随分と時間が空きましたがブログの続きを書きます。

最初にお断りしておきます。

前回と重複する部分も多々ありますが、

今回は特に本音で核心に迫る内容です。

前回までのブログにて少しでも不快に感じた方は必ずスルーして下さい。


このブログを読み、不快に感じる方、退会される方もいるかもしれません。


しかしアンチ意見は一切聞き入れません。


私もこの様な内容を書くことは辛くとても苦しいのです。


しかし自身の役割と捉え、負けずに真正面からオブラートに包まず書き記します。


苦しいのは皆さんだけではないということです。




選手クラスとは

組手稽古に参加する、または試合に出場すると決意した者が集い、

ミット稽古、組手稽古を行うクラスです。


選手クラスに参加していとも簡単に

脱落する生徒が一定数います。


現代は特に限界点が早く増加傾向にあります。


その原因を探っていきます。


主な理由が以下の通りです。

わかりやすくアンサー形式で書きます。





1.本人が辞めたいと言っているから

本人がやりたくないと言ったらやらなくて良いというのであれば、子供の成長や未来はそこでストップします。


頑張って苦手を克服した子供は、その経験が大きな財産となります。


苦手を避けて通れば、一時的に辛さを回避出来ます。

克服せずにいたらいつか

更に大きな壁

となり、

目の前に立ちはだかります。


こうなると乗り越えることは容易ではありません。

逃げることは親子ともに

根本的な解決

になってはいないのです。


時に正面からぶつかり乗り越えなければならない必要性を教え、

乗り越えるサポートをし成功の経験を積ませてあげる

ことが重要です。


乗り越えた際には真の信頼関係、親子の絆が生まれることでしょう。


時としてわがままや弱音を受け入れることも必要ですが、努力が不足している段階での受け入れは

子供にとって

「逃避」

を教える結果になりかねません。


簡単に楽な選択肢を選ばないこと。

逃げたままのツケは必ず回って来ます。

頑張ることの重要性、苦手を乗り越えることの大切さ、

困難の乗り越え方をサポートしながら教えていくことが、親の努めだと思います。





話は変わりますが、前回でも書いた内容です。

幼年の子供で金髪にして来た生徒がいました。

何故、金髪にしたのか保護者に尋ねたところ、

本人がやりたいと言ったから。幼稚園には許可貰っていますと言いました。


昨今、多様性と言う言葉が蔓延していますが、

声を大にして言います。

私は大反対です。

物事には道理があり、

筋があり、

秩序があります。


武道は質実剛健です。


これは自由や尊重を履き違えて解釈した代表的例だと思います。


本人が◯◯と言ったから

これは親の「逃避」です。

「責任逃れ」

もしくは「理解ある親」の解釈

間違えている。

簡単に何でも受け入れる現実。

結果、限界点の早い子供が多い。





2.本人に任せているので(幼年も含む)

こちらも上記と同様です。

親の

「逃避」

または解釈を間違えた

「理解ある親」

です。

まだまだ知識や経験の乏しい子供が常に正しい判断が出来るのでしょうか?

人間は、特に子供は楽な方に流れます。




・試合が目的ではなく、礼儀作法を身に付けて貰いたくて入会した


一度は試合に出場する決心し、

その希望があり選手クラスに参加しています。


武道に於いて、礼儀作法とは辛い稽古や試練を乗り越えた経験を元に、恩恵に感謝し人に対して敬意を払い、返事や挨拶、敬語や作法を行うことに真の意味があります。

最初からこの様な気持ちは持てませんが、継続することに意義があるのです。



・組手で挫けている姿を見ていられなくなり親の心が折れた。

参加前、親子ともに他の生徒の組手を見て内容を知っています。

そして自身の子供が好調で他の生徒を圧倒している時は喜んでいる。

しかし自身の子供が不調になると一転、泣き言を言う子供、それに振り回される親。

親子ともに心がブレ辞めていくケースが見受けられます。

何とも身勝手な考えでしょうか。

自分が好調な時は、相手にとっては不調になる訳です、相手は苦しいのです。

誰しも立場が逆転する時はあります。

そんな時にこそ努力し道を切り開くための訓練をしなければならないのです。

自分より弱い者を圧倒している時はやる気を出し、自分より強い者には極端な心の折れ方をして逃げ出す。

長らく指導している私にはパターン化してこの様に映ります。おそらくこれが人間の本質でしょう。


しかし

どんな人でも辛く苦しい経験をします。

そんな時、

「自分に負けない」

「もう一回」

と這い上がれる思考や、精神力を学びに来ているのです。


現代では選択肢があまりにも多いため

「やり通す」

という意識が世の中全体薄れています。


もちろんスパルタになり過ぎてはいけませんし、

子供の声に耳を傾けなければなりません。


しかし、私が言っているのは難しいことではありません。

試合で勝て、入賞しろではないのです。

最低限のことを伝えています。

道場内での組手で挫けるな、

当たり前のことを乗り越えようと言っているのです。

空手を辞めるなとも言いません。

但し辞めるのであれば中途半端で終わらない様、

当たり前を乗り越えてから辞めましょう。





・ウチの子は優しいので

本心で言っているのであれば我が子可愛さの現実逃避。


我が子の至らぬところを認めず美化して言い訳をしている様に感じます。



・暴力はいけないと教えてきたので、ウチの子は人を叩く事が出来ない

前回でも書きましたが前代未聞の理由で愕然としました。

こちらも本心であれば

我が子の至らぬところ認めず美化した言い訳です。

暴力と競技の違いを教えれば済むことです。

組手=悪

ではありません。

フルコンタクト空手ですので

怪我をすることももちろんありますが、

安全性もしっかりと考慮した確立された立派な競技です。

世界各国で行われております。


ブログでは厳しいことは書きますが、

武心会では、拳サポーター、脛サポーター、(必須)

胸サポーター、ヘッドギア(任意)

で認めておりとても緩やかな内容になっています。


スポーツチャンバラ、剣道(竹刀で打ちます)

ボクシング(顔を叩きます)は暴力ではありません。

どちらも確立された素晴らしい立派な競技です。


全ては美化した言い訳です。




・稽古に行くことを子供がぐずり、感情的にじゃあ空手辞めなさいと親が言う。


子育て、子供のグズりはとても大変ですが、上記に述べたことと重複します。




・組手が嫌になり、他の習い事をするからと辞める口実にする。


切り替えも大切ですが、乗り越えてから辞めなければ同じことの繰り返しになるでしょう。



再認識しなければならないこと。


空手道は

『武道教育の場』

なのです。

スポーツと大きく異なる点です。

楽しければ良い、良い汗を掻いた、

フィットネスではない。


武道にも楽しいは大切ですが、

修練の中に楽しさを見つける

ことが重要な要素となります。

武の道なのです。


(スポーツや他の選択肢も立派な

習い事です。

否定や見下しではなく

武道とスポーツの相違点を述べています。

武道は命を守ることから。

スポーツは楽しむから。

発祥が大きく異なります。

誤解のない様にお願いします。)



その5に続く