2009年1月20日夜に逮捕された私は、1日おいた22日に、裁判所及び検察庁へ身柄を送られることになりました。いわゆる送検と呼ばれます。
当日、朝食を終えると、刑事が呼びに来て、
「17番!送検!」
と呼びます。この日は、この暑から4名程検察に送られることになっていました。房を出されて手錠を嵌められた上、腰紐で4名が連結されます。そして、護送車ですぐ近くの検察庁に送られます。
この時情けなかったのが、ヨレヨレのジャージを着て、スリッパ履きで、腰紐連結されムカデのように連れて行かれたことです。移動中は外の景色も見える為、情けなくなり、頬に一雫の涙が溢れ落ちました。
検察庁の建物は複合施設です。まず、裏口の地下までで車を付け、そこで降りて、上の階にいる担当検事に呼ばれるまで、下の階の鉄格子の中で待機するのです。ここには、よその警察署から来る人と合わさるので、かなり混んでいますし、ヤクザみたいな人が沢山いました。
ひたすら待ちます。時間は時計がないので分かりません。そして、大体2時間待ったところで弁当が出てきました。こんな所で食べるのかいなと思いながら、3分の1位食べ、再び待つこと約1時間、ようやく呼ばれました。裏のエレベーターで警察官に挟まれ、上の階に上がって行きます。
ようやく検事調べの時間になりました。担当の検事は、後から知ることになるのですが、大きな事件を担当する若手の売り出し中の検事だったのです。冒頭から、映像を全て録画されました。1時間程事件の話をして、調書を取られ、また聞かせてもらうからと言うことで終了です。思えば、この時疲労感が酷く、上手く話せなかったことが調書になったのは言うまでもありません。
この検事調べ、検事の作文力が発揮される場所です。検事が話を聞きながら、上手いこと裁判所に訴えかける文章を作り読み上げます。読み上げた物は、検察書記官が入力して行くのです。そして、被疑者である私に読み聞かせ、指印を押させます。これは、そのまんま裁判の証拠となります。後から、発言を撤回しようが、遅いんであると、後から身に染みて感じることになるのです。
結局、私は勾留されている20日間で、検事調べを4回やり、大学病院にて半日掛けての精神鑑定をやり、2月10日に起訴されることになります。(起訴=裁判、起訴されたら日本の場合、有罪率99.99%)
なお、私の場合、心療内科へ通院していたことが問題になり精神鑑定が行われました。これは、警察署から県庁所在地にある大きな大学病院へ連れて行かれて、教授が行うのです。結果ですが、統合失調症ではなく、統合失調型障害であり、責任能力はあると判定が下りました。
ここで、弁護士の話しをしたいと思います。初めに送検された時に、
「岩本、弁護士はどうするのか?」
と尋ねられました。その前に取調べ担当の警察官より
「岩本、多少のお金、概ね50万円位あれば、私選(自分でお金を払って雇うこと)の方が、よく動いてくれて、早く出れるぞ」
と聞いておりましたので、迷うことなく、私は、
「私選弁護人でお願いします」
と答えました。お金がなければ、国選弁護人が付くのですが、この時は、国選弁護人なんか頼りにならないと思っていました。
そして、翌23日、弁護士会から、当番弁護士のO弁護士が警察署に面会に来ました。事件の概要を話すと、
「大丈夫だと思うよ。」
返答があり、時間がないものでその場で契約することとしました。キャッシュカードを宅下げして、銀行のATMで弁護士にお金を下ろして来てもらい着手金52万2500円を支払いました。ところが、この選択は大きな失敗となるのですが、この時は知るよしもなかったのです。
なんか、変だなあと気が付いたのは、4回目位の面会からですが、このO弁護士、私が身動き出来ないのに、手続き上のことをお願いしても、露骨にイヤな顔をするのです。家の、電気・ガス・水道・電話等の連絡は、取調べの刑事さんが特別に連絡してくれた位ですから。
それに、散乱した台所や郵便物が気になって、一度自宅を見て来て下さいと依頼すると、車の免許も持ってないことが判明。しかも、交通費と昼食代を別途頂戴すると行ったのです。それでも、誰も頼れない私はお願いしました。それでも、行ってくれたのは、拘置所移送後の6月16日ですよ。その時の言葉は、
「結構、いい所だね」
これだけでした。O弁護士は、電車とタクシーで行ったようですが、家の中までは見ていません。
もう一件は、私が
「どうしても、家を片付けたいから、保釈申請してもらえないか」
頼んだのですが、また、露骨にイヤな顔をして、
「そんなお金があるんですか?」
とO弁護士は言いました。続けて
「中におった方が反省してると思われるから」
と言い、動いてもくれませんでした。
もう、信頼関係もひったくれもありません。不信感が募るだけ募りました。今さら解任したところで、着手金は戻って来ません。こんなことなら、お金のかからない国選弁護人で良かったなと悔やむのです。
次に警察署へ勾留中に面会に来てくれた人の話です。
母の妹夫婦は、27日の午後来ました。そして、母の葬儀を済ませた話しをして、一方的に私を責め立て、もう二度と関わりたくないと言い残して帰りました。僅か10分程の話しでした。この時差し入れしてくれたコピーを見ると、母の葬儀を約20万円位で済ませ、前年亡くなった祖母の貯金で丸々支払ったと明細が入っていました。この2人に顔を合わせたのは、これが最後になりました。後に絶縁状を送って来ます。
次に、2月4日に、勤めていた会社の管理課部長が見えて、自己都合退職の書類に、すぐサインするように言われましたが、私は拒否しました。解雇扱いにして頂き、雇用保険の書類一式を念の為にお願いしたのでした。(失業保険の申請の時効は1年間)
それから、来たのが、同じ会社で働いていた友人Sさんです。彼は音楽好きでまじめで、一生友達付き合いが出来る人だと思っていました。面会に来た時、会社の同僚6人で集めたお金を差し入れしてくれて、うれしかったです。何かあったら何でも言ってねと言いその場を去りました。その後、お礼に手紙を出すと、Sさんの奥さんが、ブチ切れ、今後一切かかわらないでくれと、弁護士に連絡が入りました。私はひたすら獄中で嗚咽しました。
それ以外に面会に来た人は、電気・ガス・水道・電話会社の職員で、請求書を持って来ただけです。私は、出てから払うからと説明しました。
20日後、【実母に対する傷害致死容疑】で起訴されました。
この頃私は、警察署留置場にて、よく六法全書を借りて、量刑について調べていました。殺人罪だと、懲役5年以上、無期、死刑。傷害致死罪だと、懲役3年以上の有期刑。つまり、執行猶予が付いて外へ出れるぬは、懲役3年以下の量刑でないとダメなことが分かりました。O弁護士に
「執行猶予は付きますか?」
と聞いても、
「付くかも知れんし、分からん」
と答えるだけで、不安感は募るばかりでした。
通常、起訴されたら調べがないので、順番に拘置所に移送されます。私の場合、なぜか据え置かれずーっと警察署留置場にいたので、主と呼ばれるようになるのです。
ちなみに、同じ部屋の相棒の二人目は、スリランカ人A君で、窃盗グループの一味でした。部屋では、ローマ字を教えてあげたりしました。このA君は胆石でよく苦しんでいた為、私は度々看守を呼んだりして助けたのです。まさかこの後に、移送先の拘置所の風呂場の中で再会を果たすとは、夢にも思いませんでした。
続く〜