「すべての宗教は悪魔の命令に従っているだけなのだ。 「過去の歴史を隠蔽し、国民を徹底的に騙しとおす」という命令に。 「現世が辛くても、貧しくても、差別されていても、死んでしまっても、支配者や現政権を倒そうとするんじゃない。ひたすら神や仏の教えに従って従順にしていれば死後に天国や極楽浄土に行ける。幸せになれる。救われる」と国民を信じ込ませておけ、という命令に。」byソウルマン

 2024年02月29日

 

 八切止夫  2

「野史辞典」④(最終回)八切止夫


前回に続く。以下、一部引用する。


*(奴婢)
<大宝律令>では庶民は、陵戸、官戸、家人、公奴婢、私奴婢の5種とされた。早く編戸の民となって恭順し、おかみの官稲を供出している者は良民の3分の1の口分田を耕作した。
・・・・・(中略)・・・・・
公奴婢は、おかみから払い下げられた捕虜の男女を、官戸が監理して働かせていた者らである。私奴婢は、官戸が自分で購入した私有の日本原住民系の子孫で、その売買や他への譲渡、質入れも自由。男女別々に収容し子取りといって、よく働く男女だけは交配させて子を作らせた。人間としての扱いではないので、西暦901年から延喜22年(922)には法的に廃止された。しかし実際は北条政子が文治革命を起こし彼らを助ける12世紀末までは、まだ奴婢は牛馬なみの扱いだったのである。それゆえ江戸期になっても一般庶民の間で北条政子を救いの女神として弁天さまと信仰していた訳である。

*(室町)
東京日本橋や京鞍馬口その他各地にある。今でいう竪穴が足利時代の初めまでは庶民住宅でムロとよび、集まっているところが室町。京でも後醍醐帝の頃までは一般はムロ。従5位以下の昇殿できぬ身分の役人を地下とよぶのと、庶民をさす地家がともすれば発音が同じゆえ混同されやすい。しかし嫡民(ちゃくみん)のえらい人は地面に家をたてて住み、庶民は許されず穴居生活だったゆえ、「陽のあたる場所」といった表現も生まれてくるのである。麹(こうじ)を作るムロとする歴史家もいるが間違いである。平泉を征討した功で頼朝から領国に貰った者が、向うには地面の上の住居がなく穴居になるからと拒んだ話からしても、安倍一族も穴住まいだったらしく「平泉文化」など謳歌するのは、故今東光の宣伝のためだったろう。いくら金色堂があっても歴史家は慎むべきだ。

*(五)
ゴが源氏系庶民への区別的冠称ゆえ、大坂では町奉行へ捕手を供給する土地を実際には28あっても「五ヶ」というし、<東大寺奈良坂文書>でも「五ヶ所法師ばら」などとしている。神奈川の丹沢や奥州では、白山神をコの神として今では当て字を間違え子守り神とか子安神という。蚕の字をあててもいるが、決して安産や子育てやお蚕の神ではない。こうした誤りの極端なのが五五の節句である。騎馬民族崇神王朝渡来が旧暦5月5日というところから、非農耕の彼らが囲地の中で年1回の祝いをする。これに対し強制的に漁労農作を課されている海人平氏赤系の百姓や漁師が、それに面白かろう筈はない。そこで当日に限って、彼らへ殴りこみを掛けるのがおかみより公認。
小宮山昌秀の<楓軒偶記>は「5月5日新治郡安食の者らへ、土浦領下軽部の者らが押し寄せて石投げするを見る。古来よりの例なりときく」、<雨窓閑話>に、「信長清州にあり幼少の頃は5月5日の院地打ち」、<徳川実紀>松の栄えには「神君家康公ご幼少のみぎり安倍河原の5月5日の石合戦を見たまわんと仰せあり」と、これはコンクリート復元の岡崎城の二層にも絵で掲げてある。江戸時代の<古今夷曲集>2夏の部には「印地しに深入りしつつ深手をばおうは不覚な深草の者 久清」とか、「5月5日の雨なれば」と題され「風の手の礫(つぶて)のように討ち散らす雨こそ今日のソラ印地なれ、左衛門督藤原義景」がある。京の印地とは、地方の院地、院内、散所、山所、別所と同義語。
つまり尾張津島の喧嘩祭りや各地の裸祭りも、この印地打ちからのもので、同日が藤原王朝の国府祭にも当っていたから、双方を戦わせ今でいう余興のごとく「異をもって夷を制すとはこの事ぞ」と観戦していたらしい。勝った側は竹竿の先に奪ってきた鯉をつきさし軒先に飾ったのが、現代では鯉の吹き流しとなり尚武の節句とされ、悪除けのショウキさまとして、田村麻呂を男の子の節句とするのは、庶民の立場では可笑しな逆な話。関東の五目も、関西では加役めしという程だからである。

