皇統断絶の危機を護ろうとしなかった令和の右翼・民族派 | 魁!神社旅日記

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ここ数年の「女性宮家」、「女性天皇」、「女系天皇」論はまさに

 

2679年来の皇統の断絶の危機であった。

 

左翼はそのことをよく知りながら仕掛け、何も理解しようと

 

しない大衆が扇動され便乗した。

 

 

しかし、やがてこの危機も去り皇統は再び悠久の大道に復すであろう。

 

なぜならばこのことは天意であり、神意であることはあきらかだからである。

 

 

それを明確に現しているのが悠仁親王殿下のご存在であり、

 

旧宮家にいる5人の若宮のご存在である。

 

 

思えば初期にインターネット上に「右翼共和派」なるものが登場した。

 

それまでの昭和右翼、民族派があたりまえのように熱烈に天皇を崇拝し

 

守護すると喧伝していたのに対し、天皇抜きの右翼思想というのを

 

表明した当時としては斬新な存在であった。

 

しかし、その実態は一種の変形左翼だったのだと今にしてみれば思える。

 

 

その平和も過ぎ去った令和の世の今日。

 

天皇抜きの、天皇を護ろう、天皇に命を懸けようという右翼、民族派は

 

逆に少数派になってしまったかのようである。

 

それを否定したがる右翼・民族派もいるであろう。

 

しかし、今日、皇統の最大の危機である、女系による断絶という工作が

 

しかけられ、またあるいは天が降されたまさに天孫たる悠仁親王殿下

 

をあざわらうかのような「女性天皇」論、「愛子天皇」論、に対しても

 

大多数の右翼、民族派は沈黙したままであり、その不敬な記事に対して

 

どこかの主要な右翼団体、民族派団体が抗議したという話は未だ聞かない。

 

 

かつて、廃刀、断髪等の伝統廃止に抗議して神風連は決起し、

 

伊勢神宮を冒涜した森有礼は暗殺された。

 

戦後昭和にも三島由紀夫は天皇を護らんと決起し、

 

昭和天皇の容体悪化中に昭和天皇の戦争責任発言をした

 

長崎市長は銃撃された。

 

これらは単に個人の怨恨により行われたものではない。

 

昭和までの右翼、民族派とは天意、神意を聞くことができる

 

人達であったのだ。

 

 

今、天意、神意を受け、天皇、皇室、また日本精神の伝統のために立ち上がって

 

きた右翼、民族派の道統はすでに失われ、

 

偽の看板だけを掲げ、時の政権に不平不満だけを述べる変形左翼と

 

なり果ててしまったかのようである。

 

 

しかし、日本國の永遠のために必ず皇統を守護するものが国民の中に

 

いなければならない。それこそが永遠の大義に生きるものである。