桜はまだかと言ってるうちに美しく散って、

 

あっという間に瑞々しい新緑の季節となりましたね。

 

桜は気温(環境)が整えば一斉に咲き、散り時が来れば一斉に、潔く散ります。

 

そうして一斉に新芽がお日さまを全身に受け止める・・。

 

そこに迷いも悩みも間違いもありません。

 

 

どうして人間はこんなにもわからなくなるんでしょうね。

 

 

子育てにしても。

 

親になる前に思い描いていた理想や信念が、子どもというまっさらで純真な生命体を前にして全く通用しない。

人としてこうあるべき、を伝えることと、子どもを否定して考えを押し付けることの違いがわからなくなる。

 

のびのび育てることと、やりたい放題やっていいは違うはず。

それを子どもにどう伝えたらいいのか?

わかる年齢になるまで待つのか?

見守るだけで良いのか?

 

じゃあ今この目の前にいる子どもは言ってもわからない生き物ってこと?

親ができることはないのかな?

 

 

外には情報は溢れるほどある現代。

 

でも本当に必要なのは情報なのでしょうか。

 

 

桜の木のように、人間以外の動植物は、迷ったり悩んだりしません。

 

まだ咲いていたいの!と執着して散らない桜はないし、そんでもって、散るのいつにする?なんて周囲を伺ったり、ネットで検索したりしないんです笑

 

 

桜のように淡々と、咲くときも散るときも芽吹きも美しく生きられたらとも思うけど、

 

時には迷い悩み苦しみ、そしてまた喜び感謝する、

そんなとめどない感情を持つ人間わたしはとても美しい生き物だと思います。

 

だってそれは真剣に生きているからこそ。ですもんね。

 

 

人が成長できるときは・・・

 

おそらく情報に触れた時ではなく、その情報を生きた現場で実践してみた時です。

 

よくアドラー心理学は本やネットでは学べない。と言われるのは、

 

人間関係を学ぶ理学であるその理論と思想は、個々の感情の温度が存在する“今この時”に生かされるものだから。

 

子育てに悩む人、子育てを通して自分に向き合う人、真剣に生きているすべての人に、

 

アドラー心理学の学びはその助けとなり、あるいは良いきっかけをもたらすものになると信じています。

 

 

 

 

学ぶ機会は誰にでも均等にあるけど、不思議なことに学びとの出会いはご縁です。

 

わたしはアドラー心理学が好きだけど、

 

よしんばアドラー心理学でなくても。

 

誰もがホッと自然体になれて、迷いながら悩みながらでも、たまに一休みしながら・・・、

 

世界と自分を信頼して小さな一歩でも踏み出していこう~って日々を送れるといいなぁ。

 

 

 

 

とても久しぶりな気がするけど、来週つくばで自助会やります。

 

茨城でアドラー心理学を学びたい方、どなたでも参加できます。下記リンクからご一報くださいませ。

 

 

これは三日前。

出かける途中、家のそばの桜吹雪があまりに綺麗で思わず足を止めました。

 

 

 

お庭のジャスミンも咲いてきました。黄色は元気もらえます。

 

 

 

過酷な環境でも生きる場所を見出しているお花を見てると、わたしも言い訳しないで顔上げてやっていこう~と思えます。


 

新緑の季節も、

 

みなさんが健やかで心地よく、触れあう人たちと幸せに暮らせますようにクローバー

 

最後までお読みいただきありがとうございました。