夢はより大きく抱くほどもっと美しく進化する
①誰も持っていない自分だけのカラーを作りたい
時々'大人になりたくない'と思う。 子供に戻りたかったり甘えたいという意味ではない。
自分だけの音楽とカッコいいパフォーマンスを作っていきたくて一時も本来の場所に留まらない、躍動感あふれる人でいたいという意味だ。
BIGBANGのメンバーとしてベストを尽くして、また、自分を満たすために着実に努力していくだろう。
今まで一般的に見られなかった、大衆とリスナー(音楽的造詣が深い聴衆ら)たちを満足させる、そんなミュージシャンになりたい。
僕のやり方で僕が感じる事をステージでもっと強く表現する欲は時間が過ぎるほどますます強くなっている。
だが、たびたび大衆が'音楽をやる人'に対する期待値と別名'芸能人'に対する期待値が入り乱れる時は心が落ち着かなくなる。
歌手にはステージが、役者にはスクリーンが最高の公演会場だ。
自分の頭の中で描いたイメージ通り'美しくて完ぺきに'表現することが彼らの役割だ。
だから時々僕が予想したり思った事が出来ない状況で何かすべきな時は、どうするべきかぎこちなくて当惑する。
軽いアイドルのように見えたり、何かに引かれて自分自身を失ってしまうのは本当に望んでいない。
オム・ジョンファ先輩が(DISCO)のラップ歌詞に僕のこんな思いを入れた。
"惹かれて行ってみたら自分を失う方法、順調な人生がどこにあるのか..."
2008年にはコミ姉の(ごめんなさい)でフィーチャリングしてミュージックビデオにも出演した。
毎回さまざまな姿、新しい姿を見せようと努力するのが、それが'芸能人であり歌手'として僕の務めだと信じているからだ。
そういうわけで、数年の間に発表された僕のラップを聞いてみると少しずつ音色が違うと感じるはずだ。
僕にも'声を作っていく過程'があったし、今でもその過程中だ。
'TOP'といえば思い出す声があるようにするものの、それぞれ異なる印象を与えたいと思う。
ある時は力を抜いてある時はもっと過度に力を集中して、新曲が出てくるごとに曲に合う感じを探すためにたくさん悩んでいる。
②'TOP、曲作業をたくさんやれ'
今まで発表した僕のソロ曲(Big boy)や(何でもないように),そしてビッグバンのボサノバ系の曲(優しい人)は僕が作曲に参加した音楽だ。
今までラップを多く作ってきたが、曲を作り始めたことはなかった。
今までは特定の分野に限定して音楽を悩んだとすれば、最近では10代や20代の若い世代だけでなくもう一歩出て3.40代が聞いても洗練されて感じがあるフュージョン スタイルの新鮮な音楽を作ってみたい。
そのせいか最近ではクラシックみたいな多様なジャンルの音楽を選ばないで聞くほうだ。
親しい友達の勧誘でフュージョン スタイルのジャズ音楽をするテテ(Tété)というフランスのアーティストの音楽も興味深く接している。
様々なジャンルの様々な分野のアルバムを触れながら、僕が今まで経験できなかった"音楽を通じた数多くの感情表現方法'を学ぶことになった。
KUSH兄との共同作業を通じて(優しい人)を作って、その曲を聞いて下さったヤン代表から本当に大きなプレゼントをもらった。
'MIKO'という名前の楽器だ。 それもTimberlandという有名プロデューサーの名前から取ったスペシャル エディションで、直筆サインと共に彼が作ったサウンドが内蔵されている一種のエレクトリック シンセサイザーだ。
当時ほとんど韓国に入ってきたこの音楽装備にはコンピュータも内蔵されていて数万種類のシンセサイザー電子音の最高峰がみな含まれている。
モニターもあって鍵盤もあってそれ一つだけで曲を作ることができるほどのものだ。
その楽器をプレゼントしてくれたヤン代表は僕により大きな挑戦課題を設定された。
"TOP、お前は曲作業をもっとたくさんしたら良いだろう。 この楽器にお前の想像力を入れて多様な曲を作ってみなさい。"
ヤン代表の勧めも勧めだが、それを受けて僕自身もっと何か強烈な欲が出てきた。
当時にも色々な悩みで思いがたくさんあったけど、その楽器をもらったらすぐ前後の見境なく 本当に三日間一睡もしないでそればかりを研究した。
その後も20日ほど部屋の外にも出て行かないでその楽器だけ触った。
今も時々時間を割いて、その楽器と格闘している。
新しい楽しさにすっかりハマってしまった。
他のメンバーたち全員そうだが、僕は人々が考えているTOPのイメージを飛び越えたい。
無限の可能性を見せてあげたい。
そんな思いでこの前、僕自身に呪文をかける文章一つをノートに書いた。
"変身ロボットになろう!"
