「天皇」とは神武天皇を起点とする | 魁!神社旅日記

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最近、女系論を主張する方から、天皇の起点は天照大御神という女性神なのだから

 

女系天皇でもいいではないかという主張がされていましたが、

 

完全な間違いであることを指摘しておきます。

 

天皇の始原の祖先たる天照大御神と天皇自身の起点はまた別の話しです。

 

そこは神話と人皇という違いで昔からわけてあります。

 

資料的には

 

平安時代初期の『歴運記』に

「天皇52代[神武天皇元年より起こり、今上の弘仁二年に至るに、千四百七十一年を歴る]

・・神倭磐余彦天皇、・・辛酉年の正月に天皇位を即(しろしめ)したまふ。是を元(はじめ)とす・・」

 

平安時代後期の『大鏡』第一巻、序に

「・・神武天皇をはじめたてまつりて、当代まで・・

すべからくは神武天皇をはじめたてまつりて、つぎつぎのみかどの御次第をおぼえ申すべきなり」

 

「大鏡」第一巻、(後一条院)

「・・神武天皇より卅七代にあたり給孝徳天皇と申みかどの御よにや・・

神武天皇より卅一代にあたり給持統天皇・・」

 

『今鏡』巻一、序、

「かの後一条のみかど・・。神武天皇より68代にあたらせ給へり」

 

『水鏡』上、序

「先神武天皇ヨリ云ツヅケ侍ベリシ」

 

『保元物語』上、御白河院即位の事

「・・神武天皇より74代にあたり給へる御門也。」

 

『義経記』巻第四、義経都落ち事

「天神七代地神五代は神の御代、神武天皇より41代の帝以来・・」

 

『承久記』上

「人王ノ始ヲバ、神武天皇トゾ申ケル。・・」

 

『太平記』巻七、吉野城軍事

「天照太神御子孫、神武天皇ヨリ九十五代ノ帝、後醍醐天皇第二ノ皇子一品兵部卿親王尊仁、」

 

『平家物語』巻、都遷

「神武天皇と申は地神五代の帝、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四の王子、御母は玉より姫、

海人のむすめなり。神の代十二の跡をうけ、人代百王の帝祖なり」

 

『愚管抄』巻一、皇年代記

「一、神武天皇 ・・

此時ヨリヤガテ始テ祭主ヲ置テヨロズノ神ヲ祭リ玉フ・・

大和国橿原宮。元年辛酉歳。如来の滅後二百九十年ニ相当ルト云々。又、周世の第十六代

主僖王三年に相当ルト云々。一説ニ周ノ恵王十七年辛酉ヲ以テ之ニ当ツ・・」

 

『梅松論』上

「また当今豊仁。凡そ人皇始りて神武天皇より後嵯峨院の御宇に至るまで、九十余代にて

まします」

 

『妙密上人御消息』(平成校庭「日蓮大聖人御書」)

「・・人王百代其の初めの王をば神武天皇と申す・・」

 

『吉田兼致卿記』文明十六年(1484)十月五日条(「大日本史料」)

「・・人王の代一神武天皇、この国土にて、はじめて、神を御まつりありしこんげんなり。」

 

後陽成天皇

禁裏本の奥書に「神武天皇より百数第の末孫」の奥書

 

霊元天皇

「従神武天皇百十三代孫識仁」(「帝王系図」霊元天皇写本)

 

桜町天皇

「人皇百十六代孫昭仁」(後陽成天皇宸筆写本)

 

光格天皇

「神武百二十世兼仁」と署名(「光格天皇宸翰南無阿弥陀仏」宮内庁蔵)

 

 

以上のように日本の歴史上で天皇の起点を神武天皇としてきたことは

間違いがない。

 

天皇のはじまり、天皇の初代は神武天皇。このあたりまえの事実を令和の現代日本人は

あらためて確認していただきたい。

(なお「天照大御神は女神だから女系」のような詭弁を弄して相手を攪乱する手法は

古来中国人がもっとも好むところである。

正統日本人はこのような異人種の攪乱に惑わされてはならない。)

 

参考文献:「神武天皇論」国書刊行会、「幕末の天皇」藤田覚、「天皇と宗教」小倉慈司