昔、原文全部ブログに打ち込んで訳した本、もう一回手直しして再UPしますた。
今回は原文は省略しましたwww
今回はアメ限ではないので読んだことのない方、ぜひ読んでみてください♡!!
"汗で綴る僕の挑戦の価値は夢に向かった思いだった
今まで流した僕の涙は希望を現実にする踏み台だった
奇跡の花を咲かせる美しい人、僕がまさにその主人公になりたい
僕に捧げる最後の祈りは、ステージで華やかに咲くことだ。"
創造本能G-DRAGON #1
才能を持ったのは、ほんの少しだけだった。
①音楽が好きだという事以外、他になんにもなかったヤツ
僕は何でもハッキリするのが好きだ。
友達と遊ぶ時は我を忘れるほど狂ったように遊びまくり、仕事をする時は全身の細胞一つ一つが逆立つほど集中させる。
せめて寝る時ぐらいは冬眠に入るツキノワグマのみたいにしっかりと寝るスタイルだ。
どんなことでもうやむや、こそこそ、いい加減、ごまかしたり、あいまいな事が生まれつき嫌いだ。
おかげで‘礼儀をわきまえない、無愛想だ’などと誤解もたくさん招いた。
だけど生まれつきの性格は変えられない。
どんなに困難な場所、不愉快な人でも‘違う’と思ったら死んでも自分の考えを通す性格だ。
‘頑固なヤツ’っていうイメージが徐々に固定されてる感じだ。
正確にはわからないが誰かが僕の夢を初めて訪ねてきたその瞬間から、僕の答えはいつも”歌手”だった。
正直、小学6年、13歳で歌手の道に飛び込んだ僕に他の考え、他の夢は贅沢なだけだった。
目隠しをして全力疾走をする競走馬のように目標に向かって走る事以外できることはなかった。
誰かは本当に子供らしい夢だと、また他の誰かは外見だけ格好つけてるだけだと、からかわれる夢だけど、音楽は僕の体と心を動かし、僕を呼吸させて、華やかなステージはいつも僕の胸をドキドキさせた。
僕が音楽をやってなかったら、何をしていただろうか?
この質問の答えは多分一生探すことができないだろう。
ビッグバンというグループの名前さえなかった練習生時代、オーディションの準備した仲間は僕を含めて全部で6人だった。
最終オーディション終わり今は5人のメンバーで構成されているが、当時はこれから誕生するグループが2人で構成されるか3人で構成されるか誰も分からなかった。
テスト結果によって誰かが脱落しなければならないサバイバル方式だったからだ。
生き残るためには自分の全てを賭けなければならない切迫した時間だった。
こうした状況だから、他の人より長く練習生として過ごした6年という時間は負担なだけで、決して有利な条件ではなかった。
ヤン・ヒョンソク代表の性格上、実力が認められなければ6年でなく60年練習しても容赦なく脱落させることをよく知っていたので、僕とヨンベ(テヤン)はより一層緊張と焦せる毎日を過ごさなければならなかった。
また、一日12時間はダンス、歌、ウェイトトレーニング、そこに外国語2つまで含まれた7.8個のレッスンを受けるのは体力の限界を感じ、メンバーたちの神経も毛を立てた猫のように鋭く尖り始めた。
その上、僕はリーダーの位置にあった。 いくらサバイバル方式であっても、’音楽が好き’という理由一つでその長い時間を共に泣いて笑った仲間の手を一つでも離したくなかった。
いや、離すことはできなかった。
たった一人の脱落者もなく僕たち6人全員切実に願った’その事’,そしてこれから進もうとする’その場所’に一緒にいたかった。
だが、実力と性格、能力が違う6人を小船に乗せて一つの方向に櫓を漕ぐのが簡単でなかった。
突然訪れる一人一人のスランプを寛容に黙認する余裕もなかった。
メンバー全員歯を食いしばって立ち上がるという事をよく分かっていたが、「一生懸命すること」はただ基本なだけで「ちゃんとやらないなら」絶対に一緒の船に残ることができないという冷酷さもよく分かっていた。
②うっかり引き受けることになったリーダー役
僕たちは全員同じ年頃の友人よりもっと早い年齢で人生の目標を定めて、僕たちが持った全てのものを賭けた。
友達が学校で英単語を覚えている時、僕たちはラップと振りつけを暗記し、友達がグラウンドで運動をして汗を流す時、僕たちは湿気いっぱいの地下の練習室で止まりそうな暑さと戦いながら踊りを習わなければならなかった。
友達が試験を終えて気持ち良い歓声を叫ぶ時、僕たちはまた他の試験が次々と待っている練習室へ向かい、友達が休みだからと朝寝坊をする瞬間でも僕たちは休みなのでもっと早く出てきて、もっと長く練習しなければならないつらい日程をこなさなければならなかった。
また、友達が朝から’ご飯食べなさい’というお母さんの小言にうんざりする時、僕たちは一ヶ月に一度会うお母さんが心配しないように一生懸命明るく笑ってみせて、帰るお母さんの後ろ姿を見て涙をこらえた。
他の人たちとスタートラインが違って進む道も違ったので、ここで退けば帰る場所さえなくなる僕たちだった。
<リアルドキュメンタリービッグバン>を見ると、僕がメンバーを責める姿が頻繁に出てくる。
「そんなんじゃ100回やっても身につかないよ。 それじゃいくら練習してもダメだよ!」
「膝が一度ケガすると死ぬのか? 覚悟して力強くひねってみて。何そんなに痛いからっておどおどやってるんだよ。」
「お前の事を考えて言ってるんだから、しっかりやるべきだって気付かないの?」
「ダメだろ。 一日残ってるからって寝るヤツがどこにいるんだ?」
当時メンバーらに吐きだした荒っぽい僕の毒舌が入れられた<リアルドキュメンタリービッグバン>がインターネットを飛び交い始め、おかげで僕は’クォンGラを”,”紙やすりジヨン”,”カチルジヨン”というニックネームまでついた。
2006年6月メンバー選定が最終確定する直前、SE7EN兄のコンサートステージにバックダンサーとして上がる最終実戦テストがあった。
最終脱落者を決めるそのステージで僕たちはそれまで一生懸命磨き上げてきた実力と最高のチームワークを見せなければならなかった。
SE7EN兄さんまで僕たちを心配する気持ちでいて,僕も訳もなく色々な心配に包まれて神経が鋭く逆立っていた。 いよいよリハーサルが始まった。
当時、6人全員が生まれて初めて大きなステージであると同時に、たった一回のリハーサルで完璧に動作と場所配置を習わなければならない状況だった。
ところがバク宙したヨンベが思わず倒れてしまった。 ミスもミスだが、何よりも倒れて手を負傷したのがもっと大変だった。
僕たちは瞬間慌ててどうすればよいか分からなかった。 怪我をしたヨンベも心配だが、もしかしたらヨンベの負傷で頑張って練習した振付と展開の両方を変えなければならないかもしれない状況だったからだ。
幸いヨンベは痛い表情一つせず”大丈夫だ。”と言ってメンバーたちを安心させた。 出血する手が痛かっただろうが、一生懸命平気なふりをしたのだ。 僕たちは今一度体制を整え、特に問題なくリハーサルを終えた。
だが、僕はリハーサル舞台を降りてくるやいなやメンバーたちを叱り飛ばした。
「僕も気持ちに余裕がなかったけどお前たちは何なの?”僕が怒鳴らなかったらずっとボーっと立ってたんじゃない?」
「ヨンベが倒れたからって固まって、’ん、どうしよう? ‘って表情で立っていれば良いのか? 万が一、本番ならどうしてたの?」
習慣のように容赦ない言葉が口からあふれ出た。
「さあ、今から本番だよ、本番! 本当の何か見せよう。」
ステージに上がる瞬間まで僕の小言は止まらなかった。
「さあ、位置に気を遣って、表情に気を遣って! 踊りながらも隣の人の位置をよく把握するんだ」
今になって思えば緊張したメンバーたちを落ち着いて慰めて勇気をもっと出させるようにすれば良かった気がしたが、当時はただ一人も脱落しないことを願う気持ちがもっと切実だったんだと思う。
③子供ルーラ、YG練習生として入ってくる
すでにたくさんの方々が知っておられるように、僕はルーラ先輩らのミュージックビデオに’子供ルーラ’で出演したことをきっかけにYGエンターティメントの練習生としてスカウトされた。
幸いにもお母さんが様々な分野の経験を持たせるのにとても関心が多かったので、僕は小さい頃からお母さんの手を握ってあらゆる大会やオーディションを受けるのが日常茶飯事だった。
今考えてみても僕はとんでもなく無茶な子供で、どんな大人の前でも色々な大衆の前でも震えた経験が殆どない’大胆な子供’だった。
それが他の人たちが言う’才能’なのかは分からない。
ただ僕はとても好きで楽しめたし、もっと幸いなのは両親や周辺の人々の全面的なサポートを受けたという点だ。
僕は自ら考えてみても悲観的な性格がひとかけらもない、100パーセント楽天家だ。
上手くやっても楽しいけど、出来なくても次に上手くすれば良いというのが僕の考え方だ。
ただ遊ぶ事が好きで今でも小学校の時の友達にまで連絡して過ごす’関係指向型人間’だから、以前のように友達と会ったり一緒に遊んだり出来ないのが少し寂しい。
YGに入ってきた後、練習生生活のせいで友達と遊ぶことができないと、一人で退屈なら歌詞を書いてラップを書くことが僕だけの趣味であり僕だけの遊び門下になってしまったわけだ。
同じ年頃の友達がゲームをして遊ぶ時、僕は音楽を聞いて遊んだことが小さな違いだろうか?
少し大変で退屈だったりしたけど僕にとって練習生生活はそれほど大きな悩み事ではなかった。
もちろん肉体的には大変で友達と遊ぶ時間が減ったけど、時々先輩の兄さんや姉さんのステージを見たりステージに立ったりMVを撮りながら’歌手の真似’をしたりすることがひたすら楽しかった時期だった。
学校に行けば宿題をしなければならなくて、会社に行けば決まった時間までプロジェクトを提出しなければならないように、練習生生活の間、僕の主な宿題は一週間に一回ずつ新しい練習映像を録画してヤン代表に提出することだった。
そしてラップと歌詞を書くのが趣味だったせいか、外国歌手の原曲をただ歌うより新しいラップと歌詞をまた書いて歌ったりした。
ある程度時間が過ぎると、ヤン代表は一週間に一曲ずつ作詞作曲をしてくるよう課題を渡された。
もちろん当時ではとても不十分なレベルだったが、6年間着実に休まないで練習した事が今の作詞作曲をするのにとても役立ったと思う。
④失敗することより、失敗を恐れてチャレンジしないほうがもっと愚かだ
そんな楽天的だった僕だったが、メンバー選定が近づくとますます苛立つようになってきた。
"うまくいかないはずがない"と独り言をつぶやいたが、サバイバル方式が与える重圧感は非常に重かった。
楽天的な僕さえこうなのに、経験が少なかったり性格がナイーブな他の仲間はどうだったのだろうか?
他の仲間が無駄な苦しみに陥らないようにするためにも、僕が先に貪欲のように飛びかかって先に悪役を自任しなければならなかった。
実はメンバーらにせき立てた言葉の大部分は僕自身に対する言葉だった。
ヤン·ヒョンソク代表は口癖のように「うまくできると思う」と「本当にうまくやる」という事は厳格に異なっている。”と言う話をされる。
才能を持っている事とその能力を発揮するという事は厳格に違う’という意味だ。
今まで僕が一番上手く出来て一番好きだと信じた歌手になれなかったら僕の未来はどうなるだろうか?
どこでも頭さえつけたらよく寝る僕だったが、悪夢まで見始めた。
ある夕方のことだ。突然、窓の外で荒々しい風雨が吹きつけ始めた。
風がどれくらい強かったのか、開いていた窓の間から大きな雨のしずくが吹き荒れて入ってくるほどだった。
急いで窓を閉じようとした瞬間、僕は暴風雨と死闘しているクモ一匹を発見した。
ヤツはその小さい体で大きな雨のしずくを受け、すぐにでも切れてしまいそうなクモの巣の上で慌ただしく動いた。
普段なら注意深く見ない光景だが、その日のそのクモの姿はなぜか他人事のように見えなかった 窓を閉じなければならない事も忘れたまま、僕はクモをぼんやり眺めていた。 その身振りを見た瞬間、妙な感じがした。
「こいつは知っているんだ。この嵐が過ぎ去ったらまた晴れる日が来ることを」
ヤツがその薄いクモの巣に’生存’という願いをかけて歩いてるように、僕は’歌手’という夢に僕のすべてを賭けた。
その切なる願いがないなら生きてても意味がない。
大きな人気が欲しいのではない、僕の歌をたくさんの人と呼吸して歌いたいんだ!という切なる願い。
その夢を叶えるために意味あるように僕を追い立てて過ごす毎日…
これよりもっと幸せなはずがないという気がした。
才能’というのは誰も目にしなくてもクモがクモの巣を吹き出して自分だけの美しい家を作るように、しつこくても美しい行為を繰り広げるほど’能力’で花を咲かせることができると信じている。
そしてたとえ多少は美しくなかったりとか、ゆがんだ家を作ることになってもどうだっていうんだ。
自分を捧げて夢に向かって走って行くその瞬間だけは生涯最高の瞬間であることを。
⑤ビッグバンは実力派? いや努力派!
デビュー前からビッグバンというグループについて多くの言葉が行き来するのを聞いた。
'ヒップホップ アイドル','実力派アイドル','差別化されたアイドル'…
ある者は’それでもいつものように企画会社によって作られたアイドル’だと言った。
ぴったりな言葉だ。
BIGBANGは’作られた’アイドルだ。 どれ一つただで与えられず、メンバー各自が自身の才能の花を咲かせて、また自身が持った限界を跳び越えながら汗と涙で’作られた’アイドルだ。
ある人は作詞、作曲、プロデュ-スまでする僕を見て’一人ですべて行う’と評した。
だが、その言葉は明らかに間違った言葉だ。
BIGBANGは曲一つ作っても僕たちのイメージ、僕たちのカラーを生かすために5人のメンバー全員で死に物狂いで作った。
自分のパートをレコーディングする時は誰とか関係なく、歌詞と曲に合う感じと声を見つけるために’自ら満足するまで’録音する。
周囲がいくら”もう充分だ”とか”上手だった。”と止めさせようとしても効果がない。
人が何と言おうが、BIGBANGは’実力派’というよりは’努力派’に近い。
チームの中で各自のカラーを出すために努力しながら同時にバランスを作り出す。
僕たちは誰かによって作られたアイドルというよりは、本人たちによって作られ発展する’自家発展型アイドル’だと言える。
TOP兄の声は’優れたラッパー’である他に人間的に人を引き寄せる力がある。 ラップをする時だけでなく話をする時でさえ何か動物的に感じられるその声はチーム全体の重心を取ったりシナジー効果を作り出す。
テヤンの場合は毎回見るたび人を驚かせる。 じっとしている時は純真でとても静かな友達だが、ステージに上がれば僕が見てもカッコよく見えるほど強烈な印象を与え、完璧に近いステージを見せる。 時々’あの友達が僕と共に6年間練習したヨンベなのか? ‘という気がするくらい誇らしい。
テソンはエンドルフィン(幸福を呼ぶ媚薬)製造機だけあって本当に明るくて賢い。 悲しい歌を歌う時は’感情’を込めて悲しい感じをうまく表現して、演歌を歌う時はベテラン演歌歌手に劣らない味わいのある姿を見せてくれる。 テソンはまるで状況によって自身のカラーを変えることができるカメレオンみたいだ。
スンリは少年から青年に成長する境界にいるのだろうか?
普段は親しい弟のような存在だが、ステージに立つと男性らしい魅力があふれた不思議な雰囲気がある。 ソロ曲[Strongbaby]を作曲してプレゼントしたところ、一人で振り付けを構想して着実に自分のステージを変化させるほど、情熱的で努力派だ。
このように、すべてのメンバーは今日と明日が本当に違うと感じられるほど見違えるように段々と成長し、調和してお互いの役を引き立ててくれる。
時々、僕とヨンベは”BIGBANG結成以前に僕たち2人がデュエットでデビューしたらどうだったのだろうか?”と話をしたりする。
簡単に想像さえ出来ない。
互いに違う長所を持った今のBIGBNAGはまるで一つの円を構成するために集まった5つのかけらと同じだからだ。
奇跡とも言える僕たちの出会いにいつも感謝して、有名芸能人になったことよりBIGBANGの一員であることに一層感謝する。
BIGBANGはステージの上で最も光を放つ。
5人全員強いエネルギーを持っているがその5人が一つになれば、もっとすごいシナジーを作り出す。
僕の才能を誇るのに先立ち、謙虚さと節制を学んだ事はグループ活動で得た最大の教えだ。
メンバー全員、BIGBANGという名前の中でお互いが光るように自分自身を適切に調節してくれてありがたく、また感謝でいっぱいだ。
日本でコンサートをした時だった。
公演が終わりにさしかかった時、突然音響に問題が生じて音楽が途中で止まってしまった。
誰も予想できない事故でステージの上では静寂だけが流れ客席も慌てたようにざわめいた。
ところが突然、誰かが即興でビートボックスをし始めた。
また、誰ということもなくそのビートボックスに合わせてラップをして誰かは掛け声を入れて誰かは拍手して、観客らに呼びかけをした。
ただの一度もそんな状況を予想したり練習した事がなく、そんな状況を備えて計画を立てておいたこともなかった。
だが、危機的状況でまだ何秒もたってない僕たちはいち早くアイコンタクトしてその視線の中で深い信頼と信頼のやりとりしてお互いを信じて頼った。
ステージから降りた僕たちは何も言わずお互い抱き合った。