カルロス・クライバーはカラヤンの死後、ドイツ語圏出身最後の大物として伝説に近い扱いを受け、非常に高い評価を得た指揮者である。実際カラヤンが死去した時にはウィーン・フィルのコンサートマスターであるライナー・キュッヒルに
「もうクライバーしかいない」
と言わしめ、ニューイヤーコンサートの映像からはドイツ語で稽古をつけられ嬉しそうに演奏するヘッツエルの姿が見れる。そんなクライバーもカラヤン在任中のベルリン・フィルに中々登場しない指揮者の一人であった。その為か不仲説が報じられることが度々あったが、これはとんでもない事実誤認であるし、クライバーはカラヤンのプローベを見れる機会があれば決して逃そうとはしなかった。ただし、クライバーはベルリン・フィルにカラヤン以上の高額な出演料を要求し、オケ側が誰にも提示したことがない高額の出演料を提案するとこう答えた。
「妻に相談してから返事をします」
今でもクライバーを語るときに使われる、カラヤンの有名な言葉がある。
「最も優れた音楽家だが、冷凍食糧庫の貯えで暮らしているので、中身を補給する必要が生じたときしか指揮しない」
前述のキュッヒルもクライバーをこう評する。
「クライバーはとてつもない天才ではありますが、彼はカラヤンやバーンスタインのように継続してオーケストラを育てることができません。」
カラヤンは自分でも評するように『古いタイプの人間』である。どこかに根を生やし、独裁的に手足をコントロールすることを望む人間である。そんなカラヤンがクライバーをライバル視し、恐れたとはとても考えにくい。またカラヤンは自身がフルトヴェングラーから受けた仕打ちを教訓として、後輩指揮者には非常に寛容、尊大であった。ベルリン・フィルでの仕事が重なった際にこんなやりとりがある。
「ご承知と思いますが、私は私のオーケストラをあなたにいついかなるときでも使っていただいてけっこうなのです。」
「どうか信じてください。あなたは私には貴重です、私からはほとんど狂信的に崇拝しています。もしかして、あなたの感情を害するような人間がいたら、私はこの手で奴らを絞め殺してやりたい。私には指揮者としての功名心はありません。むしろあなたの演奏を聴いていたいのです。ですから、あの百姓どもに゛だめだ゛とおっしゃったら、万事は落着です。ひどくうぬぼれていると聞こえるでしょうが、あなたが第…小節でどういう素晴らしいことをなさったか、ほんとうに分かっている、幸せな少数の人間のひとりが私なのです。私は相変わらず、あなたの不肖の弟子です。そして、もし許されるなら、あなたの友人です。」

SVD45985
Herbert von Karajan, His Legacy- New Year's Concert 1987
Herbert Von Karajan&wiener philharmoniker
ニューイヤーズコンサート 1987
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1987年1月 ウィーン、ムジークフェラインザール

UCBG-1087
New Year's Concert 1989
Carlos Kleiber&wiener philharmoniker
ニューイヤーズコンサート 1989
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1989年1月 ウィーン、ムジークフェラインザール

UCBP-1039
New Year's Concert 1992
Carlos Kleiber&wiener philharmoniker
ニューイヤーズコンサート 1989
カルロス・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1992年1月 ウィーン、ムジークフェラインザール