1日目を編集しなおして、とても読みにくいことが分かったので、少し書き方を変えてみました。

 

今日はとても長い1日だったように思えた。なぜならKILLING FIELDでの時間がとても重くのしかかって来るように思えたからだ。

今朝はSamakiにある小学校に行った。英語は通じない場所だったが、日本語で元気に話しかけ、一緒に遊んだら仲良くなれた。空手の型も披露できた。

↑しっぽ取りのようなゲームをやった。

 

↑先生にカメラを構えてもらったら、たくさん来てくれた。言葉が通じなくても一緒に遊べば仲良くなれる。

 

その後空港でFree SIMを購入した。これでなにかトラブルがあったとしても日本と連絡が取れる。そのようなことがないと良いけど....

 

その後元ゴミ山にあった孤児院の学校に行った。インドの学校を思い出す構造だった。寄付したピアニカで遊ぶ姿を見て笑顔になれた。

↑ピアニカで遊ぶ子供たち。

 

その後チュンエクにあるKILLING FIELDに向かった。昼食を目の前のレストランで取り

↑昼食のハンバーガーとフレンチフライ

 

いざKILLING FIELDに入った。何ヶ国語も対応可能な音声ガイドがあったので、説明はきちんと聞けた。しかし、凄惨な内容にゆっくりとしか進むことが出来なかった。

↑KILLING FIELDはカンボジア内にたくさんある。今回行ったのはチュンエクにあった場所。入口はこのような感じ。


ゆっくり音声ガイドを聞いていると悲しい気持ちに包まれ涙が出そうになった。

↑内戦終了後に建物が壊されてしまいこのような看板のみの場所もある。


音声ガイドは当時の人々の証言も聞かせてくれた。その中の一つが印象に残った。それは目の前で殺害を見てしまった人の証言で、以下のものである(要約)

"強制収容所にて。バナナを2本持っていた女性を看守が見つけた。看守はどこで盗んだのか、と彼女を激しく責め立てた。彼女はほかの看守がくれたと言ったが、その看守は全く信じず、持っていたナタとドブ掃除をしていた人からひったくったクワで女性を殴り、切りつけ殺害した。彼女はバナナのために殺されてしまったのだ。"

↑銃弾が高額であったのと、周りにばれないようにするため、このような日用品での処刑(殺害)を行っていた。

 

この話を聞いた時、本当に衝撃を受けた。同じ国の人同士が殺し合いをするのは悲しい。絶対に今後どこの国でも起こしてはいけない、と思った。

↑遺体が埋められていた穴の跡。当時は遺体にたまったガスで腐臭とそれに伴う遺体の膨張でこの周辺は地獄絵図のようだったらしい。

 

↑クメールルージュ(ポルポトが所属していた政党)の制服。主に洗脳しやすい子供たちが処刑を行っていた。

 

音声ガイドのゴールは慰霊塔だった。ここでは何百個もの骸骨があり、霊が眠っている。自然と頭が下がり、手を合わせていた。ここでは写真撮影は許可されていた。

↑ここで亡くなった方のお骨が納められている。ここでは靴を脱ぎ音声ガイドを耳から外し、心を落ち着かせて入らねばならない。

 

本当はこのあとカンボジア内戦についての資料館に向かう予定だったが、精神的に疲れていたことと、ゆっくり回りすぎたこともあり、明日に回すことにした。

↑慰霊塔正面。

 

その後ロシアンマーケットを少しだけ見て、ホテルにて休息。
19:00からチャーハンを食べた。(クメール語でチャーハンはバイチャーというらしい。)

↑炒飯はすごく美味しかった。


途中すごいスコールがふってきていた。涼しいが昼間降るのは勘弁願いたい。

明日もきつい内容の場所に行くので長くなる予定。