〇「今後五世の王は皇親の限りに在る。その嫡を承ける者は相承けて王となす』
文武天皇慶雲3
〇「(伏見宮家)若君をば始終(天皇)の御猶子 になし奉べければ 相構て水魚のことにおぼしめして御はこくみあるべきなり」
「椿葉記」貞成親王
〇後花園天皇の伏見宮家への「御所」永代使用の勅許
〇一、養子者連綿。但、可被用同姓。女縁其家家督相続、古今一切無之事
禁中並びに公家諸法度、第6条
〇「定親王トハ伏見殿ノ如キ永代不易ノ親王ナリ、是ハ帝ニ御子ナキ時ニソナヘ玉ハンノ議也」
「有職袖中抄」(江戸時代中期)
〇「我々は一般に伏見宮と申し上げますが、維新前宮家では伏見殿といはれて・・その謂はれは後花園天皇は
(伏見宮)貞成親王の御実子で、御代々はその後血統であるから、御所も当御殿も同様であるといふ」
「維新前の宮廷生活」
〇「離脱なさる宮様方につきましても、これまでの皇室典範からいって皇位継承権を持っておられるのでございますから・・
万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい」とも申し上げたという
(「戦後日本の出発・元宮内次官の証言」 「祖国と青年」第71号、昭和59年)
〇現皇室典範第2条
「以上の皇族がないときは、それ以上で最近親の系統の皇族に伝える」
とあるが、この「それ以上で最近親の皇族」とは皇室典範制定時の時点で皇籍にあった旧宮家の方々のことであり
制定に関わった加藤進宮内次官の認識によればこの「皇族」とは法律上の身分のものではなく、皇室の一族を
指す「皇族」であり、したがって旧宮家の方々は現在においても皇位継承権を有すると解釈され得るのは
前記の証言のとおり
〇昭和27年明仁親王立太子礼に旧宮家の方々参列
昭和27年11月10日早朝
<賢所皇霊殿神殿親告の儀>
祭主: 昭和天皇(御親祭)
参列: 高松宮宣仁親王
三笠宮崇仁親王
久邇朝融
久邇邦昭
閑院春仁
(「昭和天皇実録」)
〇「今、旧宮家には八方くらいの独身男子がいらっしゃるそうですから、全員というわけにはいかなくても、
当主のご長男とか、何人かには皇籍に戻っていただいてもいいのではありませんか。
これらの方々と今の天皇家との共通の祖先は南北朝時代の崇光天皇まで、
六百年もさかのぼらなくてはならないと反対する人もいますが、
二千六百六十五年の歴史からしますと、六百年くらいは十分に許容範囲です。
また、これらの宮様たちが六十年間も一般人の生活をなさってきたのだから、
皇族に復帰することには違和感が国民にあるだろうとおっしゃる方がいます。
しかし「有識者会議」の結論では、女性天皇のお婿さんは皇族にするということです。
まったく一般の方が天皇の夫になるほうが、よほど違和感があるのではないでしょうか。
報告書は女性天皇の配偶者を「陛下」とお呼びするとしていますが、いくら立派で優秀な男性でも、
ある日、突然、鈴木さんや山本さんや田中さんが陛下になったら、皆さん方も呼びづらいでしょうし、
違和感も極め付きで大きいでしょう。
みなさんが意外とご存知ないのは、我々現職の皇族と旧宮家の方々はすごく近しく付き合ってきたことです。
それは先帝様のご親戚の集まりである「菊栄親睦会」をベースとして、
たとえばゴルフ好きが集まって会を作ったりしています。また、お正月や天皇誕生日には、
皇族と旧皇族が全員、皇居に集まって両陛下に拝賀というご挨拶をします。
最初に我々皇族がお辞儀をして、その後、旧皇族の方々が順番にご挨拶をしていく。
ですから、我々にはまったく違和感などありません。 」
寛仁親王(文藝春秋、平成18年2月号、
https://blog.goo.ne.jp/tennouheikano/e/3866925f955687ca09d430ca87f8ae4d)
〇旧宮家に嫁がれた内親王
<江戸時代>
【近衛好君】(後陽成天皇曾孫)(母は後水尾天皇皇女・女二宮)伏見宮貞致親王に嫁ぐ
【福子内親王】(霊元天皇皇娘)伏見宮邦永親王に嫁ぐ
【秋子内親王】(東山天皇娘)(母は有栖川宮王女)伏見宮貞建親王に嫁ぐ
<明治時代>
【昌子内親王】(明治天皇皇女)竹田宮恒久王に嫁ぐ
【房子内親王】(明治天皇皇女)北白川宮成久王に嫁ぐ
【充子内親王】(明治天皇皇女)朝香宮鳩彦王に嫁ぐ
【聡子内親王】(明治天皇皇女)東久邇稔彦王に嫁ぐ
<昭和>
【成子内親王】(昭和天皇皇女)東久邇宮盛厚王に嫁ぐ
〇妙法院宮真仁法親王(閑院宮)
文化2年(1805)薨去
〇仁和寺宮純仁法親王(伏見宮)(のち小松宮)
明治36年(1903年)薨去
〇輪王寺宮公現法親王(伏見宮のち北白川宮)
明治28年(1895年薨去)
〇明治皇室(明治24年)
上段:明治天皇夫妻
中央:皇太子・嘉仁親王(のち大正天皇)
下段:左から、北白川宮、有栖川宮、小松宮、伏見宮
(天皇家族と旧宮家にて「皇室」が構成されていた)
〇昭和天皇御一家(昭和34年、東久邇邸にて)
昭和天皇右の少年が東久邇眞彦様、昭和天皇真後ろの学生が東久邇信彦様、その右前が壬生基博様
後列右から2人目が昭和天皇皇女、東久邇成子様、3人目が東久邇盛厚様