振動数(波動)と運命とはどの様な関係にあるのだろうか、振動数の高い人と低い人ではどの様な考え方の違いがあるのか、又それがどの様に運命に作用するのかを見てみたいと思います。

人の振動数は低くは6万回/秒~高くは18万/秒(ヘルツ)あると云われています。

振動数の高い人の傾向

❶ポジティブな信念体系をもち物事を楽観的に考える。

❷バランスや自由、選択、誠実さや責任に関連した信念体系を持つ。

❸自分自身を常に勇気づけることが出来る。

❹物事を簡単に楽に創造することが出来る信念をもつ。

❺自分がすべきなのは、それが起きてくるのをただ許し、起きるに任せることだと知っており、その結果奇跡のような形でそれを体験する。


振動数の低い人の傾向

❶ネガティブな信念体系を持ち、それによりネガティブな感情を体験しやすくなる。

❷悲観的な考え方をし、自分は非力だとの思いや怖れがある。

❸自分自身を力づけたり励ましたりすることが出来にくい。

❹この物質的な現実が全てであると強く信じる傾向にある。

❺何かを起こすには、物事を複雑に考えコントロールする必要があると強く信じる傾向にある。

いかがでしょうか、やはり振動数の高い方が運勢が良いと云えます。

私は神とは予言のようなものだと思っている。予言はそれをあらかじめ証明することが出来ない。

その予言が的中した時に、初めてそのことを証明できる。

神も同じであり自分自身で体感したり体験した時に、ああいるのだな" と初めて分かる。人が人にどうのこうのと言っても、そのことが神がいる証明や証拠には決してならない。

ただ今からこの様なことについて興味を持たれる方に対して、何らかのヒントになればと思い書いている。

しかし、この世であっても又あの世であっても、自分自身が神はいない、と否定すてばそれはこの世であってもあの世であっても、それは必ず受け入れられるのです。

それが私達が決めた宇宙法則でもあります。

この宇宙は、どこまでもその人の考えや思想を尊重する世界でもあります。

私は、武士又は豪族の末裔である、と云った人に会いましたが、今は武士でも豪族でもありません。

であるならば、私なりに経験したり調べた結果、私達は神の末裔であると思えるのです。

では先の仏陀の場合は今どの様になっているのかと云えば、ほとんど第6密度(6次元)振動数で言えば50万~66万6000回/秒から第7,8,9密度へと拡大(振動数が高くなるとエネルギーが拡大する)しているという。

そしてひとつ気になることがある、今この時期の地球上の変革にあたり、それを援助するために仏陀の分霊(分御魂)がいくつかの転生をしているそうです。

この様な事を言えば えぇ"嘘ぉ"と云った声が聞こえてきそうなのですが、その分霊は実は私でないのは本当だ・・続けよう

先の振動数の高さは精神性に現れるのですが、実はこのブログの右横に書いている感謝、愛、祝福、受容、これは神の姿勢(神であれば)を表わしているものです。

(感謝)どんな困難に出会ったとしてもそれを試練だと感謝する心

(愛)自分に憎悪や敵視する人に対しても愛情をそそげる心

(祝福)どの様な人や事柄でも祝福を以て迎え容れる心

(喜び)全ての困難や事柄に対して喜びを見いだせる心

(受容)自分にとって苦難、困難もその全てを受け入れる心

以上ですが、私達凡人には中々にむつかしいことですが、これが出来ている人達は振動数が高く、神から何らかのインスピレーションを受けている人達であると云えます。・・・次は⑥で

人が死んで霊になった場合見えない、又はこの物質界から居なくなっているのだから、振動数で言えば25万回/秒以上になっているので、神に近くなっているのか,と云えば決してそうとも言えない。

仏教でも所によっても違いはあるが、33~50回忌まではホトケで33~50回忌をすぎると、神としての扱いになるそうだが、

実際はそのようにはならず、ただ漠然と死んでいっても不浄仏霊になったりはしても、簡単に神とはいかないと云えるのです。

ではどの様な人たちが神のようになるのかと云えば、

この世で生きているうちに振動数を自ら上げて、

神のようになっていなければ、ただ単に死んでいくだけではならないと云えます。

もし振動数を上げることが出来れば、あの世でなくとも、この世で神とまではいかなくても、運勢は格段に良くなると云えるのです。

それは心の在り方、いわゆる精神性に現れています。・・・次は⑤で

神と云えば神がかりや神の啓示や智慧を授かり教理を広められた天理教(中山ミキ)金光教(香取源七)大本教(出口ナオ、出口王仁三郎)が有名である。

この教祖と云われる人たちの軌跡や残された書籍、神がかり的な出来事の数々、布教の拡大規模などを考え併せた時に、神だと"と一笑に付すには余りあるものがある。

この教祖の方々の振動数は18万回/秒以上あったと思われる。

私達もこれ位の振動数になれば、スムースに神との交流が出来るとも云える。この振動数であるが、私達もある訓練により上げてゆくことも出来る。

もしも一般的な振動数8万回/秒の人が神と直接触れるようなことでもあれば、神の高い振動数により、亡くなられるか、死なないまでも、確実に体調の変化をきたすか精神錯乱状態になる。

これは振動数を上げる訓練の段階で急激な振動数の変化を体験すれば同じことが起きる。

気軽に神に会ってみたい。と云った感じにはなかなかいかないのが現実である。神に会うためには、自分自身の振動数を上げるほかないと云える。・・・次は④で

神は正直肉眼で見ることはできない。神と人間では振動数(エネルギー又は波動)があまりにも違いすぎる。

振動数とは何かといえばピアノの鍵盤を叩くと音が空気の振動を得て耳に伝わるその振動のことです。

では人間の振動数はどの位かと云えば

「バシャールX坂本政道(人類その起源と未来)」の中で、人の振動数は平均で7万6000回/秒(ヘルツ)である。1秒間に7万6000回で振動していると云います。

これは平均であり、当然のことながら7万回の人もいれば11万回/秒の人もいます。ちなみにキリストや仏陀は20万回以上であったと言われております。

この20万回以上と云えば、さほど高くないと思われる方もいるかも知れませんが、物質化すると振動数が下がる中での20万回以上で振動していることはすごいことでもあるのです。

