はじめまして、国際社会学科の翠(みどり)です!

今回、大隈講堂という大きな場所で上映会を行えたこと、
多くの方々に活動を知っていただけたことをとても嬉しく思っています黄色い花

関心を持って来てくださった方はもちろん、アンケートで放射能の影響について“特に気にしていない”と回答された方々が今回の上映会に来てくださったことは大変価値のあることだと思いました。


この上映以前より、私自身ずっと思っていたこと、上映後に考えたことも含めて、述べさせていただきます。

震災そして原発事故のあと、人々の意識は見えない恐怖である放射能に敏感に反応し、人によっては如何に放射線から身を守るかに労したことだと思います。
しかし、原発事故後、月日は流れて行き、被災地から250キロ離れた私の周辺では、原発事故前と今現在では、街の照明が減った他は何ら変わりなく動いている気がしてなりません。

先日の報道で、福島第一原子力発電所1号機原子炉建屋室のカバー取付け工事が完了し、放射性物質の飛散を防ぐことに大きく貢献する…1号機以外の建屋が崩壊した原子炉も来年の夏頃には順次、カバーの設置を行うというような内容があり、現実を突きつけられた思いがしました。

水素爆発後、計り知れない単位の放射性物質が飛散した事実は過去のものではなく、進行形です。今も放出され続ける放射性物質が、私たちの未来に影を落とすことに恐怖を感じるのはごく僅かな人だけでしょうか?
口にする食品などを前に、思いがけない雨に、不安を感じている人もいると思います。

第2次世界大戦後、復興して経済成長を遂げたばかりでなく、日本の生産するものは、車や機械製品だけでなく、農作物や食料品の安全性は海外からも評価が高く、近年、ジャパンブランドが、海外の市場で人気を呼んでいて、誇らしく感じていました。けれども今、私は事故後の日本の生産物に対して少し喪失感を感じています。

日本人の気質なのか、仕方ないとお仕着せの政府の指示に従い、不安を感じない振りをして生きて行くことになりそうな気配ですが、これから20年後、30年後に後悔しないでしょうか?
原発事故地から近くに住む幼い子どもたちは無事、健康に暮らしていけるのか誰も断言できないし、保障もできない現実はそこにはあると思います。

私自身の考えには思い込みや独りよがりもあるかもしれないと不安になります。
だからこそ、KARAを通して原発の現実を知りたいし、原発に関係する正しい知識を持ちたいと強く思います。