「こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。」byソウルマン

 2024年02月25日

 

 八切止夫  1

「野史辞典」①八切止夫


1980年の書の2003年復刻版を読んだ。複数回に分けて記す。
八切氏独自の“普通の人”は知らないことばかりの”真実の辞典”である。以下、一部引用する。


*(荒木村重)
私の「天正美少年記」に詳しい。自分の寵童万見仙千代を信長に奪われた為、その摂津や花隈、伊丹ら4城を傾けつくしてまで徹底抗戦をなして衆道の鑑とされる。「おれが稚児さん、さわらばさわれ腰の朱鞘は伊達じゃない」と、ホモ讃歌がおおいに唄われた明治初期には「男なりゃこそ村重さまは・・・」と荒木讃歌も関西で大流行し、今のバラ族の神的存在。

*(かわた)
川田、皮多。江戸五街道の地名には皮田、河田とある。徳川綱吉以前は製革業として栄えた土地だが、読み違いで誤られてカタワなどとする間違いすら為に生れる。
貞亨4年の生類憐みの令によって製革業が大弾圧をうける迄は、ビニールやレザーのなかった時代は繁昌。カワヤはなめしの原料のアンモニア集めに馬車隊で汲みとりをして廻り、剥いで浸した生皮を河原で広げ引っぱって並べ乾かしていたゆえ、皮の田畑のごとしと呼ばれたのである。
しかし明治になって徳川綱吉からの神仏混合令が廃止、廃仏稀釈からもり返した寺側は、まず忌み嫌う拝火宗の「祇」を葬り去った。奈良の東大寺や西大寺の四天王の広目天や増長天が、足で踏んづけている邪鬼は、「まつろわぬ国津神の裔」藤原王朝に対する反体制だった者らを鬼とす。
「反仏教の徒」なのを現すべくそれら邪鬼は、仏恩を受けぬものは人にあらず非人なりとして、「降参」している恰好にするだけではものたらず、征服されたことを意味するごとく両脚で踏んづけられている状態にして示すだけでも、まだあきたらぬのか、その邪鬼の手を外側に見せつけて、「4本指」という怪奇な表現をとって見せたのである。つまり「阿魔将軍北条政子」や「源頼朝と北条時代」の拙著において、以前に川田に住まっていた人々が「何処がカタワか」と両手をつきだす話をかいたが、この四天王における邪鬼の表現からの誤解が今になっても、広く尾をひいている。

*(坂上田村麻呂)
苅田麻呂の子で百済系であって、征東将軍となって吾ら日本原住民の祖先をば討った相手なのに今では庶民が、知らずに五月人形のショウキさまとして祀っている。

*(七夕)
アラブのメソポタミアの、ウルク城の別名をイミン(7)と呼び、7と7を重ねるのはシュメール(スメラ)洪水伝説の粘土板にも、77の奇蹟で助かったとある。
つまり7月7日の七夕祭の神話はユーフラテス河の左右に分かれた敵同士だったウルク城の姫がラガンシュヤ城の王子と年1回だけの逢瀬を秘かに、77の奇蹟の日だけに長く延びる青竹につかまって、双方より渡り川の中州で逢えて、よりそったというアラブ伝説が、その起源である。
アラブ系拝火宗徒が京勢力に追われ住みついていた坂東8カ国で、また苛められた者が、天慶の乱に破れて更に東北へと逃げこんだり隔離され、エビスとよばれていたのが今の東北地方である。
宮城県の仙台で市をあげての華々しい七夕祭を催すのも、こうした訳合いがあるからである。

*(投げこみ寺)
江戸時代の吉原の西念寺や、新宿の成覚寺が遊女の死体を放りこんだので有名だが、反仏教の日本原住民は余程の金持ちで、寄進でもなければ寺は人間扱いをせずだった。為に地方では、投げこみ寺とは言わず畜生寺とか、寺内へ引き取って埋める孔を畜生塚とも言った。だから原住民は寺を嫌って別個に焼いて骨にして祀ったり丘へ埋めた。大正になると官憲が干渉して勝手に葬式をさせず許可制にした。埋葬許可証には医師の死亡診断書と火葬証明書がなくては駄目の上に、寺側よりの受入れ証明も必要になった。つまり「何々家先祖代々之墓」なるものをよく見かけるが、それがあるのは、それまで寺に墓がなかった原住民系が、仕方なく寺へ金を払って初めて建てたものである。故に当今では寺ではなく何々霊園といった処へ、みな墓を建てている。

*(七七日)
仏家では七七四十九から、ナナナヌカの忌日を「シジュウク日」の仏事ともいう。<徒然草>の125章や<伊勢物語>にもある。藤原氏全盛時代は七の怨霊たたりを怖れた。それゆえ生きている日本原住民は非人間扱いだが、滅ぼした霊だけは迷って出てこぬようにと封じこめの秘法を、宮中だけでなく各寺でもそれぞれ催していたとみられる。地位のある者が死ぬと封じこめの怨霊に苛められず、成仏できるように初七日より七日ごとに供養した。江戸期では七日詣りまでは何処のお寺でもさせ、七年忌にはみな永代回向料を納めさせ、現世での利益を大いにはかった。

*(番太郎)
番太ともいう。江戸、京、大坂などの辻ごとに住まわされ町木戸の警戒をやらされていた。その代り日本原住民系の出身でも、町役によって町人別には入れて貰えた。「犬も歩けば棒に当たる」というのは騎馬民族系で皮革業の繋がりがあるゆえ、番太も野犬をみると、その棒で殴り殺しては製革材料に補給していた。故に、犬殺しの別名もある。限定職業の一つである。

