日本神話の原郷(松前健博士の本より) | 魁!神社旅日記

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先日に続き、松前博士の本(「神々の系譜」)より、日本神話の原郷を挙げていきたいと思います。

 

あまり、引用しすぎるとよくないだろうと思うので、おおざっぱにまとめてみたいと思います。

 

〇天地開闢神話・・・日本固有。海洋的。

 

〇神代7代・・・・ポリネシア系。南方系。

 

〇イザナギ・イザナミ神話・・・・淡路島周辺、(淡路、摂津、大阪湾沿岸から紀伊、大和、伊勢、若狭、阿波に及ぶ近畿一帯が崇拝圏)。インドネシア、東南アジアの兄妹相婚の始祖伝説に類似。

もともと淡路海人、野島海人、三原海人などの淡路海人が伝えていた。淡路島には古代朝廷の屯家(みやけ)(直轄地)が置かれていた(塩、海産物を献上)。

 

〇アマテラス神・・・伊勢の太陽信仰と列島各地で祭られていた太陽神、海や船に関係の深い素朴な漁民の信仰であった(古代人の「太陽の船」信仰・・世界各地でみられる

(伊勢では漁民集団の磯部を支配する豪族・渡会氏や宇治土公が仕えた太陽神)

[天日神命(あめのひみたまのみこと)(天照神)(照日権現)・・対馬県直(つしまあがたのあたえ)・対馬海人]
[天照御魂神(あまてるみたまのかみ)(火明命)・・海部直(あまべのあたえ)、凡海連(おおしあまのむらじ)、尾張氏系海人](尾張の中島郡や海部郡なども)
天照高日女神(あまてるたかひめのかみ)・・伯耆、(「三代実録」以下同)
日乃売神(ひのめのかみ)・・隠岐
豊日神(とよひのかみ)、朝日豊明姫神(あさひとよあかるひめのかみ)・・大和
日前神宮(ひのくまじんぐう)・・・紀伊海人の祀る太陽神
 

 

〇宗像三女神・・・日神の生める三女神「日本書紀」、l青い玉を興津宮、紫玉を中津宮、八咫の鏡を辺津宮にエンブレムとして鎮めた「西海道風土記」、北九州から南朝鮮に至る海の要衝、宗像海人族が崇拝した太陽神に仕える巫女の神格化

 

〇ツクヨミ神・・・海人族のつたえていた南方系の若水信仰に中国系の「月と不死」の神仙説が加わったもの

 

〇スサノヲ神・・・紀伊海人・熊野海人が瀬戸内海をまわり出雲に伝えた神。紀伊在田郷延喜式名神大社・須佐神社

 

〇紀伊海人、熊野海人・・・木の神イタケルを祀るイタキソ神社やその妹のオオヤツヒメ神社、ツマツヒメ神社を崇拝、この木材で遠洋漁業に従事、大和朝廷の外交、軍事に協力し中国、朝鮮にまでわたる(5.6世紀ごろ)。「熊野諸手船」、「熊野船」などという独特の航海用の船をもっていた。

 

〇天岩戸神話・・・古代オリエント、宮廷鎮魂祭

 

〇ヤマタノオロチ・・・出雲

 

〇ヤマタノオロチ退治の神話・・・「ペルセウス・アンドロメダ型神話」、古代文明の地もしくはその影響下にある地のみに伝わっている。

 

〇クシイナダヒメ・・・飯石郡熊谷郷(出雲)

 

〇オホクニヌシ神・・・大地的、農耕的、海洋的な要素も加えた出雲地方の霊格。のちに出雲人・出雲系の巫祝らにより機内・東国まで信仰圏を拡大した当時の新興宗教の神(7,8世紀ごろ)

 

〇オオモノヌシ・・・大和の豪族三輪氏(大神朝臣)の奉じていた生粋の大和の神。蛇神。雷神。

(三輪山の神が人間の女性と結婚する伝説は大陸系の神婚説話。朝鮮、満州、安南にもみられる)

 

〇国譲りの使者の神話・・・シタテルヒメのヒコソメ神社のあった摂津東生郡。摂津周辺。出雲ではない。

 

〇アヂスキ・・・大和葛城山の麓、御所市大字鴨神の高鴨神社(土佐、播磨、摂津、出雲でも祀られていた。)

 

〇シタテルヒメ・・・摂津東生郡、ヒコソメ神社。

 

〇コトシロヌシ・・・大和葛城・鴨都味波重事代主神社が本拠。古くは神が憑り移って託宣を述べるヨリマシを表す普通名詞。ただし、ここでは美保神社が古代より託宣をもって知られていたことの現れ。

青柴垣特殊神事の由来譚。(青柴垣は古くは神霊のこもります場所)

(神功皇后の時のコトシロヌシは住吉系の摂津、長田神社。大和の飛鳥神社のアメノコトシロヌシは飛鳥直(あすかのあたえ)という豪族が奉じる託宣神であった)

 

〇タケミナカタ・・竜蛇の形をもつ山の主。狩猟、風雨の神。・諏訪の神、諏訪の祭司王大祝一族の氏族神、諏訪のクニダマ

 

〇タケミカヅチ・・・中臣氏の氏神、中央政権

 

〇タケミナカタとタケミカヅチの力比べ・・・諏訪の古い口碑伝承の相撲神事の由来譚。タケミナカタが諏訪の地で足長手長などの怪物と格闘して倒した話がすり替えられた。諏訪の祭司王・大祝一族の勢力を恐れた中央政権・中臣氏の仕業。

 

〇フツヌシ・・・物部氏の霊剣。5,6世紀に実際にモノノフの軍団を率いて各地を平定。平定した地にフツヌシの社を建てる。岐神(くなどのかみ)(道祖神)を案内に広く天下を平定して歩いた(日本書紀の一書)。物部氏は崇神・垂仁朝にも大和朝廷から出雲に派遣されている。出雲の出雲郡や神門郡に物部を名乗る人物が散見している(「出雲風土記」、「正倉院文書」)。

 

〇国譲り神話・・・出雲東部意宇の豪族・出雲臣一族(アメノホヒを祖とし、熊野大神を奉じた)が出雲西部に進出し、オオナムチを祭っていた巫祝団体や首長、群小氏族の首長らからオオナムチの司祭権を奪い、出雲国造として、出雲全土の法王となったストーリーの反映。

 

〇アメノホヒ・・・出雲能義郡、天穂日命神社(「延喜式」神名帳)。出雲国造家祖神。

 

〇熊野大社(出雲意宇郡)・・・出雲大社よりも古く出雲国造家が祀っていた神社。「イザナギの愛子」、「出雲国造の斎(いつ)く神」

 

〇出雲国造神賀詞・・・出雲国造の祖、アメノホヒが、いかにしてオオナムチをなだめ祀り、これに国譲りをさせ、オオモノヌシやコトシロヌシなどの眷属神をして、皇室のまたとない守り神とならせるに至ったかを神話的に述べている。出雲国造はこの神話を莫大な神宝とともに朝廷に売り込んだ。記紀の記述とは異なる。

 

〇天孫降臨・・・降臨は北方アジア系の神話。

 

〇オシホミミ・・・稲穂の大きなさま。日の御子(穀物は太陽の恩恵により育成されるという信仰)

 

〇ホノニニギ・・・稲の穂が赤く実るさま。日の御子(穀物は太陽の恩恵により育成されるという信仰)

 

〇日向・・・朝日・夕日の照らす陽光の地の一般名称であったが、日向三代の伝承の中には南九州の風土的伝承を素材とした物語が少なくない。三代の神陵も南九州で古代に実際に崇敬されていたらしい。

神話の時代には日向、大隅、薩摩も含めた地域の総称。

 

〇常世思兼神・・・神宮と関りある伊勢の神

 

〇天手力男・・・伊勢地方の佐那県の霊格

 

〇アメノウズメ・・・伊勢。志摩の海人磯部達の奉じる女神。

 

〇猿女君・・・猿田彦大神に仕える巫女を出す家柄。宮廷にも子女をだして、縫殿寮に奉仕させ、鎮魂祭や大嘗祭で歌舞をした。

 

〇サルダヒコ・・・伊勢地方の太陽神格。南方系。

 

〇笠沙御埼・・・鹿児島県の野間半島

 

〇コノハナノサクヤビメ・・・別名、神吾田鹿葦津姫、豊吾田津姫。薩摩国の阿多郡アタを名とする女性。

 

〇日向三代、海幸・山幸の神話・・・すこぶる南方的で、実際の南九州の根生いの神話・口碑であることを表している。

 

(神武東征)

〇熊野神邑(くまののかみのむら)・・・和歌山県新宮市付近

 

〇天盾磐・・・神倉山

 

〇神武天皇の別名「ワカミケヌノ命」、「トヨミケヌノ命」・・・「ミケヌ」は熊野の神の名

 

〇皇軍の熊野での神話・・・熊野の神の鎮座縁起が素材となっており、この話が宮廷に採用された。7世紀初めごろ。