カリバタ英雄墓地というのは、ジャカルタの中心から少し南の郊外にある、インドネシア独立戦争で戦い殉職した英雄の眠る墓地です。日本で言えば靖国神社のようなところでしょうか。カリバタ英雄墓地に日本人が眠っていることを知ったのは、1991年に平成の天皇皇后がインドネシア訪問の際にこの墓地に参拝したのがきっかけで、私がジャカルタに駐在してから少し経ってからだったと思います。それまではインドネシアの英雄墓地に日本人が眠っていることは知りませんでしたし、想像すらしていませんでした。
2023年6月令和の天皇皇后が、最初の東南アジアの国としてインドネシアを訪問した際も、この英雄墓地を参拝しさらにそこに眠る日本人の遺族と面会しました。外国の要人が訪問国のこうした戦争犠牲者が眠る墓地を参拝するのは、その国との友好儀礼のひとつとしてよくあることです。ただこのカリバタ英雄墓地への参拝は、オランダとの独立戦争を戦って犠牲となった英雄が眠るところで、そこに残留日本軍兵士でインドネシア独立軍と一緒に戦って英雄とされた日本人が眠っている、という点では他とはちょっと違った意味合いがあり、平成と令和の天皇皇后が参拝する理由がそこにあると思えます。
太平洋戦争で日本は無条件降伏し、占領地にいた日本軍は武装解除され、兵隊は拘束されて日本へ強制送還されました。ただ東南アジア各地には日本に帰ることを拒み、現地に残留した兵士たちが少なからずいたのです。日本に帰るのを選ばなかった理由はそれぞれにいろいろありました。映画「ビルマの竪琴」の主人公のように、犠牲となった戦友たちを弔うために残った人や、日本が廃墟となって家族もいなくなり帰るところがなくなった人、戦後の軍事裁判で戦犯となるのを恐れた人、既に現地の人と家庭を持っていた人、そしてインドネシアのように独立運動に身を捧げようとした人などなど。
インドネシアに残って独立義勇軍に加わった人たちは、戦後しばらく日本からは帰国の指示に従わなかった脱走兵とされ日本に帰ることもままならなくなり、一方インドネシアでは国籍のない外国人扱いとなって身分をはっきりすることができずに大変苦労されました。そういうこともあって今回令和の天皇皇后は、苦労された残留日本人たちをねぎらおうとその子孫の方々と会われたのですが、当事者たちは既にいなくなってました。
インドネシアは1945年8月17日に初代スカルノ大統領が、それまでインドネシアを占領していた日本からの独立宣言しましたが、かつての宗主国であるオランダがインドネシアを再植民地化しようとしたのに対し、インドネシアは独立義勇軍を編成してそれに対抗し、1945年から49年まで戦ってインドネシアは名実ともに独立を果たすことができました。