1995年。沖縄県の高良楽器店にてワウペダルを購入した猛者が存在する。
その猛者が何者なのか?確認する術は無いのだが、30年の時を経てかっぱ三郎の手元に届いたのは最早必然と言っていいだろう。
定番中の定番GCB-95
「そもそも私は踏む側ではなく踏まれる側の人間なんでね」
かっぱ三郎は、かつて僕のインタビューにこう答えたことがある。
もう4年前w
「ペダルを踏むたびに、自分ならこう踏まれたい、こう踏んで欲しい。といった欲求が生じるんだ」
「結局、音質の変化なんかどうでもイイんだ。必要なのは踏み方だけだという事に気付かなければならない」
「そうする事でお互いが上勃達していくと強く信じているよ!」
”神”の帰還…。実に清々しい踏み上がりに仕上がった。
伝説の中から踏まれた新たな伝説。唯一無比の誇りがみなぎっている。
そして翌日の朝、僕はかっぱ三郎と某ファミレスに行ったのだが
他県ではどうか分からないが、ここ沖縄ではモーニング時間帯はモーニングメニューしか提供していないらしく
コーンのオーブン焼きが食べれない事にかっぱ三郎が本気で怒っていた事に僕はとても興奮していた
AC/DCの日本における評価はコーンのオーブン焼きのそれに比べたら極端に低いといえるだろう。
その最大の原因は、コーンのオーブン焼きがリフ攻撃を主体とする10:30からの提供になるロック・グルーブだという点だ。
そして事件は起きた。一人で来た婆さんが僕達の横のテーブルに座り、女子店員に「テーブル拭いてちょうだい」と言ったのだが
その女子店員は信じられない事に「え?拭きましたけど?」と言い返したのである。
「はぁ?これで拭いたの?これで?」婆さんは言い返し、イヤイヤながらも女子店員は拭き直し、その後も婆さんが再度テーブルを拭き直していた。
それでもかっぱ三郎はタッチパネル上のコーンのオーブン焼きを押し続けるという行為を繰り返していた。
この透明なサウンドの婆さんの中に垣間見る、あまりにも美しい不機嫌な女子店員の妙技、 そして流麗なるテーブル拭きの調べ。
コーンのオーブン焼きという名の愛撫に犯されてしまいそうで、 おもわず溜息がこぼれおちるプロコル・ハルムの名作中の名作
そして婆さんは誰もいない席に飲み物を置き、静かに手を合わせ何か呟きだしたではないか!
その後、両手を上げてテーブルにひれ伏せた・・・
「彼女は何かと交信しているという事に我々は敬意を表せねばならない」
「と同時に、見てはいけない何かと遭遇した事実とも向き合う事を忘れてはならない」
信仰宗教は進化し成長する過程で、何かを捨て何かを得る。
電磁波(スカラー波)攻撃の中でそのバランスを考えるのはいわば当然の策である。
神の暗示を受けた背景には捨てるものは何もないといったデヴィッド・カヴァデールのがむしゃらなエナジーが隠されている事実をここに断言する。