現存している日本で最古の医書「医心方」。
国の重要文化財に指定されている。
平安時代に丹波康頼が編集し朝廷に献上した。
本書は全三〇巻からなる医学書で、宮廷医学の秘典となり、医家である丹波氏はこれによって以後九百年にわたり、宮廷医としての不動の地位を獲得した。
「医心方」は隋・唐医学の集大成である書だが、当時の日本人に合うように編集されている。
論理よりも実用を重んじた日本の個性があらわれている。
しかし本書は幕末に丹波氏の子孫により公刊されるまで、一般医家に触れることはなかった。
そんな「医心方」は1860年にはじめて世に出ることになる。
丹波家の元にあった「医心方」が、共に最高格の宮廷医家であるライバル、和気家に奪われる。
それは室町時代の天皇の病気が、丹波の治療で効を奏さず和気の治療でよくなった。そのための褒賞として和気家に「医心方」が渡る。
宝典を奪われた丹波家は長年これを奪還し出版すべく画策した。
幕府の命令でも返還を拒否し続けた和気家。だが、いかんともしがたい状況に追い込まれ、1854年ついに幕命をもって取り返した。
丹波家は原本を手元に置いておきたかったが、念願の出版を果たしたため再び和気家に戻された。
その後100年余りにわたってこの秘宝を保持していたが、文化庁に買い上げられた。
明治前期にドイツのエルランゲン大学に留学してヒルゲルに師事し、帰国して東京帝国大学教授となり、ついで東京薬学専門学校(現東京薬科大学)の校長となった丹波敬三も丹波康頼の子孫である。敬三の子は日本画家として有名な丹波緑川。
その子は俳優の丹波哲郎である。つまり、丹波哲郎は後漢の霊帝の子孫ということになるから恐ろしい家系である。
「医心方」が著されてより平安時代が終わるまでの百余年間、「医略抄」や「長生療養方」といった医書がまとめられたが、日宋時代が来るまで、質でも量でもこの書を一歩たりとも凌ぐ書はついに現れなかった。
小曽戸 洋「漢方の歴史:中国・日本の伝統医学」 より抜粋
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