*(幕)
遊牧民族のモンゴリアンは幕をはって野営するが、同じ騎馬民族の源氏も、マイホームを意味する新羅語のカマクラと名づけ釜利谷別所に定着しても、幕のタウンと幕府にした。<三才図会(さんさいずえ)>には、幕人が帷幕(いばく)をつかさどるとある。いま葬式には黒白の幕をはるが他は紅白なのは、庶民が拝火宗の平氏の紅系か騎馬系の源氏の子孫で、それら庶民が人口の8割ゆえの為らしい。

*(町屋)
店屋ともかく。織田信長から拝火宗のヤのつく者らだけに商売は許され、屋号となったのだがマ衆とよぶ松下、松尾系、蘇民将来、源氏末裔も信長が爆死すると商売をした。
・・・・・(中略)・・・・・
つまりヤにしろマにしろ原住民系が商人の先祖だったのである。

*(八百)
やお。天の王朝を神話にしてしまうために八百万(やおよろず)の神々と申し上げる。恐れ多いが八百は良い言葉ではない。八百屋も今では青果商と称し噓八百ともいう。地名でも河内の八尾は、平野四神に寄進された原住民共を収容しておく囲地だったらしい。南方系の痩せた軍鶏をシャモとよび闘鶏をさせているのも、かつてベトナムからマレーシアまでがシャムロ国と称されていたからである。ヤオは<源平盛衰記6>でも「やい、こら」といった用語。

*(八)
騎馬民族の崇神王朝以前は、後に八とか谷の者、ヤツとよばれる拝火宗のマレーシアバハンから渡来の、今いう天の王朝系が日本列島に黒潮によって漂着し各地に住まっていた。黒潮暖流が時速8ノットでマレーシアから流れこんでくる瀬戸内海には、八つもないのに八島、後世の屋島があり、日本列島をヤシマの国といったり、拝火宗の多い東国では関八州とまでいう。やがて百済や唐といった当時の先進国が、まだ植民地なみの開発途上国の日本列島に目をつけ討伐隊をさしむけてきた。戦った日本アパッチの頭目は八十タケルとか、ひどいのはヤワタのオロチと怪獣扱いされる。




(管理人)
私は知らなかったが、信長と荒木村重の”特殊な関係”をたけしが映画にしていたそうですね。
本能寺の変の真実にも触れたならたけしを評価しますが、まぁ無理でしょうナ。

https://news.mynavi.jp/article/20231115-2819212/
同作の内容について聞かれた北野監督は、まず「NHKなんかで描く大河ドラマというのは、すごくかっこいい役者を使って、実に綺麗事を並べたような戦国の物語を描くんですが、そういうところで触れないのは、信長と小姓の森蘭丸とか、前田利家と信長の関係とか、男同士のホモセクシャルの関係」と指摘する。
今回描いた武将同士の関係について、北野監督は「戦国時代というのは、その人に命をかけるという意味での男色があって、信長なんか子供を22人も作ってるわけだから両刀だけど、性的な関係があったことを日本のテレビは描かない。戦国時代はもっとどろどろした男同士の関係とか裏切りとか、いろんなことが同時に起こってああいう時期になったと、30年前に(原作を)書いたんですけど、それがたまには時代劇を撮ろうということで撮ってみたんですが、試写会の段階ではかなり好評で、非常に喜んでます」と説明した。


https://eigachannel.jp/j-movie/kubi/review/3/
20名を優に超える男たちがスクリーンを躍動する本作において、明智光秀×荒木村重×織田信長の三角関係に根ざしたホモセクシュアルな欲望(エロス)は、「誰もいなくなるまで殺し合う欲望」(タナトス)と表裏一体となって観る者に差し出される。


信長と荒木村重だけでなく明智光秀もホモだったということ?



東大寺の四天王の持国天や増長天の写真が見れます。
踏みつけられて4本指でカタワにされているのは日本原住民ということですね。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。

https://j-art.hix05.com/04tenpyo/tenpyo08,kaidan.html
天平時代前期の仏像7:東大寺戒壇院の四天王像



五月人形のショウキさまの人形です。
この百済人に日本原住民は根絶やしにされました。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。

https://www.hinamatsuri-kodomonohi.com/view/item/000000002090



「日本原住民は、寺を嫌って別個に焼いて骨にして祀ったり丘へ埋めた。大正になると官憲が干渉して勝手に葬式をさせず許可制にした。埋葬許可証には医師の死亡診断書と火葬証明書がなくては駄目の上に、寺側よりの受入れ証明も必要になった。つまり「何々家先祖代々之墓」なるものをよく見かけるが、それがあるのは、それまで寺に墓がなかった原住民系が、仕方なく寺へ金を払って初めて建てたものである。」ということなんですね。
「何々家先祖代々之墓」は“大正時代の政府と寺が結託した策略”だったんですね。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。



初七日や四十九日法要は、藤原氏全盛時代は七の怨霊たたりを怖れたため、非人間扱いの日本原住民を滅ぼした霊だけは迷って出てこぬようにと封じこめの秘法を、宮中だけでなく各寺でもそれぞれ催していたことに由来するようだ。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。



「「犬も歩けば棒に当たる」ってそーゆーことだったんですね。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。




「天の王朝を神話にしてしまうために八百万(やおよろず)の神々と申し上げる。恐れ多いが八百は良い言葉ではない。八百屋も今では青果商と称し噓八百ともいう。」ということだったんですね。
「噓八百」の“誕生秘話”を初めて知りました。



「織田信長から拝火宗のヤのつく者らだけに商売は許され、屋号となったのだ」とのことである。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。



「征服者である外国人勢力と戦った日本原住民は、八十タケルとか、ひどいのはヤワタのオロチと怪獣扱いされた」ということですね。
こういったことを国民は知らない。教えられない。学校教育は嘘ばっかり。
踊る阿保に、打つ阿保・・・