再会。
原発の影響で、東京~大宮と避難生活を本社から命じられていた彼。
郡山には解決するまで戻せない。
そう会社に言われていたので、いつまで続くか全くわからない遠距離恋愛が始まっていました私たち。
それが一昨日急展開!
彼が会社にお願いして、被災地の支店で復旧活動ができることになり、下道とばして帰ってきたのです!
昨日の深夜3時。
真っ先に会いにきてくれたのでした。
一瞬だったけど感動の再会でした。
思いがけず、近距離カップルになれてしまいました!
近くにいるんだと思うだけで、心強い。幸せです。
みんなも早く大好きな人に会えますように。
郡山には解決するまで戻せない。
そう会社に言われていたので、いつまで続くか全くわからない遠距離恋愛が始まっていました私たち。
それが一昨日急展開!
彼が会社にお願いして、被災地の支店で復旧活動ができることになり、下道とばして帰ってきたのです!
昨日の深夜3時。
真っ先に会いにきてくれたのでした。
一瞬だったけど感動の再会でした。
思いがけず、近距離カップルになれてしまいました!
近くにいるんだと思うだけで、心強い。幸せです。
みんなも早く大好きな人に会えますように。
生きる!復旧編。
地震の日から、毎日気持ちが忙しい。
毎日ふと、泣いてしまう。
でもね、みんな助け合ってたくましく生きています。
ガソリンがない人も増えてきて、今は職場の人達で声をかけあって、乗り合いながら通勤しています。
食料調達。生活情報。
mixiのつぶやきでみんなで情報交換して走り回っています。
食べ物の物々交換。おかげで食材が豊富になりました。
まだまだライフライン復活していない場所もあります。(私はプロパンだったため、全部復旧済)
水を運んで、家にある使えそうなものは持ちよりあって、貸しあっています。
お風呂に入れない友だちは、家に呼んで貸しています。
お礼に食料をもらって、料理してみんなで食べる。一番の節約。
顔も知らない存在だったアパートにご近所付き合いが生まれました。
「なにかあったときは助け合いましょう」「頑張りましょう」声をかけあって情報交換しています。
コンビニや大手スーパーがなかなか機能しないなか、重宝したのは、今までみんな見向きもしなかった個人商店や露店でした。
いち早く営業してくれたことで、救われた人がたくさんいました。
まだ通常に営業できない店もたくさんあります。
でもみんな、自分に今できることを始めました。
美容院はシャンプーとブローのサービスを始めました。
ゲーセンは携帯電話の充電の無料サービスを始めました。
居酒屋はある食材を駆使して、炊き出しやお弁当を始めて、街頭で声を張り上げています。
みんな前を向いて頑張ってるから、街は活気があります!
私の保育園もいつも通り開けています。こんな状況だから、子どもは一桁だけど、必要な人もいるんだよね。
お世話になった避難所にも何度か食料や防寒具を届けに行きました。
まだまだ避難所を出られない人もたくさんいるんです。微力だけど、力になりたかった。
みんな支えあって、助け合って、力強く復旧を目指しています。
仕事を失った人、肉親の安否がわからない人、家がなくなった人、恐怖の体験をした人。
たくさんいます。
でもみんな前を向いて頑張ってるから、きっと大丈夫。
この震災のおかげで、久しぶりに連絡をとった友人がたくさんいます。
学んだことがたくさんあります。
今まで自分がいかに贅沢に楽して生きていたか。
暗い夜に明かりが灯る喜び。
水の大切さ。
一人じゃないこと。
ライフライン復旧のために、人命救助のために休まず働き続けている人達の存在。
あったかいごはんのありがたさ。
なんてことない毎日が、贅沢で幸せだったこと。
「落ち着いたら」
会いたい人がたくさんいます。
絶対、会おうね!
ガンバロー日本。ガンバロー東北。
私もがんばる!
毎日ふと、泣いてしまう。
でもね、みんな助け合ってたくましく生きています。
ガソリンがない人も増えてきて、今は職場の人達で声をかけあって、乗り合いながら通勤しています。
食料調達。生活情報。
mixiのつぶやきでみんなで情報交換して走り回っています。
食べ物の物々交換。おかげで食材が豊富になりました。
まだまだライフライン復活していない場所もあります。(私はプロパンだったため、全部復旧済)
水を運んで、家にある使えそうなものは持ちよりあって、貸しあっています。
お風呂に入れない友だちは、家に呼んで貸しています。
お礼に食料をもらって、料理してみんなで食べる。一番の節約。
顔も知らない存在だったアパートにご近所付き合いが生まれました。
「なにかあったときは助け合いましょう」「頑張りましょう」声をかけあって情報交換しています。
コンビニや大手スーパーがなかなか機能しないなか、重宝したのは、今までみんな見向きもしなかった個人商店や露店でした。
いち早く営業してくれたことで、救われた人がたくさんいました。
まだ通常に営業できない店もたくさんあります。
でもみんな、自分に今できることを始めました。
美容院はシャンプーとブローのサービスを始めました。
ゲーセンは携帯電話の充電の無料サービスを始めました。
居酒屋はある食材を駆使して、炊き出しやお弁当を始めて、街頭で声を張り上げています。
みんな前を向いて頑張ってるから、街は活気があります!
私の保育園もいつも通り開けています。こんな状況だから、子どもは一桁だけど、必要な人もいるんだよね。
お世話になった避難所にも何度か食料や防寒具を届けに行きました。
まだまだ避難所を出られない人もたくさんいるんです。微力だけど、力になりたかった。
みんな支えあって、助け合って、力強く復旧を目指しています。
仕事を失った人、肉親の安否がわからない人、家がなくなった人、恐怖の体験をした人。
たくさんいます。
でもみんな前を向いて頑張ってるから、きっと大丈夫。
この震災のおかげで、久しぶりに連絡をとった友人がたくさんいます。
学んだことがたくさんあります。
今まで自分がいかに贅沢に楽して生きていたか。
暗い夜に明かりが灯る喜び。
水の大切さ。
一人じゃないこと。
ライフライン復旧のために、人命救助のために休まず働き続けている人達の存在。
あったかいごはんのありがたさ。
なんてことない毎日が、贅沢で幸せだったこと。
「落ち着いたら」
会いたい人がたくさんいます。
絶対、会おうね!
ガンバロー日本。ガンバロー東北。
私もがんばる!
生きる!被災編。
更新するまで気持ちが回復するまでに時間がかかってしまいました
ちょうど1週間前、東日本を襲った大震災。
私は職場の保育園で、昼寝の時間でした。
耐震もしっかりしていて平屋なので、大きく被害はありませんでしたが、揺れはかなり大きく、次々に起きておびえる子どもたちを守らなくてはと、必死でした。
余震がなかなか止まず、避難した園庭は雪。
でも全員けがなく帰すことができました。
停電が続き、信号は止まり、どこもかしこも真っ暗。
家に帰ろうにも大渋滞…
そしてそんな中続く震度4をこえる余震。
怖くなり、その夜は職場に戻り、泊まりました。
その日のうちに、両親と彼とあいちゃんとはなんとか連絡がつながりましたが、電波状況が悪く、ほとんどつながらず…
50回をこえる余震。ラジオから聞こえる「津波の被害」「荒浜に300人程の遺体」「壊滅した町」
恐かったね。あの夜。
朝を迎えて、保存食で朝ごはんを食べた。
缶詰めに入ったマフィン。バナナ。
コーンスープ。
おいしくて感動したよ。
一緒に食べれる人達がいてよかった!
午前中に1日ぶりに家に帰った。
アパートは大丈夫だったけど、中はこんな状態。
思い出のつまった食器たち。ほぼ全滅でした…
途方に暮れていると、「ちーちゃん!」とあいちゃんの声!
会社の後輩たちと一緒にきてくれて、再会。
やっと肩の力が少し抜けて安心した。
明るいうちに部屋をとにかく片付け、
ライフラインも戻らず余震も続いたため、2日目はあいちゃんたちと6人で体育館に避難。
空気の重い避難所に布団を運で、余震の中、被害を知れば知るほど、眠れなくて、涙がでて、、
1日半ぶりにようやくつながったmixiやメールで安否を知って、また涙がでて、、
やっぱりあんまり寝れなかった。
3日目。残り1メモリになったガソリンを入れるために並びました。
8時間並んで、入れられず…でした。
その後はあいちゃんの彼の協力で、いち早く復旧した街中で髪を洗えることに(涙)
その日はそのまま街中の会社に泊まらせてもらいました。
ほんと助け合い。助かりました!ありがとう!
次の日はそのまま出勤。最後のガソリン。
職場は電気ガス水道全滅。
復旧は長い戦いになると覚悟したのでした。
復旧編に続く。

ちょうど1週間前、東日本を襲った大震災。
私は職場の保育園で、昼寝の時間でした。
耐震もしっかりしていて平屋なので、大きく被害はありませんでしたが、揺れはかなり大きく、次々に起きておびえる子どもたちを守らなくてはと、必死でした。
余震がなかなか止まず、避難した園庭は雪。
でも全員けがなく帰すことができました。
停電が続き、信号は止まり、どこもかしこも真っ暗。
家に帰ろうにも大渋滞…
そしてそんな中続く震度4をこえる余震。
怖くなり、その夜は職場に戻り、泊まりました。
その日のうちに、両親と彼とあいちゃんとはなんとか連絡がつながりましたが、電波状況が悪く、ほとんどつながらず…
50回をこえる余震。ラジオから聞こえる「津波の被害」「荒浜に300人程の遺体」「壊滅した町」
恐かったね。あの夜。
朝を迎えて、保存食で朝ごはんを食べた。
缶詰めに入ったマフィン。バナナ。
コーンスープ。
おいしくて感動したよ。
一緒に食べれる人達がいてよかった!
午前中に1日ぶりに家に帰った。
アパートは大丈夫だったけど、中はこんな状態。
思い出のつまった食器たち。ほぼ全滅でした…
途方に暮れていると、「ちーちゃん!」とあいちゃんの声!
会社の後輩たちと一緒にきてくれて、再会。
やっと肩の力が少し抜けて安心した。
明るいうちに部屋をとにかく片付け、
ライフラインも戻らず余震も続いたため、2日目はあいちゃんたちと6人で体育館に避難。
空気の重い避難所に布団を運で、余震の中、被害を知れば知るほど、眠れなくて、涙がでて、、
1日半ぶりにようやくつながったmixiやメールで安否を知って、また涙がでて、、
やっぱりあんまり寝れなかった。
3日目。残り1メモリになったガソリンを入れるために並びました。
8時間並んで、入れられず…でした。
その後はあいちゃんの彼の協力で、いち早く復旧した街中で髪を洗えることに(涙)
その日はそのまま街中の会社に泊まらせてもらいました。
ほんと助け合い。助かりました!ありがとう!
次の日はそのまま出勤。最後のガソリン。
職場は電気ガス水道全滅。
復旧は長い戦いになると覚悟したのでした。
復旧編に続く。


