聖人を蔑ろにした国は天から罰を受ける」というのは、歴史を深く広く探求し、そこから学んだ者には理解出来るに違いありません。

 

ただ、「聖人」とは誰を指すのか?という問題はあります。

「天」とか「神」とは、神の子孫である全人類と、この宇宙・森羅万象を創造された父なる神でもあり、親でもあらせられ、天法(自然の法則や天の御意志)を行使される方のことを言います。

「天声人語」のように、天の声を人が語ると言っても、本当に天の声なのか、人の声なのかを正しく判断しなければならない必要があります。

 

例えば、聖書は全て神の言葉であると信じているキリスト教信徒の方が多いとは思いますが、宗教者や律法学者達が集まって会議して決めたものなんですね。もちろん、それでも歴史や宗教の研究材料になってきたことも確かなんです。

 新約聖書はおもにイエスキリストが産まれて十字架に架けられ亡くなられるまでの行程とイエスが語られた言葉が書かれています。ただ、これもパウロ(最初、イエス教団を迫害していて途中、改心して熱心な信者になった)が中心となって編纂された書物ということになります。だから、『パウロ神学』とも呼ばれます。

『黙示録』に関しては私個人の感想として、信者を取り込み縛るための脅しなのだろうと思っています。「この書に加えることも減らすことも許されない」とか書いてるからね。

 

聖書に関しては話は尽きないのですが、表題からづれないように『聖人』とは誰のことをいうのか話しを進めます。イエスを聖人としている国は多いですが、イエスを十字架刑にしたのは他でもないユダヤ人(イスラエル)なんですね。イエスは神のみ旨(意志・思惑)を最も分かっていたので、神もイエスに大いに期待し、愛しておられた。

そのイエスをユダヤの律法学者たちは「メシア(救世主)ではない」と断罪して十字架刑で殺してしまった。・・・結果、彼らは神から罰として放浪の民となってしまったようです。

 

親なる神から罰せられている人達を庇う(かばう)ことは神に逆らうことになります。

現在、アメリカにおいて特にコロンビア大学等で学生たちが「イスラエルに武器などで援助することは間違っている」と声を上げていることは、真の神を信ずる者であるならば当然であり、正当な主張であると思います。・・・でないと、こんどはアメリカが神から罰せられる結果を招くことになるはずです。

 

日本でもありました。1260年頃、日蓮という方がおられて、『立正安国論』を鎌倉幕府に提出して、悪法によらない正法で政治を行うべきと進言したけれど、聞き入れられず、結果、国難を招いてしまったという。

 

1837年頃には大和の国(奈良県天理市)に中山みきという婦人が真の神の教えを語るようになり、身上や事情で苦しんでいた人達の多くが助けられ、信者が増えていった。そのことが気に入らなかった宗教者や医者達、それに警察も中山みきや信者を迫害するようになり、何度も留置所(奈良監獄に拘留)に入れられたという。

 彼女もまた神のみ旨(意志・思惑)が分かっていたので、いくら迫害されても、民衆の幸せのために、ますます勇んで神の話をし、信者を導き、布教や陽気勤めをやめることはなかった。

1886年2月18日、89歳という老齢の中山みき教祖を警察は櫟本警察分署に15日間拘留した。

それはそれはとっても寒い頃だったようです。

「人間の定命は115歳」と言っておられた教祖だったのに、あくる年の1887年2月18日、90歳で亡くなられてしまった。

 

私は彼女が警察に拘留された日にちから丁度1年後の2月18日という同じ日に亡くなられたことに何かメッセージを残されたと感じている。

  表題に「聖人を蔑ろにしたら罰を受ける」と、いうのが本当だったら、その後、日本はどうなったのでしょうか?大まかに歴史を辿ってみます。

 

1914年  第一次世界大戦勃発

1919年  1月~2月流行性感冒蔓延。患者150万人、死者15万余り

1923年  9月、関東大震災。  死者6万5千人

1941年  12月 大東亜戦争はじまる。

1944年  11月24日 東京大空襲(1945年3月9日~10日にも) 

1945年  1月13日 東海地方の大地震

       5月7日 ドイツ無条件降伏

       8月6日 広島、8月9日 長崎に原爆落下。

       8月15日  終戦

1946年  1月  天皇人間宣言

 

私がなぜ数ある新興宗教の中から天理教の教祖である中山みきを特別に取り上げるのかと云えば、イエスは神を「父」と呼んでいたが、中山みきは神を「おや」と呼んだ最初の人だったからであり、人類の発祥の地が「じば」という天理教会本部の神殿の中央にある「甘露台」の場所だと言われているからです。中央の天井には穴が開いていて天を仰ぎ見る事ができるようになっている。(イスラム教の神殿もそうらしい)

 

中山みき教祖は『お筆先』などでも「神の立腹」とか「神のせき込み」とか言われてる。

神は人類の親なんだから当然、感情を現わされるということです。

 

(余談)、統一教会の創始者の文鮮明教祖は「神は親です」と言っていましたが、たぶん天理教からのパクリだったのでしょうね。当時、天理教が朝鮮半島に布教を伸ばしていて、病気が治った人も多く、熱心な信者(用木という)ができたそうです。その中に、後に統一教会で霊能者として有名な金孝南さんが天理教で活躍されてたそうです。

最初、金孝南さんは断ったそうですが、文教祖が何度も説得して統一教会の霊能者になってもらったそうです。

 

日本政府、特に岸田首相は口を開けば「法による支配」とか言ってますね。日蓮上人が立正安国論で言うように、悪法でなく正法でないと国は立ち行かんでしょう。

人間の作った法なんて欠陥だらけだから、絶えず祈って神と問答して答えを導くべきでしょうね。「中山みきは神がかったことをきっかけに、長い間、倉に籠って神様と問答したのだろう」と、芹沢光治良氏は『教祖様』(おやさま)という著書に書かれてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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