伊東深水(1898-1972)と言ってピンとくる方は、お年を召した方か絵が好きな方でしょうか。タレントの朝丘雪路のお父さんだ、と言えばわかる方もいるかもしれません。日本画家で特に美人画で有名な人で、私は絵画鑑賞が好きなので美人画家として名前は知っていました。

 

そんな深水が昔のインドネシア風景のスケッチを残していたのを知ったのは、2017年夏に東京のある美術館で開催された「南方より、伊東深水から」という企画展覧会でした。そのポスターに描かれた古きバンドゥンの、なんとものどかな街並みのスケッチ画に目が釘付けになったのです。

 

 

 

どうして美人画の深水がバンドゥンのスケッチを描いたのか、興味津々でその展覧会へ行ってみていくつかわかったことがあります。まず深水がインドネシアへ行った目的は、太平洋戦争中に従軍画家のひとりとして、戦意高揚のために戦争画を描くためでした。

 

戦争画というと、まず藤田嗣治の描いた凄惨な戦場の様子を描いたものを連想します。戦後藤田は戦争協力者として批判を受け傷つき、それが日本を去りフランスに帰化するきっかけになります。

 

深水のインドネシアスケッチを観ていると、これが従軍画家として戦時中に描いたものかと疑うほど、古きインドネシアの街並みやそこに生活する人々を手に取るように描いていて、その臨場感たっぷりの深水の画力は、単に美人画だけではないことを立証していました。私はその絵に、深水のインドネシアへの愛情すら感じたのです。

 

後日わかったことですが、インドネシアの初代大統領スカルノが日本を訪問した際、絵が好きだったスカルノが、首相官邸にあった深水の美人画を観てたいそう気に入りました。側にいた池田首相がそのことを深水に話したら、深水はその絵をスカルノに進呈することと、インドネシアのことが懐かしいと話し、それを池田から伝え聞いたスカルノは喜んで、深水をインドネシアへ招待したのです。

 

インドネシアに招待された深水はまたスケッチを残しました。またジャカルタで深水の展覧会を開催し、その収益金をインドネシアの恵まれない子供たちのために寄付したということです。

 

 


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