物質界での最高振動数は25万回/秒であると云います。

では神はと云えば33万3000回以上の振動数であり、33万3000回/秒以上で振動すればもはや肉眼では見えす゛光として感じることになります。

しかし25万~33万3000回には間があり、25万回以上は物質界でもなく、また神の領域でもない。

よく芸能人の方が、小さなオジサンや妖精を見たことがあるといっていますが、実はこの振動数の間で生息している霊?妖精なのですが実際のものとは違ったみえ方をしているのだと云います。・・・・次は③で

私が占いの仕事をとうして、今までに少なくとも3~4人の人達に、神がいるのなら見せてほしい、又は見たい等と言われたことがある。

当然である。私がもしスピリチュアルなことに興味を抱かなければ、

真っ先にこの様な質問をしたかも知れない。

しかし、面と向かってこの様な質問は誰においてもしずらいことでもある。しかし乍らこの問題は、神を論じる上で避けては通れないことでもある。

この様な例えはどうだろう、ある人が私は義務教育を9年間受けたが、その教育の他に、微分,積分と云ったものがあるらしいが、私にも分かるように説明してほしい。と云ったとする。

すると分かっている人であれば、微分、積分はむつかしいとは思いますが、それなりの勉強を積めばきっとわかると思います。

とこの様にご説明すのではないだろうか。

神に関してもまったく同じようなことが云えるのではないだろうか。

人が人に見せるのではなく、自分自身で会うなり感じなければ、本当のところは分からないと思うのです。・・・・次は②で

宇宙にはまぎれもない法則がある。それはなんと私達全ての人が決めたことでもあるのです。

❶人は創造した通りになる。

宇宙は巨大なコピー機であり、その人の考えたり思ったりしたことを、コピー機で刷るがごとく忠実に現実化する。


❷人は感情の部分が現実化され易い。

その人の思考(顕在意識)をささえている思考の部分、いわゆる感情の部分(潜在意識)の事柄が、自分にとって良いか悪いかなど関係なく現実化されやすい。


❸善因善果、悪因悪果。

仏教の教えでもある、善い行いをすれば善いことが起こり、悪い行いをすると悪いことが起こる。


❹世の中は常に移ろい一定ではない。

これも仏教で云うところの諸行無常(世の中は常に移ろい、じっと一定ではなく、動いている)です。

以上のことは私達全ての人が決めたことであり、たとえその人が忘れたとしても、この様に動いているのです。

私には全くそのつもりは無く、昔の話ですでに時効であると思うが、

家を引越した時、近所に自転車屋さんがあった。

ご近所のよしみと云ったことでもあるし、妻と子供の自転車をその店で買った。それが、そもそもの間違いであったのかも知れない。

その後自分の自転車が壊れたので、自分は安いので我慢をするつもりでディスカウントショップで買った。

当然その自転車に乗って走るのであるが、災難は忘れたころにやって来るとは本当である。

何気なく自転車屋の前をその自転車に乗って通っていた。すると何かを察知したのか、急に飛び出してきた自転車屋のご主人とハチ合わせしてしまった。

互いにビックリしたのは当然のことではあるのだが、私の乗っていた自転車を見た、ご主人の顔は何ともいえなく曇った。

その話を理容店のご主人にお話ししたところ、うちでも最近ディスカウント理容ができて、浮気する人が多くなったと云われた。

人により意味付けは様々ではあるが、理容店のご主人に言わせると、私は浮気をしたらしい・・・・・

著書「熔ける」の中で「丁半バクチなどは(揺らぎの法則)で出来ており偶然が支配する、結果は神のみぞ知る」と云ったくだりがあるが、ここで氏の考えは大きく的を外している。

この世に偶然は無く、揺らいでいるのはギャンブルをしている人達の複雑に絡み合う心の奥底の揺らぎに他ならず、揺らぎの法則を作り出しているのは、実はご自分達であると思われる。そして神は次に丁か半かは実のところ分からない(予測や予想は出来ない)。

しかし神であれば丁でも半でも自在に出すことが出来るばかりか、わずか数千円もあれば、カジノ全ての金を手にすることだって簡単に出来るはずである。

勝負に対した時、当たり前であるが弱い方が必ず負ける。負けた時、なぜ負けたのか?どこが悪かったのか等々負けた原因を的確に判断できなければ強くはならない。

少しでも間違った意味合いを自分の中に持てば、その人は全てはそのせいだと思い込みなかなか強くはならない。私達人間のスピリチュアルな部分はまだまだ未熟である。

あと200年いや100年文明が進めばギャンブルは無くなっているかも知れない、それはギャンブルの全てにおいて勝利してしまうからである。

そのような面白くも何ともない世の中であるよりも、ああでもない、こうでもないと一喜一憂してギャンブルをするのも悪くはないと思う。

「私は不遜にも人間界から天界の領域に土足で踏み込もうとした」と書いているが、決して不遜なことではなくギャンブルをする人もしないひとも皆でもって天界に踏み込んでいきましょう。

エドガーケイシー曰く(あなたの試練、トラブル、そして失望さえも神の道をより良く知るための踏み石として数えあげよ)と言っております。I氏の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。「熔ける」は私は大変面白く拝読させていただきました。是非皆様方も・・・・