毎日ブログ1343日目。
今日はライトなお話。
先日メンテに来てくれた
サッカー少年が
「木根さん、俺」
どした?
「目を虫に刺されて
だいぶ腫れちゃったよ!
少し良くなったけど
まだ一重(ひとえ)」
っていうかさー。
俺ずーっと一重(ひとえ)
なんだけど!!笑
「そうだね!木根さん
ずっと腫れてるみたい
だもんね!!笑」
ばかやろう。笑
「でもさぁ、クラスで
二重(ふたえ)だって
ばかにされるんだよね。」
うそだー。二重(ふたえ)
の人の方が多いっしょ!?
「一重(ひとえ)の方が
多いもんで
二重(ふたえ)だと
変だってばかにされるんだよね」
えー信じられん!!
一重(ひとえ)
でばかにされることは
なかったけど
目が小さいっていじられることは
未だにあるけんね。
(それって一重(ひとえ)をばかにされてるかも。笑)
閑話休題
マジョリティーとマイノリティー
多数派と少数派
マジョリティーな意見や考えは
「普通」と括られることが多く
マイノリティーな意見や考え方は
「異常」とまではいかなくても
「普通じゃない」と
括られてしまうこともあります。
二重(ふたえ)の方が
多数いる世界なら
一重(ひとえ)は
目ちっちゃ!!ってなるし。
一重(ひとえ)の方が
多数いる世界なら
二重(ふたえ)の人は
目でっか!!
ってなるわけです。
(まぁどっちのせかいでもなりますが。)
たとえぼくで言えば
アイプチなり
整形でもしなければ
二重(ふたえ)には
ならないだろうし
そのサッカー少年も
今回のようなイレギュラーが
なければ一重(ひとえ)には
ならないんですね。
だから
多数派がどっちであろうと
ぼくは
この小さな目と
共に生きていかなかければ
ならないし、
それはそのサッカー少年も
同じこと。
何を言いたいかというと
コンプレックスに
自分自身で感じることは
確かにあるけど
人からの評価で
コンプレックスに
感じてしまうことも
あるってこと。
そんなのはもったいない。
むしろ
コンプレックスになり得るものは
「武器」にだってなり得る。
ぼくがこの小さな目で
どれだけたくさんの人を
笑顔にそして
幸せにしてきたかは
測れません。笑
たとえば、
小学生の女の子は
「木根さんのマネ〜。笑」
と言いニヤニヤしながら
目をつぶって言ってきます。
(はい。幸せにしました。)
小学生からの同級生は
会った時に35歳にもかかわらず
もう20年くらいは
ニヤニヤしながら
「じゅんぺい、
目開いてるか?笑」
と言ってきます。
(完全に嬉しそうです。)
もし、ぼくが
アイプチをやって
二重(ふたえ)にする!!
と宣言したら
おそらく15人くらいは
本気になって止めるでしょう。
もはやこの
一重まぶた、
そしてこの小さな目は
僕の大きな武器なわけです。
話がライトすぎましたが
最後にぼくが言いたいことは
自分は自分ってこと。
もしスポーツ少年少女の
息子さん娘さんが
一重(ひとえ)に悩んでいたり
はたまた、二重(ふたえ)に
悩んでいたらこのブログを
見せてあげてください。

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