まえがき


暑くなったかと思いきやまた肌寒くなったりして、ややこしい時期ですね。
昨日(というか今日)寝落ちして目覚めたとき、ちょっと寒かったです。
こういう時期って、ただでさえ服選びには難儀するのにさらに難儀しちゃいますね。
でも、せっかくなら難儀しつつもオシャレも楽しみたいよなぁ···
まあそんな感じでしょうか?

というわけで今回は、前回の休みで観に行った5本の映画のうち、一番最初に観たこんな映画のお話になります。

  『茶飲友達』

刈谷日劇


心のパンツを脱がなきゃ始まらないでしょ?




簡単なあらすじ


妻に先立たれ、孤独な生活を送る一人の老人。

ある日、新聞で“茶飲友達募集”という三行広告が目に止まります。

恐る恐る電話をかけやり取りをした老人は、待ち合わせ場所の喫茶店に向かいます。

そこにいたのは一人の若い女性と着飾った一人の老女でした。

“茶飲友達募集”、それは高齢者専門の派遣型売春クラブ“茶飲友達(ティーフレンド)”の広告だったのです。


“茶飲友達(ティーフレンド)”の代表、佐々木マナはスーパーでおにぎりを万引きした松子という老女を助け、65歳以上限定のコールガール“ティーガール”として働かないかと勧誘しますが···


というお話になります。

2013年に摘発された、高齢者専門の会員制売春クラブを元にした作品となっています。



  ⚠WARNING⚠

多少ネタバレがあります!

とはいえ実際の事件は摘発され崩壊しているので、物語でもそうなるのは当然予想がつくはずです!

なので、その部分に関してはネタバレだと思っていません!

それ以外の部分で多少ネタバレがあります!

心のパンツを脱がなきゃ始まらないそうですが、ネタバレというパンツは下ろしきってはいないつもりです!

今回はセミヌードみたいなもんなんですよ!



わけのわからんこと言ってるよなぁ!






いや、これキツイです。



色ボケしたジジイたちによるエロエロ三昧!


がキツイわけじゃないよ!
というか、そんな作品だと思ってはだめだ!!

この作品はつまり、

男は腐っても男で

女はギリギリでも女さ

犬は死ぬまで犬で

人は死んでからもずっと人さ


ってことなんでしょうか?

しかしそうなると、わたしは腐っても男なのか?

ギリギリでも女なのか?



そんな話じゃないでしょー


そういや大学時代に老人福祉論で、老人の性についての講義があったな。

教授のおばさんがある老人のエピソードで「昔みたいにして」とかうれしそうに話していたのが印象的でした。

まあ、



いつまで経っても性に奔放なのもいいんじゃない?


ちなみに“茶飲友達(ティーフレンド)”では売春行為は行わずおしゃべりだけ(なのか?)の“煎茶コース”と売春行為ありの“玉露コース”があるのですが、

ほぼほぼ“玉露コース”しか選ばれないそうです。


どうせならお楽しみしたいので“玉露コース”で!



承知でーす♡


で、この作品は


  去年観た『PLAN75』や



  今年の『ロストケア』


と少し被る部分がありながらも、その実まったく異なる作品となっています。


ちなみにわたしはこの3作品の中なら、断トツで『茶飲友達』が一番でした。



 金があるのにおにぎり盗った 年金暮らし無職ババア


この作品は老人の性を前面に押し出した作品かと思いきや、そうではないんです。

これは孤立や孤独を描いた作品で、孤立や孤独を性欲に置き換えられた老人だけの物語でもありません。

行き場をなくした若者たちの孤立や孤独を描いた作品でもあります。



誰もがみんな一人


あー、なんかキツイなあ。

誰も彼もがみんな満たされないのよ。

何かしら欠けているのよ。

胸の中の部品が欠けていて、隙間ができている。

それをなんとか埋めたがっている人たちばかり。

部品が見つかればいいけど、見つからないから似たような形のもので埋めようとする。

それはファミリー(疑似家族)かもしれないし、ぬくもりかもしれない。

場合によっては代替品を部品として無理矢理変形させてでも、胸の隙間を埋めようとする。

だけどそれは結局ピッタリと嵌る部品ではないから、結局隙間が空いてポロッと落ちてしまうかもしれない。

無理矢理ねじ込むことで、胸が裂けてしまうかもしれない。



人は群れることで隙間を埋め合うのか?


“茶飲友達(ティーフレンド)”の代表マナさんは中々にクソな母親に貶められていました。

風俗嬢になるようなやつが自分の娘なわけない!

とか言われてさ。

別に仕事なんてなんでもいいじゃん?って思うんだけどね。

ほとんどの人にとっては、食い扶持を得るための手段にすぎないと思うし。

とにかく家族に見放されたマナさんは“茶飲友達(ティーフレンド)”というファミリーをつくって、そこには同じような人たちが集まってファミリーになった。

みんな胸の隙間を埋める部品が欠けていた人たちばかりで。



あの日失くした部品が見つからないの


だけど結局は人間の集まりだから、何かあればいとも容易く裏切られ、崩れてしまう。

人間は愚かだよね。

それでも逃げられる人はいいけど、逃げられない人はどうすりゃいいんだろうね?



上手くいっているときはよかったけど···


そんなファミリーという拠り所、部品を無くしたマナさんに対して最後に寄り添おうとしたのは、結局は···


何だかなあ···と複雑な気分になりました。



もちろんそれがマナさんの部品になり得たのかはわからないけど


というわけで、「正しいことが人を幸せにするとは限らない」わけで、確かに“茶飲友達(ティーフレンド)”は決して正しいものではなかったとはいえ、それでも誰かの居場所だったし部品だったわけで、それを全て否定してしまうのはやっぱり違う気がする。

たとえ仮初めだったとしても。

老人を食い物にして!けしからん!みたいな意見もあると思うけど、所詮誰もが何かの食い物にされていると思うんだよなあ。

それに、水清ければ魚棲まず、なんていうしなあ。

実際、“茶飲友達(ティーフレンド)”の崩壊によって帰る場所、居場所、拠り所を無くした人も確実にいたしね。



どこにも行けない


“茶飲友達(ティーフレンド)”が崩壊したその後、従業員たち、ティーガールたち、会員たちは一体どうなったんだろうなぁ···



最後に崩れ落ちたジイさんは、その後どうなったのかな···


そんなことが気になりました。

そして、ヤるだけヤッて都合が悪くなったら逃げようとするクズ男は



万死に値するよな!



それでは

今日も来てくれてありがとう♡

バイバイ!またね♡




次回予告



今日はコンサートに行くんです♪



話題沸騰チェリストコンビのね!

〜美しい旋律にあれこれをのせて〜


※事情により予定を変更する場合もあります。




入場特典でもらいました

お茶ではなくコーヒーでした