阿波の鳴門 | 魁!神社旅日記

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神社を旅した日記感想等をつけていこうかと思ってます

昨日に引き続き、松前博士の文章をもとにイザナギ命の禊ぎの地を考えていきたいと思います。

 

「イザナギの禊ぎ祓えによる海神・航海神の誕生の話しは、おそらく彼らを奉じる海人族の実際に

行った海浜でのミソギの行事の由来話しであり、その反映であろう。」

「日月二神が海浜のミソギから誕生したという話は、日月が海から出て海に沈むという自然現象の

観察に基づいている。これも古代海人の信仰であろう。」

「『日本書紀』の一書に、黄泉の国から帰ったイザナギが、最初行ったのは粟門(あわのと)(阿波の鳴門)および速吸名門(はやすいなと)(豊後水道)であるが、二者共潮流が激しすぎるのでミソギはできず、

最後の橘の小門で、これを行ったところ善悪の神や各種の海神が生まれたという。」

「しかし、イザナギは古くはけっして九州には祀られなかったのである。その神の崇拝の痕跡がないところに、その神話が生まれるはずがない。イザナギの崇拝圏は、前にも述べたように、

淡路、摂津、大阪湾沿岸から紀伊、大和にも及ぶ、近畿一帯である。」

「おそらくイザナギの本来の禊ぎの地は、やはりその国生みの中心であった淡路の附近であって、

それが後に日向の阿波岐原とされたのであろう。最初に阿波鳴門(あわのなると)で禊ぎしようとしたというのは、ここが本来の舞台であったことを暗示する」

 

「では日向の橘の小門という説話上の地名はどうして生まれたのであろうか。わたしはこの地名は

、朝廷に古くから伝わる神功皇后の物語に皇后の体に憑り移った住吉大神(三柱のツツノヲ)の託宣のことばから出ていると思っている。この大神は『日本書紀』によると、『日向の橘の小門の水底にいて、水葉も稚(わか)やかに出でいる神』と名乗りをあげている。」

「このような神託のことばが、後世の民間の巫女のお筆先のように、実際に住吉大社に伝わっていたのであろう。この神託の中にある『日向の橘の小門』ということばが、ツツノヲの神の誕生の地として考えられるようになり、これがのちにイザナギが禊ぎの際にツツノヲを生み出した海岸の名であるという神話を生み出したのであろう。」

「この『日向の橘の小門』というのは、おそらく巫女が神懸かりをしたときに発する神話的な名で、

ツツノヲが生まれた、朝日・夕日の照らす神聖な霊地であり、橘の実る地の傍らの海峡を意味する普通名詞であったのであろう。」

 

「日月二神が、この同じ海岸の禊ぎから誕生したという話も、もともと淡路附近の海岸が舞台であったことはもちろんである。

「私の考えではイザナギ・イザナミの本来の三貴子は、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲではなく、元来淡路の海人の奉じていた固有の日月神と太陽の子ヒルコの三者であったのであろうと考えている。」

 

(以上「神々の系譜」より)

 

昨日も書きましたが、この文章を読んでから大祓詞にある「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会」

は世界的にも最大規模と言われる「鳴門の渦潮」に違いないと強く感じています。

 

そのことが気になっていろいろ検索していると、精神的な世界の方でも「鳴門と富士の仕組み」と

いうのがあったり、いろいろな霊能者や宗教家たちが注目している場所でもあるようです。

 

なお、私はそういう一般の人には見えないものを扱う能力はないので、そちらのほうにはあまり深入りしないようにしてます。