神様は、求めなさいとおっしゃいます。求めたら与えてあげるから求めなさい。しかし、人はもっと良いものを与えられるのにもっと求めないのだとおっしゃっていたと思います。


神様は、人が良い方向に変わるのにもっと求めないのを残念に思うのです。

私もその心情に近い思いを抱いたことを思い出しました。

信仰を持って半年過ぎたころ、それまで熱い時期、寒い時期、子供たちの長い休みの時期に旦那は機嫌が悪くなりました。

食べ物を気を付け始めてからだんだん良くはなってきました。当時は酸化した油を取らないようにして、体に良いエゴマ油を少量取るようにしました。脳は、60%が油ですので、脳を活性化したのかもしれません。

しかし、その時は日に日にイライラが増していっているのを肌身に感じていました。

下の子がキャンプ、上の子が塾で不在の夜、旦那に、イライラしていることと皆が安心して過ごせないと注意しました。

旦那は、私がキリスト教を始めたことと、私の兄の子にからかわれた事を許せないと言いました。

それは下の子が生まれる数か月前、私の祖父のお葬式の出来事でした。
私は来客の人に挨拶をしていました。旦那がいきなり帰ると言いに来ました。意味が分からず、後を追いましたが、言っている事が要領を得ませんでした。ものすごく怒っていて、帰ると言って去って行っては戻ってきて、どうするかもわからず困りました。ホテルに落ち着いてようやく話してくれました。

兄の娘が、上の子を見張るようにしている旦那のことを見て、その様子をからかったようです。優しい子なので上の子が悪いことをしないか見張られているのを可哀想に思ったのかもしれません。

その後、旦那は私たちに怒りをぶつけて葬式中も不機嫌で面倒を見なければいけなくなって大変でした。

彼は、ずっとそのことを許せずにいました。

私は、酷い目にあった相手を恨んだりすることで大変な目にあいました。
相手が酷い事をしたからとこちらも対抗しましたが、心理的におかしくなり、根をあげて後悔しました。そして恨んだりする事でこんなに苦しいのは嫌だと心の内で相手を許しました。

ずっと恨みを持って生きることが苦しい事だと思っていました。

旦那は、子供のころから悪い相手を懲らしめることを繰り返してきました。今もそうです。

だから相手が悪い、相手が謝罪するまでゆるさないと、実家に帰るたびに思い出すようです。
しかしもういい加減に許したほうが自分も楽なんだよと訴えました。そしてイライラしているのを私たちにぶつけるのはたまらないと言いました。

そんな事ないと分かってくれない旦那に、「それに囚われていることが外から見ると滑稽に見えるし、なんで自分が楽になるのにゆるそうとしないのか。」
と彼に思いを爆発させて、しばらく声を荒げていました。言いたいだけ言って外に出ました。

その後、変な車に追いかけられましたが、無事に戻ってきてお風呂に入りました。

その時の義人らしからぬ行動に反省しました。

そうすると、感動がありました。

まるでいたわってくださるような感じでした。

どんな意味があるのだろうと思っていました。

神様は、人々が苦しんでいるのを見て憐れんで私たちを救う計画を愛で行ってくださりました。

愛しているから救いたいのです。

しかし、人々は、それをいらないというのです。自分には必要ないというのです。

神様は、私たちをお創りになりました。どうすれば幸せに生きられるかを知ってらっしゃいます。だから、本来の生き方ができるように救いの働きを今もしてくださっています。

しかし、人々があまりにも不従順で洗脳されているから、この御言葉を受けいれられません。本当に生きること、天国の生が送れるのにと、お怒りになります。それは従順にならなければ滅びがあるからです。

そうです、私のように“旦那は自分が楽になる、良くなるのに人を許そうとしないのだ。どうしてわかってくれないのだ。”と悲しみ、怒っておられるのです。

神様が裁かれるのは、神様のためではないのです。人々のためになのです。神様は、“救い“をいつもしてくださっています。

今まで神様は、裁きを行いながら人々が悔い改めるのではないかと期待してくださいました。愛を伝えてくださり、守ってくださりました。
しかし、あまり変わらない人々に我慢の限界が来ているようです。

これから、また新たに日本に大きな苦難が訪れると御言葉が宣布されました。義人がいても守られないことがおこるかもしれません。
そうならないためには、私たちが伝道し少しでも義人を増やし、人々が悔い改める必要があります。

世界中の人々が悔い改めて神様に従順になりサタンに打ち勝つ必要があります。暴れているのはサタンなのですから。

どうか神様はいつも一番良くなるようにしてくださっています。多くの人がその救いにあずかれますように。

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2024年9月7日(土)
神様は人間よりも遙かに忍耐強い方だが、人間が不従順を繰り返すなら、神様もいつか必ず我慢の限界にぶつかってしまう。神様にも感情があり、心があるからだ。
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