痛いとき、つらいときは、優しげな言葉も刺さり、腹立たしく感じることがあると思う。
言った人も、その言葉しか思い付かず、精一杯なこともあると思う。
言葉を掛けてあげたい。でも、なんと言うのが正解なのか、わからないときがあると思う。
知識も経験もなく、どうしたらいいのかわからないこともある。
何かしてあげたくてもわからずどうにもしてあげられないときもある。
本当に愛がない人もいるし、
愛があってもうまくできず間違えて愛のないことをしてしまう人もいると思う。
反省しない人もいるし、
反省していても言えない人もいると思う。
実は悪かったと詫びている人もいるかもしれない。
いないかもしれないけど。
ただ、自分の周りは、悪い人ばかりではないし、
完璧な人なんていないし、
くやしいかもしれないけど
どうか許してあげてほしい。
今は無理でも、いつか許してあげてほしい。
自分の状況も相手に100%伝えられないのと同じように、
相手の状況を自分は100%わからない。
理解してはもらえないけど、同じように理解することもできないかもしれない。
痛みも数値で見えたらいいのにね。
愛情も数値で見えたらいいのにね。
最近、ある17歳の女の子を見かけます。
毎日たくさんの点滴を打ちながら、ベッドの上で一日中スマホゲームをしています。あきらめを感じます。
つらい治療です。
あきらめたくなるのも、わかる気がします。
自分ではどうしようもないからゲームするしかないのかもしれません。
彼女は、何も言いません。
挨拶も会釈もなく、ただスマホを激しく触っています。
ときどき歩いてトイレへ行く姿を見掛けます。
何もしてあげられなくて申し訳ない私です。
私に出来ることはないのでしょうか…。
かたや60代のお婆さんが、同じように点滴を打ちながら、自分の治療について経験者に聞いて歩いたり、医師が来たときにはしつこいくらい質問したり、家族に図書館で病気の本を借りてきてもらって読んだりしている姿も見かけます。
比べることも意味はありませんが、治したい必死さを感じます。
可能性を探す意欲を感じます。
だからといって
病気というのは、絶対治る保証なんてありませんよね、残念なことに。
どんなに努力しても無駄かもしれません、でも、努力無しに治ることのほうがよほど奇跡ですし、今努力しないでいつするんですか?という気もします。
治すためには自分の努力が不可欠で、誰かが持ってきて教えてくれたり提供してくれるものではなく、自分が知りに行き、助けてほしいと願い、つかまえてゆくものなのかもしれません。
ただ、それが出来ないときも実際あるのも確かですけど。
耐えるしかないときもありますけど…。
つらいですね。
よくがんばってますね。
治ってほしいです。
本当に、治ってほしいです。
効果があるかはわからないけど、星野式ゲルソン療法を実行してみてほしいです。
川本先生の温熱治療も受けてほしいです。
治ってほしいです。