'僕'という人は決まっていない、僕が作っていくことが'僕'だと思う
だから僕をアップグレードさせて変身させるロボットになりたい。
③ラップするTOP,演技するTOP
2007年7月、ラッパーRed rocの(Hello)ミュージックビデオに俳優として出演することになった。
実際にはそれまでミュージックビデオに顔を映ったこと以外は演技活動をしたことがなかった。
単独主演という圧迫感もなくはなかったけれど、新しい試みに興奮した。
愛や裏切りのような激しい感情を全身で表現しなければならなかったし、僕が直接頭を断髪する場面もあった。
俳優は役を引き受けるたびに、まるで他の人の人生を生きるような喜びを感じるというが、僕も初めてそのような感じを受けた。
歌手としての僕の姿だけでなく演技する僕の姿を見て達成感のようなものが感じられたし、その欲は時間が過ぎるほどもっと強くなった。
一つの分野に閉じ込められる必要なく色々な分野に上手になりたいという欲だ。
僕の人生の最終目標のプロデューサーになる前まで、できるだけ多様な分野をたくさん経験してみたい。
ただいい加減にするならはじめっから始めないだろう。
ドラマに出演したいという内心をほのめかしたら、YGで演技のレッスンを受けさせてくださった。
二回程度授業を受けた頃だったかな?
演技の先生は僕に"正しい演技をするなら発音から変えなければならない"とアドバイスしてくださった。
もちろん一理あるお言葉だが、僕の考えは少し違った。
'演技学院(塾)で習ったような'正しい口調と個性がない姿になりたくはなかったからだ。
だから慎重に演技のレッスンを辞退した。
(アイアムサム)というドラマで'学校の番長'でキャスティングされて、そのカラーを生かすために多方面で努力を傾けた。
表情と姿勢を研究して感情移入をするために台本を読み続けた。
だが、実際に撮影に入ると、色々な苦悩が多かった。
そのたびに(アイアムサム)の演出を引き受けたキムジョンギュ監督が良いガイドになって下さった。
生まれつき性格的に口数が多い方ではないので、初めは同じ年頃の俳優らのように気さくに近付いて話しかけることもできなかった。
だが、かえってキム監督はそんな姿を見て僕の本心を見抜いたようだ。
表現が出来ないことであって、心がないわけではないということを知ってくださったようだ。
監督は僕をBIGBANGのTOPでなく、人間チェ・スンヒョンで見てくださった。
"このドラマを通じて君を素敵な俳優にしてあげたい"という話をたくさんして下さったし、チェ·スンヒョンというキャラクターが役割によく溶け出るように熱心に指導してくれた。
だからそれまで僕が見つけれなかった姿がたくさん出てきた。
僕自身も知らなかった長所を監督は一つ一つ見抜いて下さった。
"君の長所はこれだ。 これからはそれをよく組み合わせて君自身を育てて作っていくのは君の役割だ"
キム監督は僕の役者入門の過程の良い支援者になって下さった。
幸いにも"歌手が演技をする"という先入観ではなく、僕の演技をそのまま好きになってくださった方々が多くて忘れられない記憶の一つとなった。
キム監督は僕にこんな話もしてくれた。
"色が濃い画用紙は個性が強く、すぐに人々の目に留まるが、他の色を受け入れることができない。
君が歌手としてあるいは役者として成長しようとするなら、もっと大きい人になれ。
もっと大きい人になろうとするなら他の色を吸収し、調和させる方法を知るんだ"
監督の言葉を聞いた後、僕は毎朝、昨日の未練と悲しみと後悔をきれいに消去する練習をする。
そして純白の白い画用紙みたいな気持ちでまた一日を始めようと努力する。
それでこそ新しい何かを吸収できるから。
④今この瞬間でも僕はどんどん上手くなりたい
僕は一見かなり強いイメージであるようだが、実際は考えも多くて悩みも多くて少し弱いスタイルだ。
