テソンは去る20日放送されたSBS 'ヒーリングキャンプ'で"昔は明るくていたずらっ子のような姿を見せていたけど、すごく心配になった。
またそんな風に笑うことができるだろうか、そのように笑っても構わないかと思う質問にまだ答えを見つけられなかった"と悩みを打ち明けた。
彼は"事故以後'殺人魔'というコメントが最も恐ろしかった"と言い"みんなが僕をそんな風に見るかと思って外に出て行くことができなかった。
悪い考えまで出てきたけど、遺族たちがかえって慰めてくれた。
僕の活動を通じて、たった一人でも希望を与えるなら、僕は勇気を出して音楽活動をする "と話した。
震える声で落ち着いて話を続けた彼は、時々話を止めてつらそうにした。

次にテソンが放送で明らかにした事故経緯.
なぜ事故が起きたのか。
"2011年5月31日、夜12時頃のスケジュールを終えて休暇を迎え、両親の家に行く途中だった。
楊花大橋を過ぎると前にいた車が突然車線変更をした。
前にタクシーが非常灯をつけたまま立っているの慌ててブレーキを踏んだが、何か引っかかる感じがした。
ブレーキが作動しなくてタクシーと衝突した。
とりあえず車から降りて、タクシーのおじさんにケガはないかと尋ねたところ、そのおじさんが、 "今、私が重要なのではない。後ろに人がいた"と話した。
僕は人を見る事が出来なかった。 "
被害者の状態は。
"タクシー運転手のおじさん話では血をたくさん流していたと言った。"
人がいたという話を聞いた時の心情は。
"あまりに大きな音を急に聞けば耳には何も聞こえないように、全身に衝撃が走った。
どうしてでも僕が責任を負わなければならないと思った。
放送局取材記者の方はすでに到着していたので、マイクと真っ赤な火が見えた。
もう僕は終わったんだなと思った。"
被害者の死亡事実はいつ知ったのか。
"警察署で知った。その気持ちは何も言うことができません。
こんなことが僕にあるんだろうか、何も考えれなかったし、とても申し訳なかった。
タクシー運転手のおじさんが一緒に居てくれて本当に感謝しています。
あまり心配しないようにと、自分でも事故起きたと、率直にありのまま話せば皆分かってくれるとおっしゃってくれた。"
事故後どのように過ごしたのか。
"会社で両親の家に行こうとしたけど、両親の顔を合わせれないと思って一週間ずっと宿舎にいた。
お腹も空かなかったよ。
申し訳なくてずっと泣いてばかりだった。
インターネット上の書き込みも見た。
もともとコメントを見て傷つくほうではなかったけど、 '殺人魔'という言葉が本当に恐ろしかった。
そうしてはいけないのにコメントを見て、悪い考えが出た。
もちろんそれが間違った道であるということを知っていたけど、それが正しいのか、そうすべきなのか、すべての人々がそれを望んでいるのかという気がした。"
死亡事件と関連して無嫌疑を受けた。
"無嫌疑を受けたのが、どんな風に話をするべきか。
嬉しいことでもなく悪いこともなく、それを僕の口から当然の結果と話す事もないことだった。"
また立ち上がれるようにした人々がいるなら。
"ご両親、メンバーら. そしてとてもつらい時期にとても大きな勇気をくれた遺族らだ。
葬儀場では、怒りもあったが、それは当たり前のこと。
そうだったが後ほど時間が過ぎてからイ某様と実兄が来られた。
'正直私たちもテソン氏がこれからずっと姿を消しているのは望んでいない "とおっしゃって、
"もっと熱心に活動して笑ってくれたら嬉しい"と慰めてくださった。
正直そうしてはいけないのに僕がさらに慰労を受けているからとても感謝して申し訳なかった。"
今回のことで悟ったのがあるなら。
"自分の仕事に対する有り難みを忘れた時、このように事故があると思った。
人の心が一途のようなことはなかったよ。
これから僕が出来る限りさらに一生懸命やってさらに明るい姿を見せて差し上げるために努力するはずだから、
ぜひその姿を受け入れられたら嬉しい。
こんな僕の活動を通じて一人でも希望を与えられるなら、僕は覚悟する。 "
運転はまたしているのか。
"まだ勇気が出ない。"
(souce:OSEN)
テソン。事故の事、話すのつらかっただろうね・・・
訳しながらウルウルしたーーーo(;△;)o