まえがき


今回はネタバレありですね。
基本的に最新作はネタバレしないんですけど、たまにはネタバレしたい気分にもなるよね?
今回は例外ということで…

まあしょーもないことしか書いてないけどな!


  『すずめの戸締まり』


謹んでお返し申す


 簡単に言うと…

九州の港町で叔母と暮らす高校生の岩戸鈴芽(いわと すずめ)は登校中に廃墟のような場所を探す旅人、宗像草太(むなかた そうた)に出会います。草太が気になったすずめは、後を追って温泉街の廃墟に辿り着き、そこで奇妙な扉を見つけます。そして扉に手をかけたすずめが目にしたものは…


これは、中から災厄が溢れてくる扉を戸締まりしながら旅をする、そんな物語…


となっています。



  ⚠WARNING⚠

ネタバレ注意!!

少しネタバレしながら、簡単に感じたことを書いているよ!

まあ、大した事書いてないし、読む価値もないからせめてかわいいダイジンでも見て戻ろうね!


かわいいダイジン♡






まあ、前回書いたとおりです。

おもしろかったですよ!

映像も、声も、音楽も、物語も、どれもよかったと思います。

物語に関しては、少し首を傾げなくもないし、どうなんだろう?と思わなくもない部分もあるけど、それでもよかったと思います。

なんか単なるファンタジーだと思っていたけど、日本各地を巡りながら災厄の扉を閉ざしていく、ロードムービー的な要素のある作品でした。

ロードムービーにはありがちだけど、出てくる人たちがみんな優しいんだよね。

少なくとも、不快になるような人は出てこなかったな。



途中までは同じことの繰り返しになるので、そこが少し飽きちゃう可能性もあります。

わたしは映画館内で時間がわからなかったということもあって、中盤ぐらいで一気に盛り上がる部分があるんですけど、そこで終わりだと思いましたw

実際はまだまだ続くわけで、その辺りから雰囲気が変わります。

なるほどなあ…って感じでした。

ただ、ひょっとしたら観る人によってはかなりつらくなるのかもしれません。

具体的に言うと震災に関する場面、描写があって、そこが意見の分かれるところかも…と思います。



ということで、とりあえずはここまでかな。

読んでいただいてありがとうございます♡

多謝♡




  ⚠WARNING⚠

ネタバレ注意!!

この先がっつりネタバレしながら、おばさんが勝手に思ったことを書きなぐっているよ!

まったく見当違いの可能性もあるし、不快になる可能性もあるよ!

なので、ここで戻って当たり前の日常に帰ることをオススメします!



帰ろう、当たり前の日常へ






で、少し首を傾げたこと。

開かれた扉から現れるミミズと呼ばれる災厄(地脈とか龍脈とか呼ばれるようなもの?)を封じるために、扉を閉じて鍵をかける閉じ師がいるんだけど、そもそもミミズの大元は“要石”っていうものに封じられています。

だから、扉から現れるのはミミズのほんの一部分で残滓のようなものに過ぎないんだよね。

で、要石は自らの身をもってミミズを封印する人柱のような存在なのね。

その役割を担っていたのがダイジンと呼ばれる猫の神様みたいな存在なんだけど、要石の封印がすずめによって解かれて自由になったダイジンは、久々の自由を満喫するかのように各地を転々とするわけ。

まあ扉の場所にすずめを誘っていたふうでもあるんだけどさ。

で、役割に嫌気が差したのかダイジンは閉じ師の草太にその役割を転嫁して、そのことに気付いた草太は物語の中盤で自らを要石としてミミズを封印することをすずめに託します。

多くを救うために、自ら犠牲となる…

是非はともかく、それは分かるよ。

ただ、結局色々あって、最終的には再びダイジンが要石となってミミズを封じ、草太は元に戻ります。

ここがしっくりこなかった。



結局ダイジンは何がしたかったのか?

なぜ一度は放棄した要石の役割を再び受け入れたのか?



…ただ、改めて考えてみたんだけど、これって『大神』みたいなことなのかなあ?



神様は気まぐれ、なんて言われていましたけど、もし神様が本当に存在するなら、実際そうなんだろうとは思います。

幸運や不運なんてものは、神様の気まぐれのように感じなくもないからね。

で、『大神』を最後までプレイされた方は多分覚えているよね?

最終盤で危機に陥ったアマテラスを助けるために、イッスンが天道太子として人々に語りかけたあの場面。

あの言葉が大体そのまんま当てはまらなくもない気がします。



曰く

「大神サマのご機嫌取りと行かねェか?」

「なァに チョイと天に向かって手を合わせ──」

「心の中で 感謝の気持ちを、捧げるだけだィ」

「・・・年がら年中神頼みってのも情けねェ」

「たまには神サマを労って──」

「少しは苦労を肩代わりしてやろうじゃねェか」

「みんなの心が届いたら──」

「お天道サマも機嫌を直して顔を出し──」

「浮世をあまねく、照らしてくれらァ!」

「だって大神アマテラスさまは──」

「ポカポカ陽気がご身上のお調子者なんだからなァ!」


実際ダイジンもそんな感じだったのかもね。

閉じ師を除けば誰も存在を知らないからしょうがないんだけど、みんなから感謝されるわけでもなく、たったひとりで自分を犠牲にミミズを封印し続けていたわけで、たまにはへそを曲げてしまうこともあるよね?みたいな。

なんかそんな気がしました。



ご機嫌斜め


まあでも、当たり前の日常も多くの人が築いてきたものの上に成り立っているわけで、世界は誰かの仕事でできているじゃないけど、やっぱり多くの人がいるからこそ享受できているわけで、たまにはそんな当たり前に感謝することも大事かもね?みたいなことを伝えたかったのかも。

まあ、薄っぺらなババアが勝手にそう思っただけだけどw

もちろん、悪しき風習やよくないもの、差別や偏見みたいなものは無くすべきで、感謝しつつも変えられる部分は変えていく必要があるとも、もちろん思うけどさ。



とはいえ、物語の中では震災が描かれてもいました。

すずめは震災によって母を亡くしていました。

わたしは実際に被害にあったわけではないから、被災された方たちの気持ちはわからない。

だから、そんな神様の気まぐれのようなもので片付けられてしまったら、ふざけんな!って思うかもしれない。

わたしが住んでいる中部地方も、近いうちに大地震がくるなんて言われていて、実際にわたしが生きているうちにくるのかもしれない。

いざ自分が被災したときに、やっぱりすべてを呪うかもしれない。

というか、確実に呪うと思う。

だから、どうなんだろう?

やっぱりこの部分は意見が別れてしまうところかもしれないね。





まあ、そんなとこでしょうか。

あとはすずめの叔母さんの本音なんかは同じ年代の人間としてかなり胸が痛くなったりもしたわけで、色々と思うところのある作品でした。

2時間では足りないような気もしたのも珍しいかも。

良し悪しはともかく、まだまだ長い期間多くの場所で上映されると思うので、ものは試しと観に行ってみるのもいいんじゃないかな?

で、この作品を楽しめたならさ、


たまには映画館に足を運んでみるのもいいんでないかい?

もちろん配信やレンタルで観るのもありだね!

「世の中には観るべき映画はたくさんある」ってツタヤも言ってたぜ!



それでは

最後まで読んでいただいてありがとうございました♡

あなたに幸あれ♡



次回予告


うーん、観に行くか迷うなあ

映画泥棒のお話じゃないよ!



※事情により予定を変更する場合もあります。