文藝春秋 「大特集」日本史の常識が変わった 2018 六月号 | 魁!神社旅日記

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最近では従来の日本史の定説を翻すことが流行っているらしい。

 

「聖徳太子はいなかった」だとか「天皇は仏教徒」、「日本は神仏習合が国教だった」などの

 

おもに左翼よりの新説が幅を利かせるようになって久しい。

 

そんな中、さらに最新の研究では左翼陣営がひっくり返したと思われた新説をさらに

 

ひっくり返すという研究成果が出てきている。

 

先のブログにも書いた神仏習合一辺倒の現在の日本史に異議を唱え神事が神仏習合とは

 

一線を引いて行われてきた事実や

 

今回、文藝春秋で特集された話題に出た、「継体天皇はヤマト王権中興の祖」という最新研究は

 

戦後左翼系歴史学者によって主張されてきた「継体天皇は異王朝」「皇統は断絶」という

 

戦後の新設をさらにひっくり返す最新研究の成果である。(「謎の天皇・継体はヤマト中興の祖」水谷千秋)。

 

また南北朝時代においても興味深い最新研究が載せられている。すなわち、「足利尊氏は後醍醐天皇を敬愛し続けた

 

尊皇家だった」というものだ。これなども従来の戦後左翼史観では戦前の反動から南朝方は徹底的に貶められて

 

楠木正成も便宜的に後醍醐天皇に味方しただけの悪党であるというような論調が主流だったのに

 

当の後醍醐天皇と敵対して北朝を作った首魁である足利尊氏がじつは後醍醐天皇を敬愛する尊皇家だったなどとは

 

戦後日本の南北朝に対する評価をひっくり返すような最新研究の成果だ。(「「逆賊」足利尊氏は最後まで尊皇を貫いた」亀田俊和)。

 

こうして戦後左翼が日本の破壊解体を目的として行った日本史の新説による書き換えは、またさらなる最新研究の成果により

 

ひっくり返されるという現象が起きている。

 

聖徳太子がまた復活するする日も遠くないのかもしれない。