ある雑誌のコラムで某女性タレントがまだ小学生だったころ、1970年の大阪万博へ行ったときに、人気パビリオンの行列に並んでいたら、頭にターバンを巻いた人に足を踏まれて、何かわからない言葉で謝られたことがあったそうです。愉快なのは次の日に学校で、友だちにパビリオンで何を見たかでなくて、インド人に会ったことを自慢したというのです。当時の日本では、子どもが外国人に出会うことは珍しかったのです。

 

今でこそ日本で外国人がいることは珍しくなく、京都のような観光地ではいつも外国人観光客が多く見られます。また東京の大久保界隈を歩いていると、ここは何処かと一瞬疑いたくなるほど、色々な外国語、特にアジアの言語が耳に飛び込んできます。

 

冒頭のコラムを読んで、そういえば私もインドネシアで逆の経験をしたなぁ、と想い出したことがあります。西ジャワガムラングループのインドネシアどさ回りで、バンドンから東へ車で5時間くらい行ったところにあるスメダンの、さらに郊外の街のフェスティバルに帯同して出演したときことです。

 

夜に行われる演奏のためのリハーサルをしていて会場の横でひと休みしていたら、他の催しに出るために民族衣装を着て控えていた地元の小中学生の女の子たちに取り囲まれて、一緒に写真を撮って構わないかと言われ、まるで売れっ子タレントにでもなった気分で撮った写真がこれです。

 

 

ジャカルタなどの大都会ではこういうことはなくなりましたが、地方へ行くと子どもに限らず大人でも一緒に写真を撮ってと言われることがあります。これもきっと冒頭のコラムのタレントのように、次の日に学校などで自慢話のタネにするのでしょう。

 

 

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