画質が時代を物語る。

これは多分小6の私と、グラーフ。

名古屋の楽器屋さんの二階に公開レッスンを聴きに行き、終わった後彼の著書である「チェックアップ」にサインをしてもらい、ガラケーで写真を撮ったのはわりと鮮明に思い出せる。

こういうイベントに行くように言ってくれていた地元の先生と、ちゃんと連れて行ってくれていた親には感謝しかないですね。


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さて、タイトルにもある〈若気の至り〉についての話。

なんでこんなブログを書いているかというとそう、連載の記事がうまく書けなくて憂さ晴らしをするためです(記事書きなさいよ)

どうして文章を書くストレスは文章を書くことでしか癒されないのか…不思議…。


しょっぱなから脱線してしまいましたが、誰しも10代の頃の恥ずかし想い出というのはあると思います。


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私も例に漏れずクソ生意気だった自覚があり、未だにシャワーを浴びていると当時のことがフラッシュバックして、声にならない叫びをお湯と共に流して正気を保っています。記憶力が良いってなんかあんまり健康じゃない気が…とか思いながら、手放すこともできないので今日もまた記憶を蓄積していく。


何であんなに考えが浅くて生意気なのかと考えると、答えはチョーシンプルで、偏に知らないことが多いから。これは自分だけじゃなくてみんな同じはず。

知らないことが多いから強気でいられる。

社会にも親にも守られている事をしらず、自分1人で生きているかのような態度だからクソ生意気なのです。


具体的に、私がどんなクソガキだったかという例を挙げると、コンクールに行ったら自分が1番うまいと思っていたし、コンサートに行っても誰のどの辺が上手いのかよくわからず寝ていたり、いずれ俺は世界に名を轟かせるフルーティストになるんだ!というような厨二病を発症していたりという感じ。

はっっっず!ゾワゾワ


まあ、これは高校生ぐらいで無事にへし折られて大人の階段を登るわけですが

結局何も知らないからこうだったわけで、でも、たかだか十数年生きただけじゃ知ることにも限度がああるんですよね。だから仕方ないのかもしれない。


個人差はもちろんあるし、残念ながら大人になっても本当の意味では大人になれなかった人っていうのもいるからアレなんですけど…。


私は親に「幼稚園から反抗期、現在進行形」と言われているぐらい謎に自我が芽生えるのが早くて、さらに言う事は絶対聞きたくないという厄介な天邪鬼生物なのですが、今となってやっと「自分より長く生きてる人はやはり経験値が高い」と思えるようになってきました。遅すぎるw


だからある程度バカでクソ生意気な10代というのはみんな通る道だし、何も反応がない生気薄めなタイプよりはエネルギーに溢れていて将来が楽しみではあるんですが…



SNSのフォロワー数が社会的な影響力を持つようになった現代ではその「クソ生意気」な状態の人の声が拡大されて、ちゃんと大人になっている人をフルボッコにしてしまうケースが増えてきたように思います。


こうなってくると、どこまでが子供で、どこからが大人なのかという線引きが難しくなってくる。


成人年齢が18歳に引き下げられるというのもタイムリーな話題ですよね。


発言が社会的に意味を持ち、実際にお金も稼いでいたりする18歳未満の人は

法律的には子供だけど、じゃあその人が大人をボッコボコにしてもいいのか?

その言葉は誰が責任を持つの?

とか考えてたら知恵熱出そうになりました(笑)


意見をするということは、やはり責任が伴うことです。

言うだけ言って「でも私は子供だから(ベロベロバ〜)」と逃げるのはやっぱりおかしいじゃないですか…。


なかなか難しい問題だ。


総SNS社会。気軽に何でも言えるけど、匿名だからと言って軽い気持ちで文句言ってたら訴えられたりする時代。


言うのは簡単だけど、その先まで責任が持てるのか?

攻撃したら攻撃し返される可能性が出てくるというのを考えられているのか…?


自分も肝に銘じておかなければと思います。


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取り止めのない内容になってしまいましたが、ちょっとスッキリしたので執筆頑張ります昇天