創造本能G-DRAGON #3
恐れずに、そして気兼ねもなく、青春のように
①僕を創造し表現すること
小さい頃から我が家の家族はみんな服にものすごい関心を示した。
小学校の頃、お母さんと姉の手を握って週末になるとデパートに行った思い出を今でも覚えている。
欲しいものを買うという喜びよりは、まるで芸術作品が飾ってある美術館を歩くような様々な服が並んでいる衣類売り場をぶらぶら歩くこと自体が有頂天だった。
今思えばその時の経験は僕にとって何か表現して作り出すのに多くの影響を及ぼしたんだと思う。
ある放送で見た話が思い出される。
クリスマスになるとある孤児院に救援物資が到着した。
その救援物資の大部分がラーメンや古着のようなものだった。
リポーターがある子供に’何が欲しいの? ‘と尋ねた。
ミミ人形やおもちゃのような返事を期待したリポーターは子供の返答を聞いてびっくりした。
子供はモナリザの絵が欲しいと答えたのだ。
このように美しさは’現実的な条件’が生み出すのではなく’想像力と夢’が生み出すことだと思う。
ブランドの服を着るとその人の品格が上がることはない。
流行にこだわったり他の人に見せるために飾るのも好ましくない。
僕もたまには高価なブランド品を買うけれども、路上屋台でおばあさんが売っている服を買うほうがもっと楽しい時が多い。
僕にとって服は価格やブランドでなく自分を表現してくれる翼と同じだ。
音楽が僕を動かすエネルギーなら、服は想像の領域を広げられるように助けてくれる翼だ。
時間とチャンスがあるなら、いつかファッション関連の仕事をしてみたいと思うので、曲を書きながらも時々衣装のデッサンをしたりする。
社会的基準や流行などとは関係なく、自分の思いのままに着るファッションのせいで、時々は世間の論議を引き起こす。
芸能人として慎重な行動がどれくらい重要なことかを自覚することになった事件もあった。
ファンなら事件の前後の事情をすべて覚えているだろうし、ファンでなくても一人の若い歌手が “扇情的なフレーズ”が書かれた服を着てステージに立った事件(?)に対して多方面のメディアを通じて知っておられるだろう。
問題のTシャツは個人的に一番好きなデザイナーのジョンガリアーノの作品で、言い訳のように聞こえるが、その服を選ぶ時、ヒョウ柄のデザインが気に入ってそこに書かれたフレーズはあまり目に入らなかった。
問題を起こそうとしたつもりはなく、周辺スタッフらやメンバーらさえも問題点を気付くことはできなかった。
しかしもうこれ以上’分からなかった’と言い訳を並べるよりは放送人として気を付けることができなかった点を心より謝罪申し上げたい。
②暗いトンネルを過ぎれば、輝かしい日の光が待っている
2007年に発表した(コジンマル)が大ヒットしてまもなく発表した(最後の挨拶)までたくさんの愛を受け取った。
しかし好事(こうじ)魔多しと(良い事には邪魔が入りやすいという意味)曲の悪い話も聞こえてきた。
Free Tempoという日本の歌手の曲を盗作したという疑惑が浮上したのだ。
結局原作者のFree Tempoまで立ち上がって盗作でないと代弁して事態は収まったが、色々な思いで頭の中が複雑になった。
その時、目に映った文字がまさに’Too Fast to Live,Too Young to Die’だった。
セックス・ピストルズ(Sex Pistols)の伝説的なベーシスト シド・ヴィシャス(Sid Vicious)の一代記を描いた映画(シドとナンシー)に出てくるセリフだ。
色々な意味として解釈できる言葉だったが、僕には’迷いと挫折がいくら私を襲撃しても、このまま諦めるにはあまりに早い’という意味として受け入れられた。
その時期,自分自身を表現できる最高の文章だったのでないかと思う。
僕自身をまた正す気持ちで背中にその文字を刻み込んだ。
僕はアルバムを準備する期間中の深い思いにふける。
一日中考え続ける。
そして自分なりに一つの定義を立てたりする。
右腕にある’Vita Dolce’とは’いかなる状況でも甘くて幸せに暮らそう’という意味で、自分自身に伝える決意であり約束である。
原文は’La Dolce Vita’,つまりイタリア語で’甘い人生’という意味だが’人生を甘く’に変えて刻んだのだ。
左腕にある’Moderato’はあまりにも急いで前ばかり見て走らずに’ゆっくり、周辺を見て回ろう’という意味だ。
冬という季節がなかったら春の日差しが暖かく感じられない。
時には冷たい風に心が痛むかと思って厚いコートの襟をしっかりと整えなければならなかったり、終わりの見えない暗いトンネルを過ぎなければならない時もある。
だが、ホコリを飛ばした車がガタガタ音を立てる未舗装道路だと思ってその道を諦めたら、トンネルを抜け出して輝かしい日の光を見られないだろう。
③満たされない自由に対して
いわゆる有名人になってから最も考えさせられた言葉がすぐに’自由’だ。