*(荒神)
三宝荒神、土公神、カマド神という。拝火宗である。ススでかためた御神体が盛岡郷土史館には陳列されている。綱吉以降は仏教にくみこまれたが今も盛んである。年末3日はカマド休みとし餅や密柑のお供えをし、新年には頂いてきた神縄の火でまた新しく燃やし始める家庭がそれ。もし田舎でそうしているのなら紛れもない拝火の血をひく庶民なのである。

*(事代主命)
コトシロヌシノカミ。上にコトとつくから神であっても神ではない。島根県美穂神社や神戸長田神社に封じこめ祟りよけに祀られているが庶民の御先祖さまである。出雲の三穂ノ岬で釣しているところへ鉄剣をもった軍が攻めてきたとの知らせ、父を先に逃がし自分も海中に青い柴で垣を作らせて身を潜め、小舟にのって秘かに海上へ逃避行。伊豆の海島へ身を匿されたともいう。いわゆる国譲りの神事として今ではその儘を黙々と再演してみせる行事もある。




(管理人)
今東光をウィキより抜粋する。


今 東光(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日 - 1977年〈昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家、天台宗大僧正(法名 春聽[)、中尊寺貫主、参議院議員。大正末期に新感覚派の作家として出発。その後出家し、長く文壇を離れたが復帰。住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など奥州を題材にした作品で人気を得た。週刊誌やテレビでも活躍し、毒舌和尚としても知られた。
作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。

四男が生まれた明治40年(1907年)頃、南インド・マドラスに寄港、船の修理で船渠(ドック)入りした折、アディアールで神秘思想に触れ、「神智学協会 The Theosophical Society 霊智学会とも呼称」会員となる。以後「胡桃船長」の異名をとるほどに菜食主義に徹した有数の神智学徒としても知られた。
1920年、東京市本郷区西片町に「神智學協会東京ロッヂ」 を開設、鈴木大拙夫人で神智学者だったベアトリス・レイン(Beatrice Lane)とも交流した。

僧侶として1964年春にエジプトからヨーロッパ各国巡錫の旅に出掛け、4月28日にバチカン市国ローマ法王庁で教皇パウロ六世に謁見した。バチカン放送局の放送機材を松下幸之助が寄贈していたた縁で、日本人初の放送を行った(伝)。1965年11月に僧正となり、1966年5月中尊寺貫主に晋山し、国宝金色堂の昭和大修理に努めた。1968年5月に落慶大法要を執行した。谷崎潤一郎、川端康成、梶山季之の死去に際して戒名を贈り、葬儀の導師を勤めて弔辞を読んだ。同じ天台宗僧侶である弁慶を描いた『武蔵坊辨慶』は、参議院議員活動による中断を挟んで1964 - 65年及び76 - 77年に新聞連載されたが、死去により未完となる。両親が津軽出身であることから自らを蝦夷の末裔「東夷ノ沙門(とういのしゃもん)」と称し、平泉・中尊寺を創建した奥州藤原氏を描いた歴史小説『蒼き蝦夷の血 藤原四代』を1970年から執筆するが、藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡の三代まで描いて死去して未完となる。1973年11月に瀬戸内晴美が中尊寺で出家得度すると、師僧となり「春聽」の一字を採って「寂聴」の法名を与えた。





