國學院大學博士課程修了の松前健先生の著書より日本神話を勉強させていただいています。
日本神話はいくつもの伝承が複合的に重なりあって成立しているとみられるため、
様々な角度からの視点は大変勉強になると思います。
<日本の天地開闢神話>
古事記、日本書紀の天地開闢神話は文章は中国の「淮南子」や「三五歴記」から借りてはいるが、
「その本筋は日本固有の風土的伝承である」つまり日本オリジナルであると断言されています。
神代7代の話しはほとんど実際の祭祀や神社をもたない自然神、抽象神ばかりで、
後世の合理主義的思弁の産物のようにみえるが、じつはポリネシアの神話とそっくりで
太古から伝わる神話で間違いないようです。松前博士は「瀬戸内海沿岸に住む、
南方系海人(あま)族が、伝承してきたものであろう」と推測されています。
また造化三神のうちの高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)
は「万物を生成発展させるための神霊」であり「延喜式」、「新選姓氏録」などから民間でも実際に
崇拝、祭祀され、また宮中でも祭られてきたという。
<イザナギ・イザナミ神話>
「オノゴロ島」はポリネシアの神話と共通する「南方型」神話。
万葉集などから淡路島は古くから朝廷の屯家(みやけ)(直轄地)が置かれており、
「イザナギ・イザナミの崇拝とその神話はもとこの島の海人が伝えていものであったらしい」
と書かれています。
また、イザナギが禊ぎをしたのは日向のアハギ原ではないとし、その根拠は
「イザナギは古くはけっして九州に祀られなかったのである。その神の崇拝の痕跡がないところに
、その神話が生まれるはずがない」と言われています。
「おそらくイザナギの本来の禊ぎの地は、やはりその国生みの中心であった淡路の付近であって、」
「最初に阿波鳴戸で禊ぎをしようとしたというのは、ここが本来の舞台であったことを暗示する」
と述べられています。
たしかに鳴門の渦潮といえば、
罪穢れを「加加呑む」といわれる速開都比賣(はやあきつひめ)のいるという
「荒潮の潮の八百道(やおじ)の八潮道(やしおじ)の潮の八百会(やおあい)」という
イメージにぴったりのところである。
イザナミの禊ぎの舞台はこの付近の河口付近の海ということだろうか。
今後の新たな研究者による研究が期待されます。