昨年の5月14日に胸が苦しくなって死を覚悟してから、

早くも一年になろうとしています。救急車や病院のお世話になり、

読者の皆様やご縁のある方々に多大なご心配をかけたことを

深謝すると共に、励ましやアドバイスをくださった温かい心遣いを

ありがとうございました。

 今も生かされていることを天の神様と読者の皆様に深く感謝しています。

 

しばらくブログを休んでいて、突然、「生理用品」なのは・・・

先日、英国での戴冠式があったチャールズ王の不倫時代? のことが

当時、週刊誌に載ったそうです。お借りした文面は次の通り・・・

 

チャールズ王は、不倫中に、

カミラ夫人に向かって
「あなたのタンポンになりたい。」

と電話で話していたそうです。

(週刊誌に書かれました)


それで思い出したことや現実に今、家内も毎日数回使ってお世話になっている

ナプキン(パッドともいう)について最近、感じた事を書いてみます。

 

「不倫は文化である」と石田純一さんが言ったとか言わなかったとか、

色んな意見があります。不倫する側と不倫される側でも意見は違うだろうし、

「不倫はダメ」という人でも本当に大好きな人が出来てしまい、愛さずには

おれない相手に出会ってしまったらどうするんだろうとも考えてしまいます。

 

世の中には不倫どころか結婚したくても相手がいない人もおれば、

結婚したくないのに政略結婚させられるひともおり、戦争まっただ中の人も

そんな諸々のこと考慮したら、衣食足りて満足しないとバチが当たるよね。

 

若い頃って、後先考えないで行動に走りやすいです。

「あなたのタンポンになりたい」のように「彼女のパンティになりたい」とか

加山雄三さんの歌詞「優しくこの僕のシトネにしておくれ」とかね。

(シトネとは敷物とか布団という意味だそうです)

 

不倫の話はこれくらいにしておいて、生理用品の話に移ります。

私は男だし、今のところオムツも要らないのですが、家内がうつ病になって

約15年間、家内が使うナプキン(パッド)を買ったり、パンツに付けたり、

汚れたら、汚物だけ浴室で洗い流して紙に包んで生ごみの日に捨てたりと

何と多くのお付き合いをしてきたことか。まだまだ続くだろうけど。

 

 

家内が「大や小を粗相した時、正直言って、どうしていいか分からず、嫌になり困ってしまって、つい家内に怒ってしまったり、独り言いって嘆いたり・・・でも、ほっておけないので、ぶつぶつ言いながら洗濯を含む後始末をしてきました。

  私はウンチは「汚いもの・不潔なもの」と思い込んできました。多くの人が細菌やウイルスを恐れおののくようにです。でも、コロナ騒動があってから、ずいぶん細菌やウイルスに付いて調べた結果、人間が生きていく上には細菌やウイルスが必要不可欠であり、死ぬ時も彼らのお世話にならなければならないようになっているようです。

 

ネットで検索すると、私以上にウンチを汚いと思っていたり、ウンチを毒のように思っている方もあり、様々な見解でした。学術的にはウンチは食べた物を消化吸収した後のカスに過ぎないようなのです。細菌の量や種類も口のほうが圧倒的に多いそうです。

 

そうであるのなら、なぜウンチを怖がる必要があろうか。かえってウンチに対して別れがたい自分の身の内から出ていく愛すべき存在に違いないはずである。

 

そういえば森山直太朗さんにも「ウンチ」の歌があるようです。

  考えてみれば、臭いというのも思い込みであり、きたないと言うのも思込みであるという気がしてきました。それからというもの考え方が変わり、ウンチに対して少しは寛容になり、以前より腹もたたなくなりました。

 

犬がウンチを食べるのは実際に見たことがありますが、ウサギやチンパンジー等の多くの動物に食糞の習慣があるそうです。人間世界でも尿を飲む健康法があるとか・・・・・

 

調べてみると、実は世界で一番早く人糞を肥料に利用したのは日本なのだそうです。鎌倉時代の日本において始まったそうです。まじめな日本人は都市部の人糞を農家が回収するシステムを築き上げました。これはすごい画期的なことで、これによって①食料の増産②都市問題としての排泄物の処理などを達成したということです。

 

当時は下水とか汚物処理とかが出来なかったので、どこの国でも都市は大変不潔だったようです。ところがこれにより日本では大都市でも比較的きれいで、その結果、江戸時代になると江戸はパリやロンドン並みの世界有数の大都市になりますが、まれにみる綺麗な都市だったようです。

 

私は最近、生家(誰も住んでない)に行って、修理や草刈りをしたり、コンクリート打ちをしたりしていて、先日、やっとのことで井戸水をポンプで汲み上げ、水道のパイプに繋げる工事を完成させることができました。

  数年前、アマゾンで格安で買ったポンプで説明書はなく、素人なので汲み上がらずほったらかしにしていたのですが、再度、井戸に降ろした塩ビパイプのネジ接続部分に白のテープを巻いて接続し直した結果、吸い上げることができるようになりました。(実は昨年、自宅のふろ給湯器が故障し、新しい自動給湯器を取り換えてもらったついでに、台所と浴室の蛇口を取替えようと、それもアマゾンで購入して自分で取り替えたんだけど、説明書には「白いシールをネジに10回巻き付けること」と書いてある通りしたら上手くいった経験を生かそうと思ったから)

 

なぜ、井戸の話をするかというと・・・

昔、私が7歳の頃(1956年、今から67年前)家族で井戸水を飲んでいたんです。それに母や祖母は便槽に溜まったウンチや小便を二つの桶に入れ天秤棒で担いで畑に運び、野菜などの根っこ辺りに肥やしとして施していたんです。お金を払ってウンチを近所から買っていることもあった記憶があります。

  それが、いつだったか井戸水は使わなくなり、ウンチも小便も利用しなくなった。

そう言えば、その頃、小学校では「検便」といってウンチをマッチ箱に入れて持っていかされたり、「マクリ」を飲まされたり、ツベルクリンの予防注射をされたり、粉ミルクを飲まされたりしたことが脳裏をよぎる。

 

今、思い返せば

そのころの日本は既にアメリカの言いなりになり、「温故知新」は捨て去り、西洋医学一辺倒になり、「病気の原因は全て細菌だ」とか「病気の原因はガン細胞だ」とか洗脳されていったのではないかと思うのです。

 

大腸菌は誰のお腹にもあって、種類も数もいっぱいあって、「各種のヨーグルト菌は身体にいい」と誰もが買って飲んでいるほどなのに、

なぜ昔、井戸水が飲み水に適さず、消毒された水道水が良いと推奨されたのか今でも疑問が残ったままです。

 

「水清ければ魚棲まず」といいますから、度が過ぎることはよくないのは

誰でも知っているに違いないのですが、人間にはその度が分からないときてる。

各々、自分で失敗したり勉強したりして経験を積んでいくしかないのかもしれません。

 

とりとめのない、長い話にお付き合い有難うございました。

 

最近、散歩中に撮った風景です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご訪問ありがとうございました。 (^^)/

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