「細川忠興も、光秀も、当然イエズス会も、事前に信長殺しに関わっていた。ただ光秀は実行犯でないにも関わらず、犯人兼“殺され役”を引き受けた。」byソウルマン

 2023年12月31日

 

 八切止夫  0

「信長殺し、光秀ではない」④(最終回)八切止夫

前回に続く。以下、一部引用する。


*さて七層だてで金銀に朱をもって飾られた天下一の名城。安土文化の殿堂である安土城は、この日に焼け落ちた。
<甫庵(ほあん)太閤記>と<秀吉事記>は、明智秀満が退去した際に放火したものだといい、現在、安土町の小学校や、町役場は、この説をとっている。つまり「悪い奴は、光秀だ」といっている。<川角太閤記>と<豊鑑(とよかがみ)>には、何故か、この大事件は一行も出ていない。
しかし15日というのは、坂本城へ戻っていた明智秀満が、堀久太郎秀政に包囲され、その異父兄で先手大将として攻めてきた堀直政に、国行(くにゆき)の刀、吉光の脇差などの古美術品を目録をそえて贈り、光秀の妻女や自分の妻子を刺してから、煙硝に火をつけ、城もろとも灰になった日である。
だから、明智秀満が火をつけたのは安土城でなく、自分の坂本城のほうである。自殺のためである。
なにしろ日本側史料類は、光秀に関しては虚偽か黙殺かで、みな逃げをうち、まことに始末が悪い。
しかし天正11年正月づけの<ルイス・フロイス書簡>によって調べてみると、
「織田信長のたてた安土の巨大な城は、美術博物館のような素晴らしいものである。6月2日に、父の信長、そして兄の信忠が死んでいるから、順番からゆけば、今や相続人は次男の織田信雄である。それなのに彼は、6月15日に、自分の物となる筈の安土城を、そこに敵兵が一人もいないのに攻めた。そして放火した。焼いてしまったのである。彼は、気が変になって狂人になってしまったのか。そうでなければ、これは生まれつきの愚者という他はない。
・・・・・(中略)・・・・・
と、いと明白に「放火犯人は、織田信雄」であることが、指摘されている。
・・・・・(中略)・・・・・
また秀満なら放火したとしても、まさか焼け落ちるまで止まって、それを検分している暇はない。急いで引揚げねばならぬから、その儘で立ち去ったと見るべきである。そうすれば、当時は天下一の城下町といえわれた安土だから、まんざら人間が誰もいなかったということはない。秀満らの退去の姿が見えなくなったら、人情として、土地の者が駆けよって消化してしまっている筈である。
それなのに、安土城が完全に焼け落ちてしまったというのは、織田信雄が2万の軍勢で城を囲み、誰にも消化をさせず、じっと焼け落ちる迄、これを検分していたからに他ならない。
だから「安土城放火犯人」については、日本側の史料は、みな嘘で固めてあって、フロイス書簡の方に、どうしても真実性がある。
・・・・・(中略)・・・・・
安土城が焼け落ちてしまって集るところがないから、その12日後に尾張の清州城に、織田家の重臣の柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興の4人が集まった。これが、いわゆる天正10年6月27日の清州会議である。
問題の信雄も、6月13日に秀吉軍に加わって山崎合戦で明智軍を破った信孝も、別室で、重臣会議の結果をまっていた。
・・・・・(中略)・・・・・
信長の遺領の配分となると、三七郎信孝と三介信雄とでは、誰がみても手柄が違う。信孝は曲りなりにも親の仇討ちをしたという名聞(みょうもん)があるのに、信雄は、伊勢にいて山崎合戦に加わらず、土山に本陣を設けていただけで、15日に、明智秀満が兵を率いて空っぽにした後の安土へ向かい、そこで安土城を焼いたきりである。
・・・・・(中略)・・・・・
ところが重臣会議の結果は、
「三介信雄さまの御手柄につき尾張1カ国を進呈し、ここに伊勢、尾張2国のご太守のこと」
「三七信孝さまは、山崎合戦にて御働きにより、美濃1国をもって、そのご太守のこと」
と、2倍の格差が、重臣たちによって、つけられてしまった。
秀吉と合流して、山崎円明寺川合戦で、光秀の軍勢を破った手柄より、何故、安土城を焼き落とした方が、値打ちがあるのか。
フロイスは、愚人の所業と嘆き悲しむのに、何故、重臣たちは、それを高く評価したか。
それに「安土城が焼け落ちるまで見張っていた事」自体が、どうして、そんなに重大な価値があるのか。何も、これに関する資料は残っていない。
ただ判ることは、この重臣会議に集った者で、秀吉以外は、その後、3年と生き長らえた者は、いないと言うことだけである。
・・・・・(中略)・・・・・
ただ一人、織田信雄だけが、安土城を焼いた手柄なのか、秀吉に殺されずに残る。
・・・・・(中略)・・・・・
本来なら秀吉の性質上、とっくに消されてしまってもよい、この男だけが、秀吉の死後まで生き残る。
「関ヶ原合戦にて西軍に加担したから失領」と、
<慶長見聞書>にはある。だが、しかし、なぜか「徳川家康も涸れに、改めて領地を贈っていること」が、
<東武実録>には出ている。やはり安土城を焼き払ったことへの感謝であろうか。
・・・・・(中略)・・・・・
つまり、其処に誰かがいて、その者が、もし生きていたら、秀吉にしろ、家康にしろ、みんなが迷惑をする心配があったせいらしい。

