『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第79話

 

《愛知支部黒帯 第一期生から辿る足跡 其の79》


Оクンの道場に稽古に行ったらОクンの前歯が1本欠けテいたのデ、「どうしたンか!?」と訊いたら「入れ直す為ですヨ」と応えたから、以前から差し歯だった事を初めテ知った。
(加藤)「怒るデェ併し!!」の靖チャンも傍に居たから、「ソォ云えバ、ヤッちゃんも前歯は差し歯だったよナァ」と云うと、「未だ入門して間もない頃、組手デ其の時の指導員に上の前歯3本を叩き折られた」と思い出しテ憤慨している。
「Qさんは、前歯全部残ってるンですか!? 珍しいですネ」とОクンが云うのデ、「俺は強かったからネ(爆笑)」と冗談デ済ませてみたが、40数年前の当時は意識した事も無かったけれど、改めテ其の理由を考えて観た。


私は、歯の生え還えの時、左右上の犬歯が八重歯に為った。今の人は御存知ないカモ知れないが、芸能人の小柳ルミ子と同じである(女性なら可愛いけれど、男の八重歯はネェ~)。
犬歯は、前歯に較べると厚みがある。其れが前に飛び出ているのだから、間に挟まれた前歯4本は左右の犬歯(八重歯に)デ守られているのダ。
勿論、欠点も有るヨ…歯並びが平列じゃないから、顔を殴られれバ直ぐに口腔内がズタ切れデ血塗れに為っテ仕舞う。こんな時は、八重歯いらんから誰か早く折っテ呉れェ(苦笑)と…まぁ、勝手な云い分だけど、ひょっとしたら犬歯の御蔭デ前歯を折られズに済ンだのカモ。因みに私の実弟も、前歯は2本だったか差し歯である。
我々の先生も藤平昭雄(大沢昇)先生に組手デ歯をブチ折られたらしい。ワールド大山空手の大山茂総主は、「前歯なンか残ってルもんか!!!」と豪快な発言をされていた。我々より前の師範方は、組手イコール前歯損傷が当たり前の時代だったのダロゥ・・・・・・


振武館館長黒田鉄山第15代宗家が、今年の3月3日に73歳デ逝去された。そして、2024年パリオリンピックも8月11日に幕を閉じた。
オリンピックと訊くと、黒田鉄山先生を思い出す。
オリンピック選手は、素人が10工程デ動くのを同じ10工程ながら1工程ずつを素人拠りも若干縮めて速く動ける。其の結果が、100m走を9秒台デ走り抜けて仕舞う。私の倍ぐらいのスピードである(苦笑)。
武術家は、其の10工程を6工程か7工程デ動く。当然、減らした3工程及び4工程分が早く為る。


スポーツ選手は、身体鍛錬に拠り「速く」為るのだが、武術家は素人と同じスピードながら、其の動作がコマ飛ばしだから「早い」。当たり前だが、スポーツ選手は引退して鍛錬を止めれバ現役時代のタイムやパホーマンスは出せない。況してヤ、老齢に為ってからは云う迄も無いダロゥ。
武術家は、鍛錬した筋肉デ動いている訳では無いのデ、歳を取っても同じ動きが可能だし繰り返す程動きが精緻に巧みに為っテ、益々達人の域へと近付いて行く。
「足は遅く、身体も硬く、運動能力を全く持ち合わせない私が曲がりなりにも古の侍と同じ動きが出来るとすれバ、其れは流派に伝わる剣術の型の御蔭ダ」と、黒田鉄山先生は断言する。


だってサァ、オリンピック陸上のメダリストを観て御覧なさいヨ。アフリカ系人種のあの身体機能と身体能力。私が、小学生の時から陸上に打ち込ンで鍛錬したっテ、絶対に彼らを凌駕出来ないでショ!!!
陸上もバスケットもヘビー級ボクシングも、アフリカ系の方達が上位独占じゃん。
身体的に優位な相手に、自分の身体を鍛錬しテ挑ンで行っても敵わない。其れを可能にするとしたら、黒田鉄山先生の様な武術的身体を型デ手に入れるしか無いのダロゥ。
そして、此れが最も難しいのだが、型を何処まで本当に正しく理解出来るのか。


前回も記したけれど、最近の私は型を重点に置いて居る。しかし、私の現在の理解度は、100%の内の0.01%…つまり一万分の1以下に過ぎない。死ぬ間際までにせめて0.1%ぐらいの理解までに到達出来ないか知らん(汗!!)。
其れでも、90~100%近くまで行かれた黒田鉄山先生とは桁違いダ(室町から江戸前期までには、200%や300%の化物侍が居たのダロゥか)。


其れでも、理解出来る範囲デ道場の生徒達には教授している。嘗て小学校の低学年や年長さんだった子供達も、今では高校生なのデこんな約束組手も遣らせられるし、私の説明を判らないながら理解し様として呉れテいる。
相手が右パンチをコチラへ突いて来る。其の右パンチに当たらない様に受け手は相手の右横へ入り込む。こんな約束組手を想定する。
殆どの生徒が「左半身」の組手構えなのデ、相手の突きに対しテ前へ出ながら「左半身」から「右半身」に転身する。


昔、現役時代の組手デ先生から絶対に下がるな、前へ出ろ!! と何度も云われた。器用な仲間達は、組手デ下がって相手を梳か(スカ)し反撃していたが、私は不器用なのデ先生がおっしゃる通りに突っ込んで行っては玉砕していた。
話が突然跳んデ申し訳無いが、8月15日は終戦記念日である。今ではもぅ放映されないけれど、特攻隊が米艦に突っ込む白黒映像を大昔に何度も観た覚えがある。
何処かで訊いた話だが、私が観た映像では敵艦に零戦が当たった場面は殆ど無く、途中で撃ち落とされたり海へ飛び込むシーンが多かったけれど、特攻攻撃とは極めて効率の良い戦法だった様ダ。20代前後の若者が己の命を懸けた事績を無駄死にだと詰る人達が居るのは嘆かわしいが、彼らの死が私達次世代の後世に役立ったと認められたのは喜ばしい。少なく共、原爆で皆殺し戦法を採った様な奴らなンぞと較べれバ、何ンと云う清々しさ、正々堂々とした武士道魂ダロゥか。
話を戻しマス。
当時は組手デ、訳も判らズ突進していたが、今なら漸く理解出来る。下がって受ける事は、防御には為らないのダ。一歩でも下がれバ、どんどん付け込まれて仕舞う。防御も攻撃も前進有るのみ(笑)。


此処デ、生徒達に最大の要点を説明する。
「左半身」から「右半身」に転身する時に、右腰を回して前へ出てはいけない。此れをすると、如何に早く動いても身体が4分の1程度の円周を描くから、必ず相手の右パンチが当たって仕舞う。
では、ドォするのが正しいのか。左腰を引いて右半身に為る(半円では無く直進デ右腰を前に出す)のである。「右半身」に成る為の主力は、右腰では無く左腰なのダ。左腰の引きに拠っテ無意識に右腰が前に出て行くのが正しい。
此れは、侍が日本刀を鞘から抜刀する動きと全く同じである。
空手の型デ、其の身体操作を学びたいのなら、「ナイファンチン(内進歩)」の型が良いダロゥか。


上記の身体操作を守っても、なかなか攻撃相手の右パンチに当たらズ相手の右横へ入り込むのは難しいモノだが、其の果てしない繰り返しデ身体の動きがどんどん精緻に研ぎ澄まされて行き、何れは身体を少しピクッと動かしたダケで何ん無く前に出られる様に為る筈である。


さて、相手の右サイドに上手く入れる様に為ったら、右手刀デ相手の頸を打ち其のまま手刀を相手の項に引っ掛け、引き込ンで右膝蹴りをボディにブチ込み、「うっ」と力の緩ンだ相手を反転させながら床へ倒し込み残心の突き込みで留めを刺す…極真会館愛知支部○○○道場出身者ならバ、此処でニャリとする筈(爆笑)。
昇級昇段審査の定番5本約束組手の内の第二番目なのだから。但し、約束組手は、安全性を重視し手刀での頸打ちは省き、膝頭をボディへブチ込む動作は太腿をぶつける様に考慮されている。
しかし、此の約束組手の元を考案した芦原英幸先生は喧嘩実践派なのデ、手刀での頸打ち有り・膝蹴りは顔面・倒した相手は顔面を踵で踏み付けるなどと何時でも実践用に変更出来る約束組手としてあるのダロゥと思う。


此の技は、宇城憲治先生もセミナーや講習会デ必ず使われている。最初、映像を観た時は、ウチの約束組手と同ンなじやん…と思った(笑)。但し、私が現役の時に遣っていた動きと宇城憲治先生の身体動作は全く異なっており、似て非なるモノ処ろでは無いのだが・・・・・・
宇城憲治先生が、数見道場デ数見肇選手や岩崎達也選手を指導している時、岩崎達也選手を背後から押し出しテ、相手の右サイドへ送り出す手助けをして遣ると、岩崎達也選手は難無く手刀頸打ち ⇒ 膝蹴り ⇒ 倒し込みまでの動きがスムーズに連携出来て居た。型が導く身体操作は、出来る時には何んの支障も無くいきなり最高のパホーマンスを発揮するのである。
尚、2009年10月の宇城特別塾セミナーでK-1選手を指導した際には、極真空手出身でK-1ヘビー級ファイターの野地竜太選手(186㎝100kg)をも、同じ様な膝蹴りからの倒し込みにて何度も床に転がしていた。
因みに野地竜太選手は、極真の全日本空手道選手権大会に於いテ、先輩に当たる岩崎達也選手を2度も上段廻し蹴りデKОしている。此の上段廻し蹴りを4発宇城憲治先生の手刀で弾かれ、脛を真っ赤に腫れ上がらせた野地竜太選手は蹴られなく為って仕舞っていた。ボディパンチも総て宇城憲治先生の腹圧に弾かれ、叩いた方の野地竜太選手の手首がくの字に折れ曲がっていた。しかし、此の指導が功を奏したのか、11月10日のヘビー級王座決定戦で野地竜太選手はライアン・グッドマン選手にТKО勝利を飾った。


私も、生徒の後ろから左腰を引いて押し出して遣りながら、「コゥ云う風に出て行くンだヨ、判るか」などと指導している最中である。
勿論、彼らは未だ10代なのだから、力で組手が遣りたいのなら、パワー空手に拘るのも又、有りであろぅ。只、教える私はもう直ぐ64歳、懸垂は連続10回、ディップス連続30回、腕立て伏せ連続50回ぐらいでセットを組むのが精一杯だから、最早パワーに頼る処ろでは無い(涙)。


追伸…最近、禅道会国際貢献道場の道場長に(川合)鬼の四課デカ長クンが就任した関係から、Оクンも南区新発田の道場へ自分の道場生を連れテ手伝いや賑わせに行っているのだが、其の道場にあるベンチプレスで50kgのバーベルベンチプレスを何十回か連続デ行ったら、道場生達からスゲェと云われて仕舞ったと呆れていた。
其の話を訊いた私も、生徒達の感嘆に驚いて仕舞った。同時代に現役だったОクンも、私と同じ思いだったのデあろぅ。
今の空手の若者っテ、パワーに関してはそんな感覚なのォ!? 


我々の現役時代は、パワー命の時代だったワネ。
大山倍達館長がコインを指で曲げテ、若木竹丸先生が機関車の車輪を持ち上げ…そんな超人には成れっこ無いと頭では判りながらも、少しでも近付こうとしたりしテ・・・・・・
バーベルだったら、最低100kgからが始まりでしょう(苦笑)。何度も書くケド、未だバーベルを触った事スラ無かった20歳前後の私が、最初に持ち上げたベンチプレスの重量が75kgで、デットリフトは175kgだったのヨ。
浜井職安先生がユーチューブで話している時に弟子の水口敏夫先生から電話が掛って来テ、今練習してルって…バーベルスクワットは200kgだっテ…オィオィ、此の人、私の少し先輩だから年齢的にももぅ200kg挙げてる場合じゃ無いでしょうに(苦笑)。
極真の伝説と成った黒澤浩樹選手は、バーベルスクワット300kg、増田章選手も其の強さの70~80%は、現役時代のキチガイじみたウェートトレーニングの結果です。


50kgのバーベルなンて我々の時代だったら、プール・オーバー・アット・アームス・レンス(寝転がり両腕を伸ばしてバーベルを握り、頭上の床へ腕を伸ばしたまま下ろして行き、又、両腕伸展のまま胸の上空間まで戻す動作)で行う重量だヨ。
若しくは当時、我々の先生しか出来なかったけれど、肩に担いで傾斜腹筋台で起き上がり動作を行う重さでしょう。
ソゥ云えバ、我々の先生もパワーは凄かったネ。先生の前腕が、私の上腕拠り太かったりして、アルバイトで500kgぐらいの荷物をゴロゴロと転がしテ移動させる様な力作業をされていたとも訊きました。
其れでも、腕相撲では大山倍達館長に勝てなかったらしい。大山館長の真似をしテ、四国徳島の祭りデ牛の角を持ち引き倒そうとしたケド、結局倒せズ引き摺られて終わったとか…牛の角に掴まったまま引き摺られたけれど、其れでも手を離さなかった事自体が凄いと大山館長から絶賛されたりネ。


極真空手っテ、当時はそんな時代だったのヨ。懐かしいワァ。



本日は此れまでと致しマス。


【※此の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません】