世界に君を叫べ G-DRAGON② | BIGBANG~じよんワールド2~

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今年もまだまだじよん狂・・・ブログもパート2突入ですw

創造本能G-DRAGON #2

努力して楽しんで、楽しんで努力して..、僕を注ぎ込む方法




①他の人より少し早く始めて少し上手なだけ




ステージ上にいる時は何も恐くなくて、世の中をすべて手に入れたような情熱を吐き出すBIGBANGだが、僕を含んだメンバーは本当に不思議なくらい愛想がない。

だから時々誤解も生じたりもする。

言い訳する形になってしまったけど、愛想がないというのは僕たちにはまだ長い道のりがあるという証拠だ。

メンバー全員、社会生活を学ばなければいけない時期の大部分を練習室で過ごしたせいで人懐っこさがゼロだ。

僕たち5人が一緒にいる時はシューズのヒモ一つで数時間楽しく過ごせるけど、BIGBANGを離れればまるで水の外に出てきたフナのようにそれこそ’バカ’になる。

数万人を前にしたステージより、見慣れない一人を恐れる臆病者たちだ。

時々、ファンたちと会う時さえ顔が赤くなるほど恥ずかしくなる。

性格が良い事で知られるテソンさえそれなりにバラエティ番組をやってとても明るくなったと自己評価するほどだ。

だからBIGBANGに不足しているもの一つ挙げろと言うのなら、僕はためらう事なく愛想だと言うだろう。

デビュー当時は”食事はしましたか?”と言うとても簡単な挨拶の言葉さえ勇気出して言えないほどだった。

「先輩、今回のアルバム本当に大当たりですね」

「監督、不十分な私どものせいで苦労が多かったでしょ?」

と言いたくてたまらないが、どういうことか人前に立つと話が出来ない。

時には「こんにちは!」と挨拶したらその次に何の話をすればいいのか分からず、カチカチに固まっていたりもする。

しかし、「出来ない」とためらって自分の言い訳を並べるのは、自分で出来ない事を強く決意する形にしかならない。

そんな考えばかりでは何も変わらないこともよく分かっている。

拳くらいある大きさの雪だるまを何度も転がして大きくさせてこそ雪だるまになるように、とにかく始めてみなければならない。

何でも初めが難しいが自らを刺激しながら実力や人格がより一層強くなるために努力している。



"歌手になる前にまず人になれ"というYG練習生の教訓が浮かび上がる。

歌はものすごく上手なのに人間性があまり良くない人が尊敬される歌手になれるだろうか?

手段と方法を選ばずに自分の事しか考えない人を大衆が愛するだろうか?

人を軽く見たり物事に対して感謝出来ない人が美しい歌詞を書くことができるだろうか?

深く悩む問題だ。

僕たちは分かっている。

他の人たちより少し早く始めて、今もったいないくらいの待遇を受けているが、そうなればなるほど謙虚になって自身を発展させなければ生き残れないということを。

初めて練習生になった頃は衣装やその他必要な荷物を背負って、地下鉄に乗ったりバスに乗ってコンサート会場に行ったりした。

兄さんたちが大変そうに見えたら走っていって助けることはないかお聞きして、小さい体ではあるが僕が出来る仕事を探したりした。

今でも変わらない。 ただBIGBANGという肩書きがついただけで。

僕が変わったんじゃない。

必要に応じてバンに乗ったり、マネジャーの兄さん姉さんが僕たちを助けてくれたり、他の人より派手な服を着るようになっただけだ。

謙虚さと努力という僕たちの本質を忘れてはいけないということを僕たちはよく分かっている。

1位というタイトルやアルバム販売量記録みたいなものは”僕たちが努力を積み重ね吐き出したこと’に対しての一つのボーナスだということを。

僕たちは一生、練習生の気持ちで生きていくんだ。


 



②根元が違う木が互いに支えて生きる’連理の枝’のように






いつかヤン・ヒョンソク代表が苗木に例えて話された事がある。

僕は花が華やかに咲いて人々の視線を惹きつける木で、TOP兄さんは太くてどっしりした木、テヤンは一人でも大きくなる木、テソンは実が多い木、最後にスンリは小枝をうまく切ってやればもっと大きく成長する木だと。

ずば抜けた表現だと思った。

僕はヤン代表が僕を評価した部分について一人で考えてみたりする。

'華やかな花'とは…. 外見やヘアースタイル、着飾る事、少なくとも表情や身振りまで全て僕を見せる包装紙だ。

時折、その包装紙があまりにも目立ってしまって僕自身の本質が隠れているようだけど、それでも僕にふさわしいのはその包装紙を美しくして派手にさせていくことだと思う。 幸い広い心で受け止めてくださる方々がおられて感謝するばかりだ。

BIGBANGメンバーはステージに上がる時”さあ、遊びに行こう!”と言う。

それは僕たちがステージを楽しみたい熱い思いの表れでもあるが、何よりもBIGBANGはステージに鍛えられているからだ。

ステージに上がる前、いくつかの計画を立てておく事もあるが、BIGBANGの長所は、むしろ自然な’突出行動 “だと思う。

ステージ上で誰かが失敗をすれば、各自の顔を見つめて笑ったり耳打ちしてからかったりもする。

一つ間違えるといたずらっぽく見えるけれども、失敗を恐れるよりステージ上の全てを楽しみたいBIGBANGの姿を良く見てほしいと思う。

BIGBANGという名前を本格的に発表する前から僕たちは色々なステージを経験した。

特にYG 10周年ツアーはアメリカ、日本、韓国の色々な都市を巡回する公演だったので、先輩歌手らと共に巨大な規模のステージに立たせてもらえるチャンスであった。

YGの長所は新人に’ステージ経験’のチャンスをたくさん提供するという点だ。

そして各種放送はもちろん、公演でも’同じ曲’を歌うからといって’同じコンセプト’で出る場合はほとんどない。

デビューしてわずか2~3年しかない僕たちが’以心伝心’出来る理由はまさにそのような実戦練習のおかげだった。

ある時は公演直前にパフォーマンスに対する構想を終える場合もある。

だから各現場で起きる突発的な状況を理解して対処しなければならない。

もちろんどんな仕事でも簡単ではない。

だが、特に芸能界の場合、表面の派手さだけ見て何年も続けるには体力と忍耐心全てがとても必要なことの一つだ。

毎回大変だという素振りも見せ、ず与えられた状況にベストを尽くすメンバーがいるからBIGABNGのパフォーマンスがより一層輝くのだと思う。







③’FRIEND’友人というのは互いに長く頼れる人







お父さんはいつも僕に”男は友達が多くなければならない。”とおっしゃる。

あえてお父さんが言わなくても僕にとって友達は喜びと苦しさを全部分け合うことができる大切な存在だ。

僕が持っているものとは違ったものを持っている人から毎日何かを学ぶ。

勉強ができる誠実な友達からは”着実さの美徳”を学び、人々が遊び人と指差しする友達からは’個性あふれる活発さ’を学ぶ。

ある文を読んだことがある。

友達(FRIEND)というそれぞれの字が何の意味を持っているのか解釈した文だった。

その解釈によれば’F’はFace,つまり顔を見るという意味で、’R’はRecognition,お互いを知ってありのまま認め合うということだという。

'I'はInteract,つまり互いに影響力を及ぼして関係を結んでいくことで、'E'はEquality,いつも平等でバランスが取れている状態を維持するということだという。

'N'はNeed、互いに必ず必要な存在になることで、'D'はDependence,お互いに寄り添って頼れる大切な人という意味だ。

本当にその通りの解釈だと思った。

僕にとっても友達は生きていく重要な理由の一つであり、古くからの友人と一緒ならいつでも楽しい。

僕に付いて回る修飾語の中の一つが’狂った人脈’という言葉だ。

僕がアルバムに残した’thanks to’を見てファンたちが付けたニックネームだ。

実際にアルバムを出そうとすると感謝する人があまりに多かった。

時々友達の中で”僕は芸能人のクォン·ジヨンの友達だ!”と自慢するのを密かに楽しんでいる場合もあるが、その時はあまり親しい関係でなくても快く友達になってくれる。

色々な友達を思い出して一人ずつ書いていくとthanks toの長さが限りなく長くなった。

やはり僕にとって’友達’といえばテヤンに対する話は欠かせない。

(リアルドキュメンタリービッグバン)では僕たちがまるでお互いを警戒するライバルのように描写されたが、実は僕にとってテヤンの存在は世の中で最も頼りになる心強い支えだ。

僕がメンバーたちを責め立てればテヤンはその名のように穏やかで暖かい笑顔で仲間の背中を軽く叩いてくれる。

だが、僕が気力がなくなっていたりまとめることができない時は僕の代わりにリーダーの役割をしてくれる。

毎日毎日テヤンから学び刺激されて慰められる僕はある意味、テヤンを見て育つひまわりみたいだ。

その友達(テヤン)の広くて深い心と完璧を追求する自己啓発の意志は’音楽の道’を歩こうと思った僕の初心を失わないように鞭打ちする(刺激する)

だから僕は一生テヤンと共に過ごして、お互い期待し刺激されて発展したい。

普段出来ない話だけど、もし僕がいつか死ぬ時、最後にその場を見守るただ一人の友人を挙げろと言うなら迷わずテヤンを挙げるだろう。 いつも本当に感謝している友達だ。







④忙しいのになぜ退屈だったんだろう?





僕は一時もじっとしていることができない性格だ。

休日があってもくつろぐ事はない。

ある人はそんな僕を心配な眼差しで見るけれども、僕にとって”また他の何かを創作する瞬間’こそが最高の休息なのだ。

一日中練習をしたりスケジュールのせいでくたくたに疲れて宿舎に戻っても僕は自分の部屋で何かを言及する。

音楽を作ったり歌詞を書いたり練習場で絵を描いたり、せめて先伸ばしにしておいた映画でも見て満足する。

次の日ジャーン! と作った曲を出せばメンバーたちでさえ”一体いつ作ったの?”と驚いた表情をする。

僕も分からない。

ただ書きたくて気が狂いそうな状況がある。

作曲をしなければならないと決心した瞬間から周辺の全てのものが音楽と連結するようだ。

通りの看板を見ても、映画を見ても、周辺のささいなことまで曲に対する発想に結びつけるクセができた。

頭の中で瞬間的に何かが浮かび始めればノートを取り出して歌詞を書いて音を口ずさむ。

ステージ上で歌ってラップをする時も楽しいが、個人的に曲を作ってデモ録音をする時一番調子があがる。

僕が考えたものが実際音楽になって作られる過程があまりにも不思議で面白い。

13才の時から肩越しの空みたいな先輩たちの姿を見届けてきた。

全く同じ努力をしてもスポットライトを浴びれない人、全ての事を準備しておいてもステージに一度もまともに立ったこともない人、美しく輝きながらも一日で露のように消える人も見た。

だから僕にとってステージに上がるということはいつも過分で有り難いことだ。

ところが僕だけそうではないらしい。

皆寝る時間がはるかに過ぎているのに、誰かの部屋では音楽が流れ、誰かはリビングでダンスの練習をしている。

本当にみんな義務感のために無理するのではなく、自分の好きな仕事で最高になろうと一生懸命に努力している。