共同探索を企画されているKaoruさんとのメッセージのやり取りの中で
考えさせられたことがあったので、本日はそれをシェアしたいと思いますメモ

Kaoruさんは以前私が
「リトリーバルを何のためにやるのか」
「それは自分にとって必要なことなのか」
といった率直な疑問について書いたことを覚えていてくださったようです。

今はどんな風に感じているかを尋ねてこられました。


その記事を書いた時、(といっても4~5か月前)
リトリーバルは自分にはまだ早いと感じていました。

自分はまだ未熟でその時期ではないと感じたのと、
坂本政道さんとゲリー・ボーネルさんの対談本を読んで、
ゲリーさんが囚われ領域という考え方に否定的だったのが心に残って、
しばらく自分の中で判断保留という感じになっていました。

共同探索の課題として実際にリトリーバルに挑戦したり、
Heleneさんが講師の勉強会を経たことによって、
ずいぶん考え方が変わったように思いますひらめき電球


他者のリトリーバルはセルフリトリーバルの側面もあるということ、
BMメソッドではリトリーバルを最初に学んでから
自己探索や高次元の探求に進んでいくことなどを知りました。
時期尚早ということはなく、むしろそこから始めることに意味がある、
といったお話をBMメソッドのトレーナーであるHeleneさんから教わりました。


それぞれの魂の学びの過程があるので、
他者の「囚われ」に介入していくことがおせっかいのように感じる
という方もいらっしゃるように思います。

でも、おそらくリトリーバルは自分だけでやっているのではなく、
ガイドなど非物質界の働きがあってこそ可能なことです。
したがって、介入する必要がある方のところにしか接続されないのではないか
というのが現時点での私の見解です。

しかも、そこで出遭うのは、何かしら自分に関連のある要素を持った方であるはず。
その対象者をリトリーバルすることによって、
自分のある側面を救出しているのかもしれません。


★コメント欄でHeleneさんが重要な補足をしてくださいました。
ぜひ合わせてお読みくださいませ
ベル


リトリーバルをすべきかどうか、その人のタイミングもあると思います。
誰でもみんながするべきかどうかはわかりません。
多分、必要ない人もたくさんいるんだと思います。

その人にとって必要ならば、そのように招かれるのではないでしょうか。
私も自分の意思だけではなく、
何かの働きによってここまで導かれてきたような気がしています宝石白






この件について考えるきっかけを与えてくださったKaoruさんに感謝虹


参考までに、率直な疑問をぶつけた過去記事をリブログしておきます。
興味がある方だけ、お読みになってくださいませm(_ _ )m