砂糖・その残酷な歴史 | おととひの世界

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『砂糖』が近代資本主義を用意した

『砂糖革命』だった明治維新 薩長同盟と言っても ファイナンスの面では8割方 『サツマ革命』 それも奄美・琉球の砂糖の力だった

明治維新は『砂糖革命』だった

『薩長同盟』があったから
竜馬がそれをやったから

これはアマチュア歴史好きレベル

戦争にしても
革命にしても

まず『先立つもの』がなければ
早い話が

おカネです

おカネがなければ
な〜んにも動きません

幕府の名目石高
900万石とも1000万石とも言われ

有名な
加賀前田藩の百万石をも
まったく問題にしない


それは表向きの話
幕府は身内
つまり旗本八万騎
貧乏な御家人

譜代・親藩の貧乏大名

幕末続々と財政難に陥っていた
彼らは借金をしなければやっていけない

泣きつく先は結局

江戸幕府だった

借金の利息だけじゃなく
毎年の歳入不足も
補填してやらねばならない

幕末の段階でその総額
五百万石を超えていたと考えられている
幕府も苦労していたんですよ

ですから
1000万石
仮にまるまる歳入があったとして

自由に出来たカネ
恐らく400万石に満たなかった

薩摩藩七十七万石
これを江戸の札差で換金すると

39000両から45000両くらい

この金額✕5
≒ 幕府の収入です

この状態で『黒船』ですよ

幕府だけで
対処できないこと
わかりきっていた

阿部正弘 - Wikipedia
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ja.m.wikipedia.org


堀田正睦 - Wikipedia
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ja.m.wikipedia.org


阿部正弘
黒船が浦賀に来た時の老中です
こういう人たち

昌平坂学問所
昌平坂学問所 - Wikipedia
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子供の頃から机を並べて勉強
その仲間の中でも

頭抜けて
できる秀才がいた

しまず・なりあきら

島津斉彬 - Wikipedia
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ja.m.wikipedia.org

薩摩藩の嫡流
つまり正妻の子

幕府の学問所
始まって以来の超秀才

四書五経だけではなく
オランダ語や英語にも通じ

上海辺りから流れてくる
外国語の新聞も

2週間遅れで読んでいた
外国で何が起きているか?

リアルタイムに掴んでいた
医学や薬学
数学や物理学
造船技術にも通じ

もちろん
ヨーロッパ流の兵学にも通じていた

幕府重役
これからあてになるだろうと
その時期は早くやってきた

『ペリーの黒船』
浦賀にやってくる前に
沖縄に現れた

幕府としては
遠すぎて手が打てない
交渉できる相手もいない

島津斉彬なら?
斉彬は江戸育ち
幕府重役とは気心が

一番確実に
上手にやってくれる
この事実は当時の国民に伏せられ

幕府から斉彬へ
極秘出動要請

島津斉彬
期待に完璧にこたえた

これからも働いてもらわねば
しかし父親との折り合いが悪く
島津斉興

家督を譲ろうとしない
これは結局お家騒動に

正当な長男
斉彬の相続を望んでいたのは
西郷隆盛や大久保利通
だけではなかった

幕府重役
何よりもそれを望んでいた
そうしなければ

日本の南の守りが危ない

そこで阿部・堀田
一計を案じた

父親・島津斉興を
江戸城へ呼び出した
将軍・家慶から直々に

お褒めの言葉があるという
斉興は上機嫌で出かけていくが

そこで
将軍家からもらったもの

『赤いちゃんちゃんこ』
要するに将軍から直接

強制引退を言い渡された
名誉ある引退ということで

こうして島津斉彬
藩主への道が開かれたが
ここからお家騒動
多数の犠牲者が出ることに

薩摩藩の行く末
幕府も心配した
相続に成功したとしても

島津斉彬には
安定した財源が必要になるだろう

そこでこっそりやっていた
密貿易

琉球・奄美の
黒砂糖の利権

島津斉彬へプレゼント

島津斉彬
莫大な財源を手にする

おそらく当時の幕閣

『当時の砂糖貿易』
どうなっていたか?について
全く知らなかった

全世界
どこに持って行っても
足元を見られることなく
換金できた

薩摩藩七十七万石
米を全部換金しても4万両

黒砂糖を換金すると

薩摩藩の収入
なんと+24万両

分かっていたら
幕府もそうは
しなかった

結局
このカネがすべて

後に幕府を倒す
資金になった

モノの値打ちが
わからない
これだけ重大な結果を招く

日本が
植民地に
ならなかった

砂糖のおかげ
かもしれないんで