『山女』8/11鑑賞
簡単なあらすじ?
私の居場所ではない-
初めてそう思ったのはいつだったろうか?
今となってはもう思い出せない。
とにかくそこは最初から私の居場所ではなくて、居場所がない場所に私は居続けなければいけなかった。
突き刺さる視線も、浴びせられる言葉も、押し付けられる役割も、全て居場所ではない場所に居続けるための免罪符。
私が何かしたわけではない。
私達が何かしたわけではない。
ただ、私達の存在が許されなかった。
それだけのこと。
向こうの山には盗人の女神さまが居るという。
盗人は忌み嫌われるけど、それはそうせざるを得なかった人たちでもある。
だから盗人の女神さまは弱い者に優しいという。
忌み嫌われる者に優しいという。
向こうの山に行けば、私の居場所もあるのだろうか?
そこがわたしの居場所なのだろうか?
でも、私にはあの山へのかえりかたが分からない。
あれ?
この山の女神さまは、なんの女神さまだったっけ?
父が米を盗んだということはすぐに分かった。
そうせざるを得なかったから。
そして、私は期待した。
これで私達は盗人の一家だ。
父と、弟と、私で、あの山にかえれるかもしれない-
盗人の女神さまのもとに行けるかもしれない-
だが、村人から問いただされた父は否定した。
隠した米はすぐに見つかったのに、それでも否定した。
駄目だ、早く認めないと。
じゃないとあの山への、私の居場所へのかえりかたが分からなくなる!
「おれが盗った!」
私は叫んでいた。
自分で望んだはずなのに、体が震えるのは何故だろう。
「お前!何てことをしたんだ!」
父の怒号が響くのが先だったか、左頬に雷鳴が走るのが先だったか。
そんなことはどちらでも良かった。
どうでも良かった。
私は山の中にいた。
知らず知らずの内に山に向かっていたのか。
今となってはそんなことも思い出せない。
弟と最後に交わした言葉はなんだったか。
途中で父に会った気もする。
交わした言葉は何だったろうか。
そして、私は会った。
向こうの山を治める、盗人の女神さま-
ではなくて、それは何も持たざる一人の男だった。
何もないからこそ、私の初めての居場所になり得た。
それは、山男だった。
※↑は私の勝手な想像が多数含まれています。
ご了承下さい。
ネタバレは一切ありません!
中身も驚くほどすっかすかです!
今回、一瞬で終わっちまうよ
まずはこちらをご覧いただきたい。
これは『山女』を観る前に『マッド・ハイジ』を見つけて浮かれるおばさんです
『山女』を観終わって、言葉にできない怒りにとらわれているおばさんです
それでは
今日も来てくれてありがとう♡
バイバイ!またね♡
次回予告
※事情により予定を変更する場合があります。
・・・というのは、いささか投げやりにもほどがあるね(笑)
ということで・・・
良かったですよ!
いや、ほんとに良い作品だったと思います。
ただ、
話が大嫌いなだけで。
実は、この映画は映画館では観れないだろうなーと思って、事前にネタバレありの大まかなレビューを読ませていただきました。
で、想像以上にしんどそうだな・・・と思いながらも、1ヶ月ちょっと遅れで上映されることが分かったので、
と思って、夜勤前に観に行きました。
はい、予想以上にしんどかったです。
この先、結末以外がっつりネタバレしておるぞ!気をつけよ!!
舞台は日照不足で不作が続く東北の山間の寒村。
先祖が火事を起こした(恐らく事故)一家が、遥か昔のことにも関わらず、未だに差別され村八分状態なのがすぐに分かります。
これだけでも村というもののクソさがよく表されていますね。
父は配給される米もまともに分けてもらえず、やむなく蔵から米を盗むもすぐにばれ、恐らく憂さ晴らしを兼ねたリンチにあいかけます。
そんな父を「盗ったのはおれだ!」と娘がかばう。
父、娘をボコボコにする。
そういう演技かと思いきや、演技ではなかった!?
なんだこの父と書いてゴミは!?
と、この時点ですでにイライラが高まっていたいちかはここでまず最初に激怒します。
そして、何もかも嫌になったのか、山の奥深くに逃げた娘は、
正体不明の山男
と出会い、山男と共に過ごしだします。
それは初めて満ち足りた、幸福な日々
でも、それも長くは続かなかった。
村では日照不足が続き、ついに祈祷師のババアが若い娘を生贄にして神様にお天道様を出してもらうのじゃ!と頭のおかしなことをぬかし始めます。
とはいえ昔の話だし、最悪そこまではいいのよ。
の話のときに画像を漁ってたらさ、アステカ(やインカ)の有名な生贄の儀式はただひたすらに野蛮なものかと思いきや、選ばれた生贄たちはその日がくるまで贅沢三昧でもてなされ、その日もドラッグでキマりにキマッた状態で生贄にされた-というお話を読んで、わたしは驚きました。
でも『山女』は違います。
村人はだーれも自分の娘や孫を生贄にしたがらないのよね。
そりゃそうさ。
そもそも娘じゃなくても息子でもいいじゃん?とも思うけど。
で、挙げ句の果てに
とか
みたいなことになってくんのよ。
当然いちかは
と激怒します。
なぜいつも弱者ばかりが犠牲にされるのでしょうか?
リアルには自ら率先して犠牲になる強者はいないのでしょうか?
まあ『山女』もフィクションだけど。
でも、本当にわたしは、皆のために誰かが犠牲になる物語はありがちだけど嫌いです。
それを美化するものは控えめに言ってマザファッカ!です。
と、刹那・F・セイエイみたいなことを言う人もいましたが、結局はただそれだけ。
そしてタイミングの悪いことに
娘の幼馴染?が
マタギたちとともに娘を探しに山に来た!
娘見つかり、無理やり連れ戻されそうになる!
幼馴染の行動は、生贄の話を知らなかったし、多少下心もあったとは思うけど、それでも娘の為を思う優しさからの行動でした。
でも、その優しさはエゴでもあって、ずっと村が生きる場所ではなかった娘は戻ることを拒否し、山に留まろうとします。
恐らくわたしがこの映画の登場人物であるなら、状況によっては娘にもなり得るけど、幼馴染にもなり得てしまう。
人を思っての行動が、時に人を傷つけ苦しめることは良く分かっているけど、それでもそうしてしまう時がある。
そして、事が終わった後も自分はのうのうと生き続け、生き恥を晒し続ける-
マタギたちは恐らく生贄の件を知っていて、それ故に娘を無理矢理連れ戻そうとします。
が、そこに山男が現れ
素手でマタギたちを引き裂いていきます。
銃弾を浴びながらも、山男は止まらない。
そんなわたしの思いは叶わず、山男は倒れ、娘は連れ戻され生贄にされることに。
わたしは本当に悔しくて涙を流しました。
そのことを知った娘の父は、それを止めるどころか
と交渉し了承を得ます。
本当に、本当に、本当にゴミだ。
一瞬父の強がりかとも思ったけど、きっと違う。
環境は確実に人をゴミに変えてしまう力がある。
おそらくよくある安っぽいホラーなら、娘は底知れぬ恨みを抱え、村は、その地域は怨念に飲み込まれることになるでしょう。
それこそ、全部、跡形もなくなるまで
わたしなら確実にそうした。
鏖
でも、娘は弟のため、っていうのもあったとは思うけど、多分疲れきって、色々なものを諦めてどうでも良くなったんだとは思う。
生贄になる役割を受け入れ、何一つ人間らしく接してくれることのなかった村のために命を捧げることに。
しかもその方法がよりによって火あぶり。
村長やNo.2は自らの手を一切汚すことなく、村人2人に火を付けることを命令します。
またしてもいちかは激怒します。
そして-
結末は是非、自身の目で確かめて下さい
いちかの怒りポイントはたくさんありますが・・・
強者は左うちわで弱者が弱者を虐げるようになっていく構図。
家族、ましてや先祖の罪を他の家族にまで押し付ける理不尽さ。
さらには大切な神様に捧げるという名目にも関わらず、それまで汚らわしいものとして扱ってきた弱者を神聖なものとして神に捧げようとする手の平返し。
父。
娘と弟、山男以外は全員鏖にされてほしいです。
幼馴染もそうなるべきだ。
それが幼馴染のためでもある。
逃げ出さなかった娘の自己責任じゃないか?
みたいな意見がひょっとしたらあるかもしれませんが、わたしはそれを全力で否定します。
自己責任とは自分が自分への戒めとして言う言葉であって、誰かに対して言う言葉ではない。
思うことはそれぞれ違っていて、立場も状況も違う。
ひょっとしたら逃げる術を知らないかもしれないし、そもそも逃げるということを知らないかもしれない。
いつの頃からか、他者に対して安易に自己責任という言葉が使われるようになりました。
はっきり言って、無責任にも程がある、とわたしは思う。
いちかの嫌いな言葉
- メンヘラ
- ネットの“祭り”
- 性転換
- 他人に対して使う“自己責任”←NEW
そして、娘の目の見えない弟に浴びせられた言葉。
なしておめえは生きてる?
なしておめえは生きてんだって聞いてんだ!
もちろん、飢えに苦しむ寒村では、誰もが苦しい思いをして生きていたと思います。
せっかく生まれたのに生きさせてもらえなかった命もたくさんあった。
生きたくても生きれなかった命もたくさんあったと思います。
だけど・・・
生きたくて生きてるわけじゃねえんだよ!
生まれたからこんなクソでも生きるしかなくて、自分じゃ死ねないから生きてんだよ!