神智学協会会員であり、神智学徒であったとのことだ。
この「事実」だけで、この人物の正体が分るというものだ。
神智学関係者についてはこれまで何度か書いてきたので、リンクを貼っておく。


ヘレン・ケラー
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-4600.html
「アメリカの手話にはロックフェラーから金が出ており、考案したヘレン・ケラーは神智学者、すなわちフリーメーソンだった」byヘンリー・メイコウ
「イルミナティ~世界を強奪したカルト」⑥ヘンリー・メイコウ(監訳)太田龍


ルドルフ・シュタイナー
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-3399.html
「ウイルスの作り話は、人々をコントロールするために、実に便利な手段である」byルドルフ・シュタイナー
「嘘八百の新型コロナウイルス詐欺に騙されるな!㉟」


出口王仁三郎
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-303.html
出口王仁三郎→日月神示→スウェーデンボルグ→ニューエイジ・フリーメーソン
「天の叡智」日月神示 ミクロの道は悪を抱き参らせてこそ進む
中矢伸一



今東光は「平泉文化」を喧伝する役を担っていたのだろう。
決して「庶民は地面の上の住居がなく穴居生活だった」などとは言わないだろう。
江戸時代まで仏教勢力が行なっていた悪行の数々も言わないだろう。
だから教皇パウロ六世に謁見でき、天台宗大僧正になることができ、週刊誌やテレビでも活躍できたのだろう。
弟の今 日出海も、ウィキより抜粋する。


今 日出海(こん ひでみ、1903年(明治36年)11月6日 - 1984年(昭和59年)7月30日)は、日本の小説家、文芸評論家、舞台演出家。
初代文化庁長官を務めた。
北海道函館市に生まれた。3人兄弟の末子で、長兄は小説家で天台宗僧侶の今東光である。
1945年(昭和20年)11月、文部省社会教育局文化課長となり、翌月同芸術課の初代課長となった。1946年(昭和21年)1月、本間雅晴中将の戦犯裁判の証人に喚ばれ、戦後のマニラに飛んだ。同年7月、神戸一中で同級だった白洲次郎の仲立ちで、吉田茂首相にGHQの横暴を直訴し、以後吉田に親炙した。その秋、第1回の芸術祭を催した。1947年(昭和22年)12月、芸術課長を辞し、約1年病臥した。
1968年(昭和43年)6月、佐藤栄作首相に請われて文化庁初代長官となり、約4年間務めた。1972年(昭和47年)10月から、国際交流基金の初代理事長を8年間務め、モナリザの日本初公開(1974年)、および、パリの唐招提寺展を実現した。
1974年(昭和49年)、勲一等瑞宝章を受け、1978年(昭和53年)、文化功労者に選ばれた。1980年(昭和55年)、国立劇場会長となった。そのほか、放送番組向上委員会委員長、日本アカデミー賞協会会長などの役職が、80近くに及んだ。
1984年(昭和59年)7月30日、脳梗塞のため神奈川県鎌倉市の病院で没。80歳。鎌倉カトリック墓苑に葬られた。



今 日出海はヨハンセングループと親しかったようだ。
ヨハンセングループとは何か?


http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-270.html
鬼塚英昭氏の『白洲次郎の嘘』には、この柴田哲孝氏の『異聞 太平洋戦記』が引用されている。そして柴田氏が解明した昭和20年3月10日の東京大空襲も、真珠湾攻撃も、広島への原爆投下もみな八百長だったことを解明していることを紹介している。

 3月10日東京大空襲は事前に日本側に「ヨハンセン・グループ」を通じて軍部にも連絡されていた。日本側は東京ローズの謀略放送(ということになっていた)で、当日夜に「煙」とか「炎」とかの言葉が入った音楽を流した(「煙が目にしみる」「世界を火に包まないで」「過ぎ去りし日の恋の炎」)。それは、安心して低空飛行で爆撃に来ても大丈夫ですよ、日本の戦闘機は迎撃しません、という合図=暗号だったのだ。