'僕は何がちゃんと出来るのか','僕がちゃんとしている事が正しいのか'という思いに一度陥ればかなり長くその悩みに浸っている方だ。
最近ではなるべくそんな考えをする時間を減らそうと努力している。
大切な若い時期に1,2ヶ月もそんな考えに陥っているのは贅沢だと結論を下したからだ。
自分自身を信じてみるのが先だ。
'僕はこんな人間だ'と何かを決めておかない方が良い。
どこにも固定される "自分"というものはない。
僕はひたすら自分が作られるまま作られる。
人間が持つ欲の中にベストではないのもあるが、真の欲は'自分が作っていきたいまま自分を作っていくこと'だと思う。
幼かった頃、悪い事もたくさん経験してみたが、そんな経験のおかげでむしろ思い切って難関にぶつかる事が出来る'負けん気'が生まれた
何より'自分はとても不足している'という分別がない悩みは禁物だ。
ただ自身を冷静に振り返って足りないものがあれば直していくようにもっと努力すれば良い。
僕には一種の偏狭性がある。
冷蔵庫を開けて、そこに牛乳や豆乳のようなものな一方向に向かってラベルが見えるようにきれいに整列されているとなぜか分からない喜びを感じる。
僕の趣味はフィギュアを集めることだが、プラスチックで作られた "完璧な"製品が揃って置かれているのを見ると気分が良くなる。
どうしても芸術分野の仕事をする人々は、そのような傾向が少しずつ生じるようだ。
一日が大変で時々寂しく感じられても、僕の部屋に帰ってきて整頓されたフィギュアを見ていれば安心する。
そしてそれらのように僕を再度整えて気を引き締める。
先日、母と長い時間話をする中で、小説家だった母方の祖父の話が出てきた。
母は、 "お前は祖父のような点が多いようだ"と言ってくれた。
母方の祖父の名前は'ソ・クンベ'僕のように口数が少なくて長く考えてから話をされる方だ。
(港)等のさまざまな小説を書いて映画(八道山川)の脚本を書かれるなど内面の世界を文章表現していくこと以外、外に本音をうまく出さない性格が僕と似ているようだ。
世界と妥協したり、社会に順応することにあまり関心がなかった母方の祖父だが、家族を大切にする気持ちだけは本当に温かかった。
子供の頃に祖父と長い時間を費やして、その温かさを味わってからなのか、僕には母方の祖父がとても良い友人に思えた。
(Hello)ミュージックビデオを撮る3週前のことだった。
BIGBANGが大衆的にあまり知られてもいなくて、(嘘)の発表を控えていた時期なので、メンバー全員"僕たちが果たしてうまくできるだろうか? "と焦りを出していた時だった。
僕もやはりそうだった。
'歌手としての僕のアイデンティティ'に対する悩みも多かった。
当時祖父はとても具合が悪かった。
だけど駆けつけてお目にかかりたくても忙しいスケジュールのせいで心のままに行くことが出来なかった。
そんなある日、母を通じて連絡がきた。
祖父が危篤だという知らせだった。
全てを後回しにして病院に駆けつけた。
祖父は話する事が出来ないほど病状が悪化していた。
なぜか当時も'今日'を越えられないということを知っておられたようだ。
祖父は必死に自分の想いを文章で伝えられた。
"スンヒョン、お前のサインを一つしてくれ"
祖父がおっしゃった通りサインをしたけど、胸がずきずきと痛み出した。
祖父は震える手をあげて僕のサインの横に祖父のサインを書いた。
そしてまたその下に最後の力を振り絞って文を書かれた。
"スンヒョン、お前のこのサインは私が死んでも生涯最後の記憶として持っていく。
だからお前の夢を必ず成し遂げてくれ。
私がもらったこのサインが本当に価値あるものになるように、そんな孫スンヒョンになってほしい。"
僕は祖父の手を握りしめたまま、とめどなく涙を流した。
それは祖父の遺言であり、僕にできる最高の贈り物であり励ましであった。
その時からどんなことに対してももっと意欲を出した。
いつでも大変なことがあるたびに祖父の事を想う。
今でも僕の心の中には祖父がいる。