。

比売許曽は朝鮮の天之日矛あるいは都怒我阿羅斯等の妻だったが、暴力的な夫から逃げて、大分姫島から大阪に移ったそうだ。

つまり、卑弥呼は公孫氏出自で朝鮮王子と政略結婚させられた女性で、九州で渡来人中心の集落を治めていたのではないか。

後に一族を引き連れて関西地方に移動し、大阪比売許曽神社がある周辺に住んで、垂仁天皇の保護下に入ったのであろう。

神功皇后は天之日矛の子孫で、やはり朝鮮半島に出兵しているから、卑弥呼の原型と思われる比売許曽と同一視されたようだ。


野崎晃市(49)


「卑弥呼は公孫氏なり」との記述から、公孫淵の末裔赤染氏が祭る香春神社と卑弥呼の関係について、以前にも書いた。(記 事

最近、香春神社近くの田川郡赤村に、前方後円墳らしき巨大な丘陵が見つかり、卑弥呼の墓かもとの新説があることを知った。

香春神社に祭られていた女神は、もともと朝鮮から来た比売許曽(ひめこそ)で、後に神功皇后と同一視されるようになったらしい。

比売許曽は朝鮮の天之日矛あるいは都怒我阿羅斯等の妻だったが、暴力的な夫から逃げて、大分姫島から大阪に移ったそうだ。

つまり、卑弥呼は公孫氏出自で朝鮮王子と政略結婚させられた女性で、九州で渡来人中心の集落を治めていたのではないか。

後に一族を引き連れて関西地方に移動し、大阪比売許曽神社がある周辺に住んで、垂仁天皇の保護下に入ったのであろう。

神功皇后は天之日矛の子孫で、やはり朝鮮半島に出兵しているから、卑弥呼の原型と思われる比売許曽と同一視されたようだ。


野崎晃市(49)