まだまだ伝えたいことは沢山ありますが、今回でまとめを書こうと思います。
何故こんなにも私がこの指導方針にこだわるのか。
もっと自分に楽な指導方法でも良いのではないのか。
脱落者が出ない、楽しいだけを追求しても良いのではないのか。
脱落者が出ても、乗り越えさせないで受け皿を用意しても良いのではないのか。
など、長い間自問自答しておりました。
しかし、どうしてもこの信念を変えず、現代の風潮を受け入れない自分。何が起因となっているのかを深く掘り下げ考えました。
そこには自らの人生と空手で経験したこと。
30年間の指導から学んだこと。
そして空手道のあり方にこだわること。
挙げれば様々な要因がありますが、
これ以外にも絶対に曲げられない理由がありました。
それは第1回武心会交流試合、ある試合での出来事です。
高学年女子の試合、私は主審をしておりました。
1人は武心会の生徒(重量級で勢いがあり、積極的に前に出る選手)
もう一人は他団体の選手でとても細身で身長もやや低めの女の子でした。
高学年女子の試合なので、ダメージが大きくなる前に早く止めなければならないため、私自身が主審をしました。
いざ試合が始まると重量級の選手が圧倒し、2回、3回と相手選手を場外に押し出していました。
何度か場外に押し出された時、転倒して立ち上がろうとした瞬間、
私は言葉を失いました。
その子の団体の先生からも何も聞いておらず、申し込み用紙にも何も書いておらず・・・
手をつかず立ち上がるその姿に違和感を覚えました。
その女の子は腕が、肘から先が無く、腕の先端に拳サポーターをしながら戦っていたのです。
セコンドも諦めることなく、励まし
「頑張れ!まだ出来るぞ!」
と熱い声掛けをし、その子も勇敢に立ち上がり、戦い続けました。
私は主審をしながら、色々な感情が私の心をえぐり涙を抑えることが出来ませんでした。
何度も立ち上がるその子の強い気持ち、見守る親御さんの気持ち、応援するセコンドの気持ち。
皆心が痛いはずです。皆で戦っています。
私がこの子の立場なら出来るであろうか。
私が親なら空手を選べるだろうか。
セコンドとして倒れ込む姿を見て、試合を続行させられるだろうか。
胸が張り裂けそうな気持ちでした。
武心会の生徒は私同様そのことに気付いておらず、全力で戦いました。
私が気付いた時には、残り時間30秒程。
その後何度も場外に出され転倒し、セコンド、本人に「大丈夫ですか?」と確認を取るのですが、本人もセコンドも「やらせて下さい」と。
最後まで何度も立ち上がり立派に戦い抜きました。
各団体の先生方と協議の上、満場一致でベストバウト賞を受賞しました。
受賞時泣き崩れるお母さんの姿を見て、私も感情を抑えることが出来ませんでした。
親御さんになぜ空手を習わせたのですかと尋ねました。
「社会に出た時、ハンディに負けない様に育って貰いたい。」
「何事にも挫けない心を持って欲しい」
とのことでした。
親御さん、女の子からとてつもない心の強さと覚悟を感じました。
そこには何事にも一切言い訳はありません。
空手を習わせるのは理解出来る。
しかし寸止めではなく、敢えて当たりの激しいフルコンタクト空手。
事情を考慮し、心を鍛えるのであれば、空手でなくても良いはずです。
陸上などパラリンピックがあるスポーツの世界を選ぶことも可能なはず。
健常者と一対一のハードコンタクトの競技を選んだ
チャレンジ精神
一切言い訳をしない
心の強さ
覚悟
に心から敬意を表します。
また、コロナ禍以前、私が各団体の方々にセミナー活動を行っていた頃にも、肩から片腕がなく、身体も小さく、喉に穴を開け、
管を通しながら、それでも空手を習っている男の子がいました。
その子は自身が所属する内部試合に出場するために、親子でセミナーに参加してくれました。
そしてその子は見事一回戦で勝利を収めているのです。
不屈の精神を感じます。
私はこの子たち、親御さんの姿を見た以上、
そしてこの子たちに空手を通じ携り指導した以上、自分が苦しいからといって
絶対に逃げ出す訳にはいかない。
私が信念を変えるわけにはいかない。
極端に時代に合わせたやり方、
ぶったるんだ子供、それを認める親
底辺(簡単に諦める)に対し、
理解を持つ指導を私がしてしまっては、
その子たち、親御さんに対して
「裏切り」
と感じてしまうのです。
空手の根底にあるのは
不屈の精神
です。
エクササイズではなく生きていく上での、
人間形成が一番の目的となります。
私たちは「痛い、辛い、苦しい」など簡単に口にせず、乗り越える精神力が必要なのです。
頑張っている仲間がいることを忘れないで下さい!
どうか、私が書いたブログが一人でも多くの人の心に届くことを祈っております。
「押忍!!!」