「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」という言葉をよく耳にするようになってから、しばらく経ちます。
ソーシャルディスタンス=他人と物理的距離をあけるということ
自粛解除で気持ちやわらぎはしましたが、近づきたくても近くに寄れない、という悩ましい状況はまだまだしばらく続きそうです。
そんな中ふと思ったのですが、これってもしかして自立への練習期間なのかもしれないなって。
近づけないということは、物理的にも誰かに寄りかかることが出来ない状態だけど、精神的にもやっぱり寄りかかりにくくなりますよね。
いつも頼っていた誰か、、、それは、愚痴を聞いてもらっていた誰かかもしれない、身体をケアしてもらってきた誰かかもしれない。
私たちは普段、生活の中でたまってしまった何かを、知らず知らずのうちに他のヒトに出していたりします。でもヒトに近寄れないとそれも出来ないですよね。
ヒトに吐き出したり、あるいは自分の空虚感を誰かに埋めてもらうことが出来ない。
自分で自分のご機嫌をとらなければならないワケです。
自分で自分を整える、それって自立への大きな一歩です。
自分で自分のご機嫌を取るためには、まず初めに自分の声を聴かなきゃなりません。
他の誰よりも自分自身の声を。
『自分は今どうしたいのか』
『自分は何が好きなのか』
『自分はどうしたらくつろげるのか』
etc...
「そんなの分かってるよ、当たり前でしょ」って、そんな声も聞こえそうだけど、、、意外とコレって難しいんです。
私たちはいろいろな理由をつけては他を優先してしまいます。
今は時間がない とか
仕事だから とか
お金のため とか
約束したから とか
他人にどう思われるか とか
これをした方が評価されるから とか
etc...
あげたらキリがないようなたくさんの理由のために、〝いま自分がどうしたいか〟が後回し。無意識にやっていることも多いですよね。
ひどい時は、トイレまで我慢しちゃったり。。。
(コレ私も時々やっちゃうの)
そんなことが積み重なっていくうちに、不機嫌がやってきます。
なんかイライラする。ムシャクシャする。
機嫌がいい時には気にもならないようなことで腹が立つ。
挙句の果てに、しなくてもいいケンカをしてしまったり。。。
いやいや、なんとももったいないことですよね。
どうも私たちの脳には、変な思い込みや刷り込みがあるようです。
そしてその脳のプログラミングが勝手に作動してしまい、「〇〇すべき」「○○してはならない」「〇〇でなくてはならない」と、自分をどんどん追い込みます。
どんな思い込みがあるんでしょう。
例えば、、、
人の役に立たないといけない とか、
子どものために我慢 とか、
自分を優先することは自分勝手なことだ とか、
人に迷惑をかけてはいけない とか、
無駄はいけない とか、
格好悪い自分ではいけない とかとか
まだまだ沢山出てきそう
だけどコレって全部、
本当にそうなのでしょうか???
私たちはそれが正しいと言われて育ってきたので、その思い込みはそれはそれは強いものがあります。
でもこれからやってくる 一人一人が「個」として立っていく、 「個」として自由に生きていく、そんな時代には、これら沢山のお荷物を抱えたままではちょっとシンドイ。いえいえ相当シンドイです
とても素直で、これまで社会やまわりになるべく順応するように努力してきた方ほど、この見えないお荷物を抱えている可能性、実は
大きいんです。
さほど素直と思えない私でも、バリバリ持っていましたけどね
自分が一体どんなマイルールを持っているか、一度紙に書いてみるといいかもしれません。
それによって、自分で自分をどれだけ制限していたかに気づくかもしれません。
「自分のやりたいことをやるのが一番」って私が言うと、勘違いして受け取られやすいことが一つあります。
「好きなことをやるのがいい」って聞くとどうも、何か特別なこととか、人に言えるようなことをやらないといけないって思っちゃうようなんですけど
全然そんなことないんですーー
本当にちょっとしたことから、
「たった今、何を飲みたいか」とか
「たった今、何を食べたいか」とか
「たった今、部屋のどこにいるのが気分がいいか」とか
「たった今、どんな格好をしていたいか」とか
そういうちょっとしたことが大事だと思うんです
そのちょっとしたことをおざなりにしないで、繊細に聴いてあげる。
そして自分にやってあげる。
自分を後回しにしないで、自分の声を無視しないで、ぜひぜひ聴いてあげて下さいね。
あなたがご機嫌になれば、あなたのまわりにご機嫌な人が増えます
ご機嫌な人が増えれば、この世界はご機嫌な世界になります
平和でしょ
あなたはこの世界を創っている本当に大切な存在です。
ぜひぜひ、自分のご機嫌をとってあげてくださいね
それではみなさん、ごきげんよう~