先生と面談して来た。
昨日は学校を休んだ。
今日は、車から降りなかった。
ぐずぐずぐずぐずしていた。
担任の先生、保健の先生が声かけに来てくれる。
わたしは一旦帰宅して11時に再度学校に行き面談する予定。
そんな感じだったので、
娘が車で帰るわたしを追いかけてきたけれど、
見捨てて帰った。
見捨ててという言い方は正しくないかもしれないけれど、
普通の母はこの位してでも学校に行かせるのかもしれない。
面談時、
何を話そうか迷った、迷ったというか、もう何を言っていいかもわからない。
ひとつ、言っておこうと思っていたことを話した。
娘が授業中に教室から飛び出しても、娘を追いかけないでください、と。
教室にいる娘以外の児童たちの学びを止めるのはわたしとしては求めていない、と。
そして、娘にも伝えたのだけれど、娘が学校から飛び出したことによって、
事故にあったり、クマに襲われたり、行方不明になったとしても、
学校にも先生方にも責任を問いません、と。
そう、伝えた。
娘の存在が、学びたいと思っている児童達の迷惑になるのは、
許されない、それが娘の命にかかわっても。
それが、普通じゃない人間に生まれてしまった運命なのかもしれない、とさえ思うのです。
普通じゃなく生まれてくる、普通じゃない人間は知らず知らずのうちに、世の中のお荷物になってしまっている、
迷惑を掛けてしまっている、と自分が身をもって感じてきた。
ヤフーニュースには
優生保護法を調査するとか、
沖縄のバスの運転手が、バスの乗り方の練習をしている知的障害のある青年を
罵倒したとか、そんなことがニュースにあがっている。
そんなものを眺めながらも、わたしは思うのだ。
”普通じゃなく生まれてきたわたし達親子”は、出来る限りの努力をして、
”普通である人々”に迷惑を掛けなく生きていかなければならない、と。
邪魔な人間は、目立たず迷惑かけずに、生きていくしかないのだと。