(管理人)
私は、これまで「信長殺しの犯人は、イエズス会である」と思っていた。
直感的にそう感じていたが、それを裏付ける書も見て、ほぼ確信していた。
しかし本能寺の変という奴は、あまりに謎の多い事件であり、イエズス会以外にも犯人らしき人物・勢力が多数存在していることも理解していた。
ここで私が言っているのは、真犯人のことであり、実行犯ではない。
私は、これまで、あくまで「実行犯は光秀であった」と思っていたのだ。
だが本書を見て、それも偽りであることが分かった。

八切氏は、本書で「実行犯自体も光秀ではない」ことを証明しているのである。

さて、真犯人だが、

 では、イエズス会であることの論拠を紹介した。

 では、秀吉及び細川家であることの論拠を紹介した。

 では、家康であることの論拠を紹介した。

そして今回の④では、
それ以外のある人物が関わっている可能性があることの論拠を紹介した。
しかしこの人物は、犯行に関わっていたようではあるが、犯行終了後に消されてしまったようである。
斎藤内蔵助と同様の運命をたどっているのである。

つまり、秀吉も、家康も、「この人物が生き長らえたならば、非常にマズイ」と思っていたようであり、織田信雄を使って安土城もろとも焼き殺したということなのだ。
だから、自身の不安の種であるこの人物を安土城とともに葬り去るという“手柄”をたてた織田信雄に、秀吉も、家康も、感謝し、その後も殺さずに手厚く対処したらしいのだ。

さてこの人物は誰でしょう?

これまで本書の内容を公にしてきたが、ここだけは伏せておきます。
関心のある方は、ご自身で本書を読んでみてください。
ちなみに、この人物の墓はいまだに存在していないそうです。

それは何故か?

墓がないのには理由があるのです。
昔の人は知っていたが、現代人は知らない理由が。
こういったところに歴史の真実が隠されているのです。

本書を読んで理解したのは、「信長殺しの犯人は、単独ではない」ということです。

ひとつはイエズス会であり、
ひとつは細川家であり、
ひとつは秀吉であり、
ひとつは家康であり、
ひとつは今回の④で紹介したある人物であるということだ。

実行犯は、イエズス会を除いて以下の人物である。

ひとつは斎藤内蔵助の部隊であり、
ひとつは細川家の部隊であり、
ひとつは小野木縫殿助の部隊であるということだ。

さらには、これは私の考えだが、以下のような人物も関係しているだろう。直接犯行に関わっていなかったかもしれないが、少なくとも事前に犯行を知っていたと思われる。

ひとつは大友宗麟・高山右近等のキリシタン大名であり、
ひとつは黒田官兵衛であり、
ひとつは今井 宗久・津田 宗及・千利休等の堺の茶人であるだろう。

キリシタン大名は、イエズス会と関係しており、信長殺しの犯行に関係していないと思うこと自体が、どうかしているだろう。

黒田官兵衛が本能寺の変の知らが伝わった時、「これで、すべて秀吉の殿の思い通りになられましたな」などと、秀吉に語ったという逸話が残っていることからも分かるように、黒田官兵衛はキリシタン大名でもあり、事前に本能寺の変を知っていたのである。
「中国大返し」など、「偶然」起こるはずがないのである。
秀吉が誰よりも黒田官兵衛を怖れていた理由は、ここにあるのである。

今井 宗久・津田 宗及・千利休等の堺の茶人の裏の顔は、武器商人であり、イエズス会と繋がっていたのである。秀吉が後年になって利休を死に追いやった理由は、ここにあるのだ。
「こいつを生かしておけば、今度は自分がやられる」と、秀吉は思っていたのだ。

さらにはさらには、これも私の考えであるが、この人物も怪しいと思っている。

はい、明智光秀である。
「光秀は本当に殺されたのか?」と、私は思っている。
「光秀が天海僧正になったと噂されているが、真実なのかもしれない」と、私は思っている。
光秀の娘である細川 ガラシャは、細川忠興の正室となっている。
しかも細川忠興は、本能寺の変の後も、ガラシャと離縁していない。
信長殺しの犯人の一人であると思われる細川忠興が、信長殺しの犯人に「させられた」光秀の娘であるガラシャと結婚し、離縁もしていないという事実。

これおかしくないですか?

この「事実」をガラシャが知っていたならば、ガラシャはどう思ったでしょうか?
マトモな神経でいられたでしょうか?

そんなわけないでしょう。
実の父親である光秀が信長殺しの犯人扱いされて、信長殺しの真犯人である人物が自分の旦那だなんて・・・
普通の神経なら、この時点でガラシャは自殺していたでしょう。
キリスト教には自殺してはいけないという教えがあることを知ってはいたものの・・・
細川忠興も、マトモな神経の持ち主ではない。
自分の犯行を隠蔽して、自分の妻の父親を代わりに犯人に仕立て上げたのである。

これはどう考えても、以下の内容が真実だと思うのだが。

細川忠興も、光秀も、当然イエズス会も、事前に信長殺しに関わっていた。ただ光秀は実行犯でないにも関わらず、犯人兼“殺され役”を引き受けた。

これはあくまでも私個人の考えであり、八切氏の言説とは異なることを述べておく。
ひょっとしてこんなことを言っているのは私だけなのかな?

それにしても本書が刊行されたのは、なんと、1967年である。
今から56年前のことである。
八切氏は、ここまで詳細にわたって信長殺しの犯人の真相を突き詰めていたのである。
もう一度言う。今から56年前のことである。
明智光秀を主人公とした大河ドラマが放映されたのはつい最近のことであるが、相も変わらず犯人は光秀であるという設定で、理由は光秀の信長に対する怨恨であるといった内容であった。
他にも本能寺の変の犯人については定期的にテレビで報じられているが、本書に記されているようなことは一切伝えられていない。
秀吉や家康を疑うことを報じたりもするが、本書に記されているような真相に迫ったことには触れず、ピントのズレた論点のみに終始しているお粗末なものばかりである。
これはテレビに限らず、この国の歴史の専門家とされている大学教授等の言説も同じである。

これらのすべてが的外れであり、ピントのズレた論点のみに終始しているのである。

こいつらはいったい何者なのか?
どうしようもないアホなのか?
何故に56年前に八切氏が暴いた信長殺しの犯人の真相と全くかけ離れた、ピントのズレた論点のみに終始しているのか?

もう分かりますよね。
彼らの仕事は歴史の真実を暴くことではないのです。
彼らの仕事は国民から歴史の真実を隠蔽して偽りの歴史を信じ込ませることなのです。
コロナ詐欺を推進するために、感染対策がどーのこーのとか、ワクチンの効果がどーのこーのとか、噓八百の戯言を喧伝して国民を騙している“殺し屋の手先”と同じなのです。
歴史関係も、感染対策関係も、テレビに出ている専門家は、偽物の専門家なのです。


評点:100点