ヘルベルト・フォン・カラヤンに関する考察 -2ページ目

ヘルベルト・フォン・カラヤンに関する考察

幾つかの断片的なキーワードに添って20世紀に君臨した最後の巨匠の人生を考察すると共に、彼の音楽遺産を再度楽しむ

「我々の間にはいろいろと相剋があったけれども、いまとなってはたくさんのいい思い出が浮かんでくる。音楽家としてわたしは彼に結局のところ数多くの恩恵をこうむっている。わたしは彼がリハーサルをし、音楽を作り上げるのを聞いて、それはそれは多くのことを学んだ。わたしは後になって彼の薫陶を受けた多くの楽団員達と関わりあうことになったが、彼らは卓抜な演奏家であるばかりでなく、わたしとフルトヴェングラーのことを語り合うときには、私が彼を音楽家としていつも正当に評価してきたことを認めてくれた。わたしはいつも、彼の芸術性についてとくにすぐれていると見たものを、私の演奏会に生かし、伝えようとしたし、これはある程度まではうまくいったと思っている。」


カラヤンが死去した際にフルトヴェングラー未亡人・エリザベートは以下のように述べている。


「一大エポックが過ぎ去った。ブルックナーとR・シュトラウスの指揮では輝かしい人だった」


ベルリン・フィルのインテンダントであるヴォルフガング・シュトレーゼマンは両者の違いを、


「フルトヴェングラーが、曲の背後にあるものを解釈し感情表現を構築するやり方、作曲家がその曲を書いた動機、内面体験を重視して再生するのに対し、カラヤンならば『音楽は音楽だ、やめておけ』というでしょう。」


と説明したが、こうした違いがフルトヴェングラーをより刺激したのかもしれない。フルトヴェングラーの「偉大なる優柔不断」についてカラヤンは以下のように語る。


「ある点でわたしは、自分がフルトヴェングラーの正当な後継者だと思っている。彼は演奏会のあいだ、いつもよくオーケストラを放任していた。彼は経過句のところで意識的に、主導権をとるのをためらい、つぎの和音はオーケストラ自身に出してもらいたいのだということを感じさせ、そして待っていた。ベルリンの連中はいまだに、彼の一見途方にくれた眼差のことを話してくれる。そうした目つきで、彼はオーケストラを見つめ、彼らが自分達だけで演奏を続けるのを待っていたのだ。そして彼らは、彼に代わって演奏を続けた。」


結局両雄の対立はフルトヴェングラーの音楽的イデオロギーによるものではないだろうか。演奏における即興的な要素が抑制され、制限されることを恐れ、技術や正確さや統率力よりもインスピレーションの欠如を恐れ、感情による音の配分を無視してただ拍子どおりの指揮を恐れた、時代との闘争であり、永遠に決着が無いであろう創造的なものと再創造的なものの見識の違いだったのかもしれない。このイデオロギーにはカラヤンも死後捲き込まれることになると共に、カラヤンは自分の遺したバッハやヴィヴァルディが「いずれ時代遅れになる」ことも予見していた。しかし二人が遺した音楽遺産が不滅であることはどの時代においても事実である。


ヘルベルト・フォン・カラヤンに関する考察

TOCE-14054

Beethoven: Symphony No 9

Wilhelm Furtwängler & Orchester der Bayreuther Festspiele

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125《合唱》

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮

バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団、他

1951年7月バイロイト祝祭劇場

ヘルベルト・フォン・カラヤンに関する考察
UCCG-2055

Beethoven: Symphony No 9

Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125《合唱》

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団&ウィーン楽友協会合唱団、他

1983年9月 ベルリン