ヨコの散歩道

ヨコの散歩道

「暇だから少し散歩してくる」ぐらいの感じで日常で思ったことを書いていこうかなって思います。

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最近文化祭のバンドのオーディションが近づいてきてなんかやばいです笑

「うまく弾けるようにしなきゃ」とか「ミスしないようにしなきゃ」とか余計なことを考えてしまいます。

”ただ自分のベストを尽くす。

 結果がどうであれそこまでの過程が大切。

 覚悟を決める”

ジョジョ好きならそう考えなきゃいけませんよね笑

なのでオーディションにはそんな感じに望みたいと思います。


でも音楽って本番は結果が全てですよね。

うまく弾くとか、ミスしないとかの演奏という過程よりもみんなとつながったか、ちゃんと表現できたかが重要だと思うんです。

絵とか音楽とかが自分を表現する過程であるのならちゃんと伝わったかという結果が全てになるはずです。

結果を求めすぎるとうまくいかないけどでも過程を気にしてばかりでも駄目なんですね。

ジョジョ6部を読み返したりして、最近人間の生きる意味というか感情の意味というかを考えてしまいます。

自分ネガティブなんで生きていたってどうにもならないとか生きる意味を生きた結果から逆算して考えようとしていた時期があったんですよ。それで生きていたって何か結果を残せるかなんてわかんないし、偉人ばかりじゃああるまいし努力したのに何の結果も残せずに死んだ人もいる。そう考えると生きるってかなり残酷なことでつらいことで悲しくなって死にたくなって…。でもジョジョを読んで結果じゃあないんだ。重要なのは過程なんだって思えました。人の人生なんて端的にいうと生まれてそして死ぬ。しかしそこには過程がある。それが人生なんです。人生はどう進んでいくか。近道したっていいし遠回りでもいい、山でも谷でも平坦な道でもいい。そう進んで行く中で何かを学び受け継がせることこそが生きる意味だと思う。よく受け継ぐことってバトンパスとかに例えられます。でもリレーでゴールがないなんて鬼畜じゃんって少なくとも昔の俺ならそう思いました。でも僕らが今たっているところこそがゴールなんじゃないかって今なら思います。わざわざ進まなくてもありふれた日常の中にいろいろなことを感じることが出来る。人間まで進化したから高度な脳のおかげで豊かな感情が生まれました。その感情に従い豊かに生きれるようになることが生物の一種の到達点だったんじゃないかなって思います。

最近SPECはまっちゃいました。

それで超能力についていろいろと考えるんですよ。


やっぱり超能力ってほしいですよね。

瞬間移動にサイコキネシス、時を止めるとか自分がそれを使えたらどれだけいいことかって思えますよね笑

ただそういう超能力を持っていたとしてもそこには限界がある。

生物が超能力を使うとしたら、それを起こすのは体である。

つまり体に限界があるようにそこから起こされること全てに限界がある。

人間の限界を無くすためには体という束縛から抜け出す必要がある。


つまり人間なんて生まれながらに限界を定められてるわけなんですよね。

そう思ったらいろいろやる気なくなりますわ。


ということでこのことについては考えるのをやめまーす。