以前は僕が何をしようが誰も関心がなかったのに、最近では多くの方々が関心を持ってくださる。
それだけ幸せなことだが、またそれだけ大変な時もある。
'自由'が幸せの要素の中でとても大きいことだとハッキリと感じる。
芸能人という生活に慣れてきたら、目と耳を閉ざさなければならない時も多い。
そうしてこそ心がボロボロにならないでセーブできるからだ。
幸いにも僕の場合は広まった噂や話で、それほどダメージを受けない楽天的な性格だ。
だが、その楽天的な性格で僕自身をなだめることはできるが、自由を満喫することによって経験できるまた他の創作の源はたくさん失ったわけだ。
同じ年頃の友達に会ってくだらない話をしたり、お気に入りのガールフレンドに会って思う存分街をブラついたり、濃い(? )恋愛と失恋の痛みも味わってこそ色々な曲が作れるはずなのに・・・
時々、僕があまりにも仕事ばかりする機械になったようで少し悲しくなったりもする。
もちろん、失ったものに比べれば、得たものはあまりにも多い。
これは本当に秘密にしようとしたが、時々遊園地にこっそりと遊びに行く。
顔を見せれば他の人々にも迷惑が掛かるので仮面や動物仮面を被って行ったりもするが、静かに遊ぶだけでなく通行人を驚かせたり、こっそり引っ張ったりしながら楽しく遊んでくる。
僕なりの自由を味わう方法だ。 そんな風に一度行ってきたらストレスがとても発散される。
④ツラくても大丈夫、僕たちの青春だろ
どう考えても僕は本当に幸運な奴だ。
他の友達が才能を探して悩む時、溢れる才能をどうすることもできなかったし、それを無視しないでよく活かしてくださった両親がいたからだ。
不足ない暮らしのおかげで安心して学校に通って羨むこともない世話を受けた。
学生時代、一夜漬けで試験を受けてもいつも成績は中の上だったし、’ジャンケン’をして友達と軽い賭けをしても負けたことがほとんどない。
オーディションに落ちた経験もなく、入りにくいと言われるYGにはスカウトされて入ってきた。
13歳という若い年齢であまりにも偉大な助力者などにたくさん出会い、僕の人生最高の師匠ヤン・ヒョンソク代表にも出会った。
BIGBANGもやはりたくさんの運がついていた。
どの新人よりも多くの期待を受けてデビュー出来たし、今は身に余るほどの愛まで受けている。
ここまで読めば、’クォン・ジヨン、ムカつく’という気がするかも知れない。
だが、同じ話を他の角度のシナリオで読んでみたらどうだろうか?
'僕は両親の世話を受けなければならない13歳という幼い年齢で夜明けに早く起きて学校に行って、学校が終わればすぐに練習室へ向かった。
何も用意されてない練習室で夜遅くまで練習するので一日三食まともに食べることができない日が多かった。
長い練習生生活の間、歌手になれるのかなれないのかハッキリしない毎日を送ってひたすら根性でその歳月を耐えた。
いまやっと20歳を超えた年齢になったが、多くの責任感と重圧感に苦しめられて一日に2~3時間も寝られない時が多い。
数え切れない多くの曲を作ったが大部分が世の中の光を見ずにゴミ箱に捨てられてしまった。
今は大衆が熱狂するかも知れないが、風が吹けば落ちるかもしれない落葉のように僕の一日一日はいつも緊張して不安で不安でたまらない。
時々世の中は不公平だと言うが、’蒔かぬ種は生えぬ’という言葉もある。 (蒔かぬ種は生えぬ・・・何もしないではよい結果は得られないことの例え)
先輩歌手たちに会って話を聞いてみると、大変な過去を送った人々が多い。
歌手のRain兄さんばかりは涙が自然と出てきそうな暗い幼年期を過ごした。
お母様が亡くなる直前、残された指輪をはめて、カムバックステージに立ったという話を聞いて胸がじーんとした。
あるTV番組で見た内容だが、声楽家チョ·スミ先生はアメリカ公演の時に父が亡くなったという悲報が入ったという。
その知らせを伝えたお母様は”お前がステージに立って最後まで公演を終える事を亡くなったお父さんも望んでいることなのよ”と公演をキャンセルして帰るという先生を引き止めたという。
そしてその日、舞台挨拶をしてチョ・スミ先生が言ったんだ。
「今日、父が亡くなりました。 最後の曲は僕をこの場所に立たせて下さった父に捧げます」
そしてプッチーニ オペラ アリア(ア、愛する私のお父さん(O mio babbino caro)を歌ったという。
傷は時にさらに強くなる力になる。
特に若い日の傷はこれからの人生で使える良い鎮痛剤になるだろう。
'適当に'するのをやめよう。
勉強でも、夢でも、愛でも。 失敗と挫折を恐れて挑戦しない限り、若さの最低限の礼儀に従わなければならない。
僕たちが本当に恐れなければならないことは失敗でなく、挑戦と変化を恐れる固い心を持つことだ。
もし今挫折という壁にぶち当たって静かに泣いている友達がいるならこう言いたい。
倒れても大丈夫だ! 僕たちはまだ若いんだから・・・