まず最初に、

GreenGreenPostクローバーにたくさんのメッセージを

入れてくださったこと、本当に、

本当にありがとうございます!


このブログに常連のかただけでなく、時々さん、初めてさん、色んなかたが

色んな場所からメッセージをくださいました。

これは言葉の募金です。

言葉で何も買うことはできないけど、まずは何か、の気持ちをつないで、

その意識で最初の一歩。つながっていましょうね。


このブログにもどんどんあなたの震災に関するメッセージお願いします

(住んでる県も書いてね)。


今日は

みどりどんの3・11日記~走る人


ご存知のように翌日の九州新幹線全線開通を祝して、九州はお祝いモード

一色でした。

私は11日夜にあるNHKテレビ九州の特別番組と、

12日朝・昼のNHKラジオ特番に出演するため羽田空港にいました。

そして15時発の福岡便に搭乗する10分前に、地震にあいました。

1度ゆれて、2度めの方が怖かったかな。

「いよいよきた・・・」そんな気がしました。

ただ、空港ビル自体、耐震がしっかりしているのか、都内の高層ビルに

いた人々の方がずっと怖かったのではないでしょうか。でも、長かった。

椅子の後ろにしゃがんで隣にマネージャーが立ちました。

でも総じて乗客は冷静。まだ乗れるものと思っているし、

アナウンスも平静。外にも出られないし、ここは陸の孤島。

とりあえずテレビの音声を上げて、情況を把握するしかありません。

でも、すぐに携帯が通じなくなったのはちょっと慌てました。

あと、お台場のビルの屋上から火事が発生したのも不安でした。

midoridon(辛島美登里)のブログ たちこめた黒雲が不安。

福岡の仕事はすべて取りやめ中止となり、

搭乗をキャンセルしたのですが、まだ便自体は飛ぶ予定なので

預けたスーツケースが戻らない・・・。それでスーツケースの

受け渡しはマネージャーにまかせ、混乱する前にとにかく早く

私だけ先に都内に戻ることにしました。

ところが。。。

すでにタクシー乗り場には200人ほどの人が。最後尾に並ぶと

どんどん後ろに人がきて、あっという間に500人くらいになった。

リムジン乗り場にも1000人ほど。でも来ません。

高速も封鎖で、ほとんどタクシーも来ないけど、みんな寒い中、

静かに待っていました。

これはやばいな、と思い、マネージャーに

「荷物はどうでもいいから、とにかく私と乗って、一緒に空港を出よう」

と電話したいけど通じない。

2時間まってあと150番目くらいになり、そしたら偶然電話が通じ、

「カラシマさん、とにかく9番乗り場に来てください!」といわれ、

1番乗り場から9番乗り場へダッシュのみどりどん走る人あせる

「カラシマさんこっちこっち!」と手を振るマネージャーはい

彼は偶然、空港とパーキングを往復するバンを見つけ、

そのパーキング近くに自分の家があることを知り、「途中まで乗せてください!」

と頼んで便乗していたのです。彼は私はとっくにタクシーで帰ったものと信じ、

出発直前に電話が通じたおかげで、私もその車に便乗できました。

そこに、大阪から観光にきて帰れなくなり途方にくれていた

お年寄りのご夫婦も混じられて、正規のお客さまと共に

空港をとにかく脱出しましたくるま。

川﨑近辺でおろしてもらって、そこから徒歩でマネージャーのマンションに向かい、

車をゲット、そこから都内に送ってもらいました。停電した町並みは異様でした。

再び都心に向かって動き出したものの、超大渋滞の中、

ラジオで浅草線が開通したことを知り、西馬込で降ろしてもらいました。
midoridon(辛島美登里)のブログ 西馬込から乗り込み

電車を乗り継いで、自宅にちょうど0時頃到着。

本当に運がよかったです。マネージャーの機転にも感謝感謝です。

車から、徒歩で何時間もかけて歩いている人々の列を見ました。

電車もラッシュだったけど、みんな割り込むこともせず、アナウンスに

従い、ただただ黙々と冷静に歩いていました。

でも、お年寄りがいたらとても人の波には乗れなかったでしょう。

わたしも荷物を持ちながら、けとばされないようやっと、という感じでした。
翌朝、空港で1万4千人の人が一夜を明かしたと知り、

色んなことを思いました。


midoridon(辛島美登里)のブログ

長々で、しかも、甘々の報告ですが、いろんな場所で、いろんな行動を

とった一人として、この話も混ぜてもらえたら幸いですbyみどりどん


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