 真珠湾攻撃のときは、アメリカのハワイの放送が、昭和12年12月8日未明(日本時間)普段は絶対に流すことはあり得ない日本の歌謡曲「目ン無い千鳥」の歌をニ度も流したのであった。その歌を合図に、日本軍機が全軍真珠湾に突撃して行ったのだ。アメリカ軍は迎撃してこないという暗号だったのである。

 もうひとつは昭和20年8月6日、広島に原爆を落とすためにテニアン島から飛び立ったエノラ・ゲイ機に対して、東京ローズは「センチメンタル・ジャーニー」を流し続けていた。つまり原爆搭載したB29が低空で侵入しても、日本軍は迎撃しませんという合図であった。

 これを解明した柴田氏はすごい。
 そして鬼塚氏はこう解く。
 「山本五十六は天皇裕仁、牧野伸顕らから、真珠湾攻撃における八百長工作を持ちかけられ、受けざるを得なかった。近衛文麿から東条英機に急に首相が替わったのも、天皇の作戦を東条英機が忠実に実行すると約束したからである。
 
 なぜ「目ン無い千鳥」の歌なのかは、たぶん、山本五十六の愛人がこの歌を好きだったからではないか。山本五十六はヨハンセン・グループから金を貰い続け愛人を囲う身分になっていた。
 山本五十六は愛人と最後の夜に酒をくみかわし、二人してこの歌を唄ったのではなかったか。それでアメリカに、この歌を流すように頼んだ。」

 鬼塚氏は東京大空襲も広島原爆投下も、ヨハンセン・グループがNHKを利用して無条件にアメリカ側に流させたと言う。
 ヨハンセン・グループとは吉田茂、白洲次郎、牧野伸顕、松本重治、牛場知彦、貞明皇太后、樺山愛輔さらには天皇裕仁を巻き込んだ売国奴の連中を言うのである。彼らはユダヤ国際財閥が仕掛けた戦争に協力して、日本を敗北させるべく暗躍したのである。





今 日出海は「白洲次郎の仲立ちで、吉田茂首相にGHQの横暴を直訴する」という役を与えられたのだろう。勿論、芝居である。「今 日出海や白洲次郎や吉田茂はGHQに文句を言える勇敢な人物だった」と大衆に思わせるための芝居である。
白洲次郎も吉田茂もGHQも“お仲間”である。全員グルなのだ。
そもそも今 日出海が「偶然」白洲次郎と知り合うはずがないのだ。
すべてが台本通りに進められただけなのだ。
今 日出海が“ご立派な肩書”を与えられたのにも、理由があるのである。
「彼ら」の僕として忠実にお役目を果たしたことへのご褒美なのだ。
存在証明のないウイルスの脅威を口実に治験中の遺伝子組み換え毒ワクチンを5回も6回も7回も国民に打たすよう日々工作活動をしている現代の売国奴連中が“ご立派な肩書”を与えられているのと同じことである。

仏教も、神道も、キリスト教も、根は同じなのである。
すべての宗教は繋がっているのである。

すべての宗教は悪魔の命令に従っているだけなのだ。
「過去の歴史を隠蔽し、国民を徹底的に騙しとおす」という命令に。
「現世が辛くても、貧しくても、差別されていても、死んでしまっても、支配者や現政権を倒そうとするんじゃない。ひたすら神や仏の教えに従って従順にしていれば死後に天国や極楽浄土に行ける。幸せになれる。救われる」と国民を信じ込ませておけ、という命令に。

宗教信者だけでなくそこの右手を差し出しているコロナ真理教のあなたにも、もう一度も言っておく。
さらには新コロワクチンの害のみを語ってにわか覚醒者を信用させイベルメクチンが“さも良い薬である”がのごとく喧伝しているネット工作員に騙されているあなたにも、もう一度も言っておく。

「信じる者は殺される」と。



評点:90点





八切止夫