3世紀頃、中東・オリエント地方に

大きな宗教運動が起きてきました。

 

ペルシャに発生したマニ教です。

マニ教はゾロアスター教をベースに、

グノーシス思想を取り入れた宗教でした。

 

もっと詳しく言えば、

ユダヤ教、キリスト教、グノーシス主義、

イランの土着宗教やミトラ教、

さらに仏教や道教など東方の宗教

の影響もみられるようです。

 

文化が入り混じる中で、

東西の宗教が融合するかたちで

出来上がったものと考えることができます。

 

前々回の記事に書いたように、

グノーシスは「反宇宙的二元論」

大きな特徴とする思想です。

 

グノーシス思想は古代ローマ全域に広がり、

ペルシャのような属州にも拡散されました。

そういった流れの中で、

ペルシャ地方にもともとあった

ゾロアスター教の世界観と、

グノーシスの思想が混じり合い、

マニ教という神秘主義思想が生まれました。

 

▼マニ教の聖職者

(「マニ教経典断簡」、タリム盆地・高昌故城出土、

ミニアチュール、紙本著色、8-9世紀、

国立アジア美術館(旧インド美術館)所蔵)

(Wikipediaより)

 

マニの父はユダヤ色の濃い、

キリスト教グノーシス派のセクトに入っており、

幼いマニを母親から引き離して、

この宗教団体のセクトで育てました目汗

 

ユダヤ・キリスト教系新興宗教で、

カルト的な集団だったように思われます。

 

秘教集団の英才教育を受けて育ったマニは、

228年に「天国の光の王」なる存在から、

セクトを離れるよう啓示を受けます宝石白

 

インドへの遍歴などを経て、

霊魂の輪廻転生を確信したマニは、

光と闇の二元論と、

終末論を基本思想とした

独自の救済宗教を打ち立てました

 

マニ教もグノーシスですので、

物質や肉体とは「悪」であり、

「善」なる霊魂の世界はそれらと対極にある

と考えました。

 

肉体は悪の住処、

霊魂は善の住処。

 

地上の欲望にもとづいた悪の世界、

苦しみの世界からの救済・脱却を目指したのです。

 

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初期キリスト教の時代に、

キリスト教の最大の敵であったのが

「マニ教」と「グノーシス思想」でした。

 

キリスト教が徹底的に弾圧をしたため、

結局このマニ教というのは消えていきます。

 

ですが、中世になると「カタリ派」というかたちで、

この思想系譜が復活してきます。

 

徹底的な弾圧を受け、

マニの遺体は斬り刻まれて

犬のエサにされたといいますガーン

それでも、その秘密の教えは

地下に潜伏して保持されたのです。

 

▼ミスラ(右)とアンティオコス王のレリーフ

(Wikipediaより)

 

のちの薔薇十字軍や神智学のような、

神秘主義の思想のルーツであり、

イルミナティや陰謀論などの背後にも、

マニ教的な思想は脈々と受け継がれています。

 

近代オカルティズムの祖といってもいい、

「霊知」に至上の価値をおいた思想

このマニ教だということができるでしょう。

 

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西方ではローマ帝国全土で、

マニ教の広がりが見られました。

 

東方では西アジアから、

ユーラシア大陸の東西に拡大して、

ウイグルや唐で多くの信者を獲得しました。

 

宗教学者の青木健さんによると、

マニが構想する預言者の系譜は、

 

セト→エノシュ→エノク→シェーム

→仏陀→ザラスシュトラ→イエス

 

と続き、

最後の救い主・預言者として現れるのが、

マニ本人であると考えていたようです。