娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

娘が自殺…母への恨みを残して・わが子を死に追いやった悔恨の日々

19歳のひとり娘が自死・残された母のこの世の地獄・生きる希望を求めて・それとも後を追う?

眩暈の薬が効いてきたのか、4日目の夜になりかなり普通になった。

昼間買い物にも出られたが、やっぱり夕方には疲労感があり軽い車酔いのよう…。

 

パソコンは大丈夫だけれどスマホを長く見るのは良くない気がする。

 

楽器を弾くのはまだ無理かも…

youtubeで聴くのみ。

youtube のトップに紹介されるのは、以前見たものの「関連動画」らしく、懐かしいものも多い。

 

娘が亡くなったあの年、2018年の10月1日…数日前だったかその日だったか注文していた楽譜が届いたが、ずっと開く気がしなかった。本当に楽しみにしていたグラズノフ編曲のグリンカ「ワルツファンタジー」…「激しく元気いい曲」の楽譜はいくつかの曲集になっていた。

ラフマニノフのヴォカリーズは、歌詞のない歌で、ああ…という母音で歌われる。人間の声を楽器として演奏する私の好みな形態。そしてかなり有名な曲。初めて聴いて惚れてしまったのは中学生か高校の頃。

悲劇的で美しくて、夢中になって聴いていた。

こういうロマンチックな曲が好みだったもので、ラフマニノフの甘ったるい濃厚チョコレートケーキ的なものはすべて中毒のように夢中になった。当時の私には「ロマン派・悲劇的」音楽は「真剣で現実」のように思えた。家庭的にいろいろあったので…。心酔し、崇拝した。私の思う「悲劇」はこの程度のものだった。劇のように甘い世界。

 

娘が亡くなり、それまでは死は悲劇でも現実でもなかった、自分の無知を切り刻まれるような恐怖と痛みで思い知らされた。私が思っていた美しい悲劇的音楽は、嘘のようにチープで薄っぺらくもはや聴く気も起きないほど色褪せた。まるで小説のように「他人事の悲劇」に過ぎない音楽だと感じた。偽善的だと。

それ以降、何年間か過去に夢中になった曲から離れた。

 

数年経ち、昨年あたりからだろうか…昔々に恋した曲を棚の隅っこの埃を被ったあたりから少しずつ引っ張り出してみた。懐かしく辿ってみる。この楽譜はなんで買ったのだろうか…と。記憶を辿ってみる。50年も昔のものもある。数百冊あるだろう楽譜は入手理由はいろいろで、銀座のヤマハに依頼して海外輸入してもらったものも多い。

 

娘を育てている間、家庭を持つと自分のことは後回しになり、楽譜も10代、20代の頃に夢中で弾いていたものが忘れられ埋もれてしまっていた。アンティークドールの商売に夢中になり幼少期の娘にもっと寄り添ってあげなかったことも、死後随分後悔したが…。

 

高齢者の枠に入れられ、身体の不調が続くと人生も「古い時代のアルバム」のように見返してしまう。

楽譜も娘も何もかもがセピア色の写真のように感じる。もうすぐ人生が終わる、振り返ることができるのは今のうちだ、と。

 

娘を亡くすという人生最大の悲劇を経験し、自分の知っていた美しい悲劇的な音楽が色褪せてしまった、とがっかりしていたら、8年という時間が私にもう一度思い出させてくれた気がする。元々の自分…娘失って残った自分自身…若い頃の自分を感じる。

 

ラフマニノフを好きだと思った10代の懐かしい思い出…ヴォカリーズのグラズノフによるピアノ編曲版

 

この悲しみ、悲劇的な美しさは決して薄っぺらなものなんかではない、昔の私が心酔したそのままだ、そう思えるように私は戻った。