自分にとって必要な人


自分にとって必要で無い人



人に対して


私ごときが必要の有無を


判断するのは



おこがましいし


自分が汚い人間になったような



身体の中に


ニヤニヤ笑うヘドロを飼っているかのような


そんな錯覚に陥る。




けど 私も誰かも


コーヒーより紅茶にしようとか


いつでも何かを選択している訳で



紅茶を選んでしまったから


コーヒーは悲しんでいるかな


とまではいちいち考えてなくて


それはモノだからかも知れないけど


誰もがいつも何かを選択している。




改札口でモタついてる人を


すぐ後ろの人がイラッとするのや


店員さんに何故か横暴なお客さんを見て


ああいうのは嫌だな


とか


ああはなりたくないな


とか。



バスの運転手さんに「ありがとう」と声をかけるとか


散歩中に知らない人同士すれ違う時挨拶するとか


ああいうのは良いな


とか


ああいう人になりたいな


とか。



誰もがいつも誰かを心の中で


評価している訳で



人を判断するのは当たり前のはずなのに



でもやっぱり私はそれが苦手だ。



『私ごときが』と拒否